と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

芸能にはウラもオモテもあるわけで

2014年07月26日 06時49分07秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

選ぶのか、選ばれているのか

 

 

世の中にはおもしろい方がたくさんおられるのだということを、シミジミ考え、味わった。

オレのやっていることは、民俗芸能という分野になるのだが、こういうことに関わっていると、そういう業界のいろいろな方からアドヴァイスをいただく。ありがたいものである。当然というかなんというか芸能に関わっている方は、オモテとウラのことに詳しい。研究者とか学者センセでは所詮最初からかなわない方も多くおられる。ここなんだ、ここ。勝負の分かれ目。

物事には、なんでもオモテとウラがあることをよーくわきまえていないと人生綱渡りになっちまう。オモテ稼業でばっかり過ごしてきたから、勘違いしてエラそうにモノを云っていてはならないということだ。それはそれで、厳重に自分を縛ってきたが、なかなか難しいものである。

民俗芸能学の演者である芸者さんに非常に興味を持って生きてきたことは、拙ブログにも何度も書いてきた。それは、温泉町で育って、たくさん芸者さんが周囲にいたからである。環境的にはそういうことに興味を持つようになる実に恵まれた生活をしていたのだ。いわば、内側からいろいろ見てきたのだ。付属の料亭、バーを持つ旅館を祖父の弟と亡父がちょっと経営していた時期もあったので、そこで働いているじょせーたちから、いろんな話も聞いたっけ。みんな自分の歴史を、過去を「物語」として、オレに贈与してくれたのであった。みんないいじょせーばかりだった。ホントに幼い頃には、一緒に風呂も入れてもらったし、食事の面倒も見てくれたっけ。そして、いろいろな彼女たちの「物語」も聞かせていただいたっけ。それが、原点になっているのだ。オレが文学に走ってしまったことの。

巷の旦那連中でよくいるのが、お水系の仕事をしているのは、落剥した武家の末裔だろうとか、親が破産した結果だろうとかのたもう方がいる。実際はそんな人ばかりではない。昭和30年代ならまだいたのかもしれないが、現代はそうでもない。時代をずっと遡って白拍子の時代までいくと様相は一変するが。

じょせーは複雑であるとか、さも知ったようなことを云われる方もあって、オレはそれはおかしいのではないかとずっと思ってきた。男だって複雑怪奇なのである。いや、むしろ男の方が、しょうもないかもしれない。独占したがり、嫉妬心が強くて、地位も名誉も、カネも欲しがる。カネはオレも欲しいけど。(^0^)

じょせーの方がたくましいのである。単純だと云ってもいい。あ、あまり書かない方がいいな、これに関しては。生きる力がある。なんでか。そりゃ周囲のじょせーたちを見ていればわかるっしょ?

留学生だって、たくましいのはじょせーである。外国の大学に単身で来て、母国語、英語、日本語で学んでいるのだ。こんな手品みたいなことは、馬鹿のオレにはとてもできねぇ。ホントに尊敬しちゃいますぜ。直接会ってきて、話もさせていただいたから余計尊敬してしまう。Classmateたちに。Classmateでなくても、オレの中国語の老師(先生)である学部の男子学生にも。ある意味、在籍大学に学ばせていただいた最大の収穫である。できれば中国語もきれいなじょせーに教わりたかったが、それは断られたというか、ムシされたから、諦めたのだが。(^0^) あ、男性老師(先生)にこれを見られたら、叱られるな。わははっははは。アカン、アカン。

オレの場合、じじいだから大学院なんて出たってなんにもならないだろうと、今でも云われる。そりゃそうだ。就職するために学んでいるのではないからだ。第二の人生のためでもない。あくまで人生の充実のためであるからだ。郷土史という世界で余生を過ごすためには、必要だったからでもある。それだけである。それだけ。だから、やっているだけである。

強い。じょせーは強い。しみじみそう思う。体験してきたからである。そして芸能に関わってきたじょせーたちの生き方に、さらに強さを感じるのである。ウラもオモテも強く生きておられるからである。

さらに云えば、じょせーは「選ぶ」ことはあっても、選ばれることはない。そうオレは思っている。例えば母親になるのだって、これは男では絶対にできない相談だが、子孫を残すためには、よりよい配偶者をみつけて、優秀な遺伝子を残さなくてはならない。だから相手を「選ぶ」わけである。イケメンが好きなのも分かるような気がする。選んだ結果、イケメンを選ぶわけである。イクメンを選ぶのもそうだ。優しい男を選ぶのもそうだ。結局自己中心なのである。そりゃ違うだろう!って云われるかもしれないが、「選ぶ」結果、選ばれるようなフリをしているだけである。いつもじょせー主導なのである。ライオンと一緒なのであって、一頭の優秀な雄ライオンとそれに群がっているグループみたいなものだと思っている。

文献だけではわからないものが、民俗芸能という分野の学問にはある。いいことをやってきたものだ。しみじみそう思う。

 

あ、オレ、「選ばれていない」はぐれライオンだってことを最後に気がついてしまったよん。悲劇じゃな、悲劇。もういいか。夢も希望もなんにもナイからなぁ、これからのじじい生活は。

 

わはっははっはは。

 

(^_^)ノ””””

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7月25日(金)のつぶやき

2014年07月26日 05時46分26秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

激しく同意させていただきます。
このとおりであります。 fb.me/3qdkAiLLL


友達がいなければ、居ないで、そりゃしょうが無いってこと。
しょうゆうことですよん。
オレはじじいだしなぁ~!


ふっと気がついたら、もう平成26年7月25日(金)だよん。
もう寝るけど、今日は在籍大学に行って、論文書かないとねぇ~。
267枚では、今月中に、300枚に達するというじじいの目標には
達しないですよ。駄目なじじいですなぁ。... fb.me/1bhl6U4mn


  と~ま君 @tym943 08:06

人生の大先輩たちとの清談を終えて考えたこと goo.gl/GNZefn


繋がりを断たせて・・というFBの書き込み

>投稿もCMばかりや、投稿もしない方‥コメントもいいねも何も無い方‥申し訳ありませんが繋がりを断たせて頂きます‥ご無礼とは存知ますが‥ご理解の程よろしくお願いします... fb.me/6FMpQCtww


15:02である。ふうううううう。
在籍大学院生室にいる。朝からずっとである。勤勉だなぁ~!わはっはっはである。トイレ行く以外は、ずうううううううっと座りっぱなしである。... fb.me/3YeDSF464


@shignak” RT @_dietmania 【ながらバランスボール】バランスボールは普段の生活の中で手軽にエクササイズできる優秀アイテムだよ。テレビを見ながら、本をよみながらでOK。
バランスボール、部屋の隅に転がっていない? pic.twitter.com/LLvPOXdbLg

と~ま君さんがリツイート | RT

Respighi 聞きながら「全唐詩外編」のスキャン中。youtube.com/watch?v=ro2ini…

と~ま君さんがリツイート | RT

男女の間では、憎しみは愛の裏返しです。嫉妬もまた愛のバロメーターです。

と~ま君さんがリツイート | RT

さっきから、一時間たってしまった。... fb.me/6A4lylsCm


去年の記事 ありがたいな、実にありがたい goo.gl/3HZjMj


みんなのために良かれと思ってやっていることを、冷たい目で見る人たちがいます。そういう人は、"縁なき衆生"と思って放っておきましょう。あなたはあなたで正しいことを、自信を持ってすればいいのです。

と~ま君さんがリツイート | RT


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恋愛小説というのは

2014年07月25日 23時08分43秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

オレは、どーも恋愛小説というのが大嫌いである。

なぜかと思うことがある。物語に酔うことができないからだろう。いい気なものだと思うことがしばしばである。さらに、現実としても恋愛している連中を見ると、背中がかゆくなってきてしまう。これはこれはなんともどうしようもない現象である。このことは文学愛好家としては欠陥である。つまり、それほど文学には、恋愛のことが多いからである。それを嫌っているとなると、オレの読む小説の範囲は狭まる。だからである。

つまりそれだけ、人間が固いというか、半端というかそういう程度の人間になっちまったのだなぁと慨嘆しているのだ。固い仕事をしていたからであろう。40年近く。これでは、人間性が偏向するのも無理はなかったと思う。

幅広く生きていきたいものである。だって、もう後は死ぬしかないのである。今、63歳である。この二倍は生きられないではないか。126歳? 無理である。絶対に。

ところで、そんなオレでも好きな恋愛小説がある。

なんだ?

と云われるかもしれない。ふっふふふである。それは「野菊の墓」である。伊藤左千夫のである。オレ、これを13歳くらいで読んだ。感動した。ガキのくせして、あるいは悪童のくせして、なんと泣いたのである。2歳年上の従姉で、民子という女性に淡い恋を感じてしまうという小説である。

そして伊藤左千夫が生まれた成東のある九十九里海岸に住んでいる。これまた不思議なご縁である。

淡い片思いというか、恋ごころというのは、少年時代のオレの感受性をエラく刺激した。オレはそういう少年のことを、なんと自分で書いてしまって、小説みたいにして、夏休みの宿題として担任に提出してしまったのである。そして国語教師であったベテランの女教師に褒められてしまったのである。全国コンクールに出させてもらったのだった。結果は良かった。入選した。

冗談半分みたいに云っているが、本当のことである。

思えばそれがオレの人生放浪記の始まりなのかもしれない。

だから、そういう弱々しい少年期のオレの性向というものから離れたくて恋愛小説を否定したくなるのかもしれないと思うのだ。

病弱で、病気ばかりしていたから柔道をやって鍛えようとして、事実やった。それと一緒である。三島由紀夫が嫌いなのも、ある意味弱さの克服という意味で、同じ傾向を感じるからであろう。

自己否定から入るというオレの姿勢もなんだかそんなところから来ているのかもしれない。

嫌な自分をみていたくないということからである。

 

つまらないことですが、ね。

 

 

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急ピッチでやりすぎた、今日は

2014年07月25日 22時52分12秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

急ピッチでやりすぎた。原稿書きである。やり過ぎはいかんです。

ちょっと疲れた。

でも、書きたいことがアタマの中に山ほどある。だから、ゆっくりしていられないのだ。

ゆっくりしていると忘れてしまいそうだから。

それに、オレはアタマが悪いから、何を書きたかったのか覚えていられないからだ。

このブログにこんなことをメモしているのも、多くの生涯学習仲間への決意表明である。

やるっきゃないからである。

一度始めたことは、やることである。

明日は、居住地の図書館で籠もる。

たのしみ、たのしみ。

 

 

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去年の記事 ありがたいな、実にありがたい

2014年07月25日 18時49分01秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年
学生さんに面白かったと言われて
 ふううう、これで前期授業が終了。教えている方の大学のことです(^0^)。明日は教わっている方の大学の学生に戻りますが。一人の女子学生さんが終わってか...
 

 

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人生の大先輩たちとの清談を終えて考えたこと

2014年07月25日 08時05分04秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

繋がりを断たせて・・というFBの書き込み

 

 

>投稿もCMばかりや、投稿もしない方‥コメントもいいねも何も無い方‥申し訳ありませんが繋がりを断たせて頂きます‥ご無礼とは存知ますが‥ご理解の程よろしくお願いします

 

こういうFBの書き込みを拝見した。なるほどそうである。基本的にこうであるべきである。無理して繋がっていなくてもいいのだ。相手が拒否しているのだから、ということである。拒否されているのに無理しているこたぁないのである。FBなんてむなしいもんだからのう。

会って直接議論したりすることの方がいい。対話には負ける。情報を収集するだけが、目的だとする方にはそれはそれでいい。その程度のものであろうから。ブログもそうだ。仮想の世界でやっているだけである。しかも、拙ブログの場合、最初の書き出しからあふぉ~な話題から入ることをこころがけている。なに、簡単である。馬鹿は、馬鹿なことしか書けないからである。小難しいことはオレには書けないからだ。まじめぶって、書いていたってしょうもない。

世の中には、こんなじじいもいるのだということくらいでいいのだ。

それにしても、昨日はいい酒であった。

人生の大先輩達の一言、一言がまことに胸に響いた。経験智が違う。すばらしいことである。オレなんぞ、まだまだ小僧っ子だよん。一番年長が85歳。次が83歳。そして70代中盤、さらにオレより6歳先輩の方。こういう方々と清談をすることで、実に勉強になる。つきあいのカネというのは、こういう方々との清談に使うべきである。

ミニスカはいたお馬鹿キャラのおねーちゃんに使っている場合じゃぁねーぞ!そんなのいっぺぇいるけどねぇ~♪オレ?そんなのいねぇ、相手がいねぇよん。
わはははっははっははっは。

時間の無駄遣いはすべきではない。もったいないではないか。

いろいろあふぉ~なりに考えて行動しているのである。これでも。

 

 

さ、大学に行こう。学生だからなぁ。これでも。あと半年しかないから。

(^_^)ノ””””

 

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7月24日(木)のつぶやき

2014年07月25日 05時39分35秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

親ロシア派は「地対空ミサイル保有」、武装勢力司令官が認める - ロイター bit.ly/1nrWvP8 2014-07-24 06:51:49

と~ま君さんがリツイート | RT

台湾のトランスアジア航空機が墜落、42人以上が死亡か - ウォール・ストリート・ジャーナル日本版 bit.ly/1kVF05T 2014-07-24 06:49:52

と~ま君さんがリツイート | RT

日本古典籍総合目録データを使ってみる(俳号は三七丸のblog) blog.livedoor.jp/ki54036/archiv… 古典籍総合目録データをエクセルに取り込む その1 blog.livedoor.jp/ki54036/archiv… その2 blog.livedoor.jp/ki54036/archiv…

と~ま君さんがリツイート | RT

大好きな人が死んだのに悲しくないと悩む人がいますが、当初は悲しみが大きすぎて死んだと思えないことがあるのです。その人は、あなたの中に生きているのですから、安心して下さい。

と~ま君さんがリツイート | RT

戦争において存在が示すことになる様相を劃定するのが、全体性という概念である。西欧哲学はこの全体性の概念によって支配されている。-全体性と無限-

と~ま君さんがリツイート | RT

ベトナムから輸入の冷凍シシャモに“殺鼠剤” - テレビ朝日 bit.ly/1kVAPa5 2014-07-24 06:28:45

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■「ふたりの人間のあいだの友情は、どちらかひとりの忍耐にかかっている。」
【部族名不明】

と~ま君さんがリツイート | RT

生きるということは、死ぬ日まで自分の可能性をあきらめず、与えられた才能や日々の仕事に努力しつづけることです。

と~ま君さんがリツイート | RT

顔があんこうみたいだ?

講義が終わった。これでさよならである。「単位を落として、来年またアタクシと会わないよ~に♬」と云って別れてきた。大学生諸君の活躍を祈... goo.gl/SMp4fh


「生活の豊かさ」日本は17位に…中国91位 : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE) yomiuri.co.jp/national/20140… 「国連開発計画(UNDP)の2014年版「人間開発報告書」が24日発表」。

と~ま君さんがリツイート | RT

お友達が21になってしまった。音信不通の方は、オレのFBからいなくなっちまう。それでいいのだ。それで。音信不通ということは、オレなんかとcommunicationをとりたくないってことだからなぁ。さよなら!


友人との別れは、辛いけど・・・・黄鶴樓送孟浩然之廣陵 blog.goo.ne.jp/tym943/e/e4101…


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友人との別れは、辛いけど・・・・黄鶴樓送孟浩然之廣陵

2014年07月24日 23時38分06秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

別れの歌は世の中に数多い。

その時は、哀しい。実にオノレのことが情け無くなる。マジにである。そういうときは、テレサテンの歌を聴きながら、白ワインでも呑みながら、ナミダを流すに限る。ほんとうに、そうである。特に、相手から捨てられてシマッタ時は実に哀しい。でもしょうが無い時は、しょうが無いのである。これまでの人生でなんどあったかはかりしれないから、慣れているといえば、慣れているのだけれども。

相手には嫌う自由があるからである。それをいつまでも、未練がましくお友達ズラをしていてはアカンのである。ただし、通り一遍のただの友人であったら、そんな心情にはならない。問題は、心の友だと思っていた時である。親友ならぬ心友であると思っていた方である。人生百般の問題を議論し、相手のナミダに、オレもナミダしていた友人である。困ったときには、助け、助けられていた友人である。

それが、オレから去っていった時は実に哀しい。ここ2、3日で去っていかれたからである。オレからである。もうオレとはcommunicationをとりたくないという方々である。

しょうがないではないか。

ひとつの時代が終わったのである。

もう、オレなんかと、クチもききたくねぇ~ってやつである。

それだけの価値しかなかったのである。

これはそれだけオレに魅力がなかったのであろうし、必要とされていなかったのであろう。そういうことである。こちらから何度接触を試みてもナシのつぶてであったときには、潔く、こっちから去るしかないのである。

諦めが肝心である。

 

中国に友人との別れの漢詩がある。

受験業界では有名である。

これである、これ。


黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る  李白

故人西のかた黄鶴楼を辞し       故人西辞黄鶴楼
煙花三月揚州に下る           煙花三月下揚州
孤帆の遠影碧空に尽き         孤帆遠影碧空尽
唯だ見る長江の天際にながるるを   唯見長江天際流

 

 

さらばじゃ!

元気でね~。

(^_^)ノ""""

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まんじゅうのあんこうではない・・

2014年07月24日 12時47分23秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

顔があんこうみたいだ?

 

 

講義が終わった。これでさよならである。「単位を落として、来年またアタクシと会わないよ~に~♬」と云って別れてきた。大学生諸君の活躍を祈るばかりである。別の大学では、オレも学生の変種であるけれども。(^_^)

あ、もっともあれか。オレ来年もやらせてもらえるかどうかはわっかんねぇからなぁ。いつもそうだが、これで最後だと思ってやっているからである。なんでもそうだ。これで最後だと思っていると気合いがはいる。会ったらもうこれで生涯最後かもしれないと思うと、時のたつのがいとおしい。

在籍大学のほうは来年確実にいない。これはこれで貴重な時間をすごさせていただいた。ありがたいかぎりである。オレのような変人がいなくなるから、喜ばれるだろうよん。

帰途、今日の夜、清談をする料亭に行ってきた。名刺を出してきた。年金生活者だから、相手が不安がっていたらしょうがないからである。幹事を仰せつかったので、それくらいは配慮する。当然である。実はここは校長時代に使ったことがある。しかし、もう忘れているだろうと思ったからである。

オレなんか、忘れられて当然である。

なんの特徴もないからである。アタマがハゲているくらいか。それと声。歩き方が暴力団風。目つきが悪い。クチも悪い。どう見てもおなごにはもてない。わはははっははっははの「ハ」。ハゲの「ハ」とも云うけど。

しかし、楽しみである。楽しみ。

清談をさせていただくことがである。

 

それにここは、あんこうが旨いのだ。

まんじゅうのあんこではない。あんこうである。あのグロテスクな魚である。一度喰ったら忘れられない。顔も、もの凄い顔をしている。なんでも呑み込んでしまうようなデカいクチも持っている

あ、と~ま君みたいだなぁって云っているのは誰だ?

 

わははっはっははっははの「アンコウ」!

(^_^)ノ””””

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7月23日(水)のつぶやき

2014年07月24日 05時43分56秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

最後くらいきちんと総括して、大学生さんたちとはお別れしたかったからである。 goo.gl/kw88dY


50 他人の過失を見るなかれ。他人のしたこと・しなかったことを見るな。ただ、自分のしたこと・しなかったことだけを見よ(ダンマパダ)

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生き物としての人間、から目をそらしてもあかんし、結局、ファクトの積み上げ超大事、みたいな話になるんだろうとは思うけども

と~ま君さんがリツイート | RT

東大寺南大門 金剛力士像:重源の東大寺復興事業の一環として再建された。阿形(あ)・吽形(うん)があり、運慶・快慶・定覚・湛慶の慶派一門により、1203年に69日で制作された寄木造の傑作。twitpic.com/8munl9

と~ま君さんがリツイート | RT

■「子どもたちに話しかけるなら、食事をしている最中がよい。あなたの話すことは、たとえあなたがいなくなっても残り続ける。」【ネスパース族】

と~ま君さんがリツイート | RT

【源氏物語ゆかりの地】 紫式部と越前たけふ ~福井県越前市~ ⇒kakitutei.web.fc2.com/murasaki/etize…

と~ま君さんがリツイート | RT

広島県に鎮座する厳島神社。真っ赤な鳥居が特徴的です。しかし明治の一時期、この鳥居&社殿が「朱色」ではなくなった時期があります。色を落として「白木」の姿になってしまったのです。※その後、また朱色に戻され現在に至ります。miyajima-wch.jp/jp/itsukushima…

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ぼく、雪って、下からはえてくるんだと思ってたよ! - ムーミン

と~ま君さんがリツイート | RT

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最後くらいきちんと総括して、大学生さんたちとはお別れしたかったからである。

2014年07月23日 10時00分51秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

9:36である。

明日の教えている方の大学講義で使う資料を作っていた。それで在籍している方の大学には行けなくなった。そうなのだ。いかなオレでも、良心というのがあって、明日で最後の講義になるから、総括をしたいと思ったのである。そのためには、せっせと資料を作って、授業構想をたてるしかないのである。

これまで教育の技術と方法というのをやらさせていただいて、最後くらいきちんと総括して、大学生さんたちとはお別れしたかったからである。(オレも現役の大学生だけれども=混乱のもとである)

なんでもそうだ。

最後はきちんとしめくくりたい。
最後くらいは。そして感謝の気持ちを表現することである。

かの有名な内田樹センセの「教育=贈与論」を資料として使って、90分やるつもりである。むろん他にも資料は使うが。

どんな話だって、それを聴いている時は、理解できない。学校の授業だって、後からじわじわと効いてくるのであって即効性はない。つまり卒業してから、わかってくることがたくさん世の中にはあるからである。

だからこそ、内田センセの云う「卒後教育」が大事となる。オレのやっている生涯学習である。

学校時代に教えてもらっていることは、「謎」である。なんだかよくわからないけど、ともかく先生から贈り物をもらうわけである。役に立つか、立たないかなんていうことは、問題外である。それをわかるようになりたければ「成熟」して、大人になるしかない。

よくいるではないか。学生時代にやんちゃで、不良で、どうしようもなかったのが、成熟して大人になってから、非常に大成するのが。そういう人は、学生時代に周囲に「謎」ばっかりあって、わけがわからなかったのである。

道を踏み外す美女もそうだ。周囲にチヤホヤされるから、自分にかけられた「謎」がわからなかったのである。だから、気がついたときにはもう遅いということになる。

教育というのは、受け手が気がつかない「謎」なのである。だから、贈与になるのである。

オレも他人のことは言えない。

在学させていただいている大学でも、多くの謎かけをしていただいた。先生方に、classmateたちに。最後の学年になってそれがしみじみ理解できた。夢も持たせていただいた。知ることのよろこびも、還暦過ぎて持たせていただいた。感謝しかない。

今頃になってやっとわかったのである。63歳でやっとわかったのである。太宰治ではないが、恥の多い生涯であることよん。まったくあふぉ~でございまする。

だから、在籍大学の関係者、先生方、classmateたちには、「ありがとうございました」とか「さようなら」とか、テレサテンみたいに「忘れないでね」とか、やっているのである。そしたら、まだ退学していないではないかと云われてしまったけど。

でもねぇ、人生そのものが残り少なくなってくると、常に逆転の発想というか、残りの刑期を待っている死刑囚みたいなもので、時間を意識するのでありますよ。ホンマに。

どういうふうにくたばっていくのか、逆にオレも楽しみにしているんだけれども。

内田センセのいうように、「ああああああああああ、あの学校に行って良かった」と思えるようになりたいもんである。たぶん、オレはそう感じるであろうと思う。今からそう思っているのだから。



さよなら!

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これからは趣味で生きていく

2014年07月23日 07時02分42秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

おはようございます。

今は7:14である。今日も暑いのだろうなぁ~と思うと、大学に逃げていきたくなる。どうしようか。水曜日だから、塾もないし、非常勤講師させていただいている大学の仕事もない。もっとも、非常勤講師は前期だけの仕事だから、もうすぐ終わる。後期はないからだ。後は、ひたすら論文を書くことだ。もっとも、QualifyTestが合格すればの話であるが。なにしろ夢にまで出てくるのだから。

わはははっはっはは。

教えるのは得意だが、自分がタメされるのはイヤだってかとclassmateたちから云われたことがあるが、まったくそのとおりである。参ったね、参った。そのとおりであるからだ。

そもそも実力があればいいのだろうけれども、オレは、天下一品の超劣等生である。自他共にそれは認める。酒呑むしか能がねぇからなぁ~。

これで学生をさせていただいている大学から放り出されたら、朝から飲んだくれていて、それこそ60代で死んじゃったらどうしようもない。

それだけはいかん。やらないけど。いや、死ぬんじゃなくて、呑む方。まだ、死にたくはないからだ。

そういう意味で生涯学習はいろいろな厄難を防止するためにもいいものである。

それにしても、いい経験だったよん。60過ぎて現役大学生にさせていただいたことは。こんな経験もう二度とないだろうからなぁ。本当に、少ない友人たちだけだったけど、親切にしてもらったからなぁ。ありがてぇよん。パソコンが使えないって云うと、たちどころに教えていただいたし。単位の取り方がわからねぇと即教えてくれたし。図書館の使い方も、指導してくれたのだった。あ、中国語も教えてもらったんだっけ。呆れ果てられながら。ご迷惑をおかけしました。

(^.^)ご(-.-)め(__)ん(-。-)ね(^.^)

まだ退学していねぇけど、全てが過去形で語らざるを得なくなるのももうすぐである。仕方がない。時間はどんどん過ぎていくからである。

一瞬一瞬が、オレにとっては貴重な時間であったのだ。

明日どうなるかわからない、そういう老残の日々であるからである。だから貴重なんだなぁ。しみじみとそう思う。周囲に若い人が多いということは、オノレの老残の身を自覚させてくれる。

若い人たちの中にぽつんと放り出されていると、年取ってしまったのを忘れてしまうだろうというのではない。ますます、じいいになったことが鮮明に事実として突きつけられる。

それでも、じじいはじじいなりに充実した余生を送りたいものであるという姿勢だけは持ち続けたい。そう思っている。成果は出せないだろうけど。成果主義の人生はもういいのだ。十分そういう人生という戦場で戦いすぎたからである。

疲れてしまったかもしれない。現役で仕事している時期は、それほど大変であったのである。

これからは「趣味」で生きていく。

なんの趣味だって?

生涯学習である。

わははっはははっはは。

 

(^_^)ノ""""

 

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7月22日(火)のつぶやき

2014年07月23日 05時48分29秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

これから大学に通学するけれども

昨夜は、小椋佳さんを聴きながらゆっくりと過ごしていた。白ワインを含みながら。おいしかったな、実に。

図書館で、ノルマとしている原稿... goo.gl/VP2K0E



青山繁晴ザボイスそこまで言うか!_2014年07月17日 goo.gl/UynktH


塾から帰ってきて、風呂に入ってちょっと書き物をして、これから寝る。

今日は疲れた。なんでか。日本霊異記を読みながら、論文を作っていたのだ。け... blog.goo.ne.jp/tym943/e/2e21e…


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明日も大学に行って論文を書きたい

2014年07月22日 22時38分46秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

塾から帰ってきて、風呂に入ってちょっと書き物をして、これから寝る。

今日は疲れた。なんでか。日本霊異記を読みながら、論文を作っていたのだ。けっこうシビアである。かなりの枚数になってきたが、まだまだである。内容も大幅に組み替えてあるからシビアなのである。

明日からは今昔物語集から論文を作成する。なかなか困難なものである。しかも、今年に入ってもう一人おられる先生からご指導をいただき、目が覚めた思いであるから、枚数もこれでいいのかと思っていたら、なんと500枚だとおっしゃる。

本当にシビアなものである。文学の学位は取れないと聞いていたが、マジにそうだ。立教大学だって、ドイツ文学では明治以来課程博士なんていないと聴いたことがあるからである。

そういえば、オレの最初の母校だって、それこそ学部時代の成績を非常に厳しく査定されたっけなぁ。とてもじゃないが、試験すら受けることができなかったのだ。修士課程ですらそうであったのである。それこそQualifyTestである。

最近はそのQualifyTestが夢にまで出てくる。

自信はまったくない。

あるはずもない。

本当にアタマがわり~なぁ~と慨嘆しているからだ。英語も、中国語もできない。できないのに、英語だけは塾ならば教えることができるっていうのだから、おかしいもんだ。受験用の英語は、もう違っているのだよん。あれは語学とは言えないのかもしれない。

しょうもねぇじじいですよ。


明日も大学に行って論文を書きたい。それに涼しいしねぇ。

でも、あれだな。修士課程の若い人ばかりで、オレ、まったくの孤独なのだ。知らないのだ。誰もだ。

わけ~人はいっぱいいるけど、オレのことを哀れんで指導したりしてくれたclassmateたちは、どこに行ってしまったのだろうか。姿も見えない。故郷に帰ってしまったのかな。
ま、オレのことなんか眼中にないだろうから、どうでもいいような話ではある。

あれだな。オレに中国語おせーてくれている学部の男子学生だけが頼りですな。富士山の山小屋でアルバイトするって先週云っていたけど、あの男、なかなかniceである。おもしれぇのだ。

今度、居酒屋で飲みたいくらいである。むろん、彼女同伴でもいいから。オレのおごりである。

それくらいのカネはオレでもあるからねぇ~。

夏休みは、ひたすら論文を書く。それにQualifyTestの勉強だ。

これで人生最後の大勝負だろうから。


明日も、8時くらいから院生室に籠もるつもりだ。

暑いしねぇ・・・・・。



一人ぼっちだけれども、それでもオレは楽しいからである。



(^_^)ノ""""



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これから塾に行くのだが

2014年07月22日 18時01分12秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

これから塾である。

楽しみである。

待っていてねぇ~。

 

しかし、今日は若干ながら疲れている。

参ったな。

ちょっと学生として頑張りすぎましたな。

 

さっき居眠りが出てしまいまいしたよ。

気をつけよう。

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/