わりと最初の方で、周吾のこんな気持ちが書かれる。
「周吾は結婚をあきらめていた。父を施設に預けたまま、結婚することはできない。だから結婚したら父と三人で暮らすことになるが、父の介護を妻に頼むのはあまりにも忍びなかった。いや、その前に、認知症の義父との同居を受け入れるような女性がいるはずもない」
う~ん。若いわ、周吾くん。
もう少し年とれば力も抜けるんだけどなあ。
周吾が、女性に対して積極的になれないのは、昔つきあっていた女性の死をひきずっているという面もある。
10年近くも女性を好きになる気持ちを持てなかった周吾が恋に落ちたのは、ここだろうなあ。
外出した父親にせがまれて缶ビールを一本飲ませてしまうのだが、施設にもどる帰り道、あと少しで着くというときに、父親は失禁してしまう。
てきぱきとその始末をしてくれたのがあかりだった。浴室に連れて行ってシャワーで下半身を流し、着替えさせ、ズボンを洗ってくれたのだ。
~ 周吾は恐縮して何度も頭を下げた。あかりは入浴介助用の短パンを穿き、ビニール製のエプロンを着けているが、タオル地のシャツはシャワーの飛沫を受けてびっしょり濡れている。 ~
「実はビールを飲ましてしまいまして」と言い訳する周吾に、「いいんです、気にしないください。お父さんだってたまには飲みたいですよね」と答えながら、「濡れて額に落ちかかった前髪を軽くかき上げた」。
周吾でなくてもきゅんときてしまうではないか。
上手だなあと思うのは、このシーンのあとすぐにこんな描写を入れるところだ。
~ 駐車場から車を出し、大通りを少し走ると、バス停にあかりの姿が見えた。淡いクリーム色の無地のワンピースはほっそりとした身体をより華奢に見せている。 ~
短パンでてきぱき仕事をする描写と、細身の姿を対比させて、仕事場を離れたあかりが抱えている不安をイメージさせる。
実はこのあと、万引きの疑いをかけられた娘の志歩のもとに二人で駆けつけるシーンへとつながっていく。
このとき、志歩が、母親以外には口がきけないという症状であることを知る。
そんな志歩と、メールでやりとりするうちに、だんだんと心を開いてくる様子が描かれる。
父の介護との関係で、会社の精鋭として参加を求められたプロジェクトを辞退すること。
同僚の若い女性から誘われて断る夜(あ~、もったいな)。
あかりが夜勤の時に骨折してしまった入所者の親族がおこした訴訟問題。
そして、あかりの家を探し出して暴れる元夫と、なんとか逃げ出して保護される母娘。
人は生きていれば何かは起こる。
その時々において、それはとんでもない悲しみを伴うものであったり、耐え難いものであったりする。でもそれをなんとかやり過ごしていけば、また何もないかのような日常が繰り返される。
華やかな人生を過ごしているように見える人も、情け容赦ない暮らしを強いられてるように見える人も、本質は同じだ。
いろんな人生があり、そこには運のいい悪いや幸せ不幸せはあるかに見えるが、自分の力でなんとかできるものでもない。
まちがっても「努力すれば道は開かれる」なんて単純なものではない。
それでも人は日常を積み重ねていくしかないのだ。
元夫から逃れるために引っ越しをしたあかりは、のぞみ苑もやめることになった。
久しぶりに連絡がとれたあかりと志歩が、周吾の家を訪ねてくる。
あかりは、川越を離れ、さいたま市内で派遣型のケアサービスの職を得たという。
父の恭三は、ずっとのぞみ苑にいるのではなく、ショートステイとデイサービスの組み合わせにしたらどうか、デイサービスは自分が担当したいとの申し出を、周吾は心強く受け入れる。
~ あかりは包丁で果実の皮をむくと、一口分をスライスして、「味見してみます」と言って、包丁にのせて差し出した。
周吾は果実をつまんで口にいれた。滑らかな舌触りとともに濃厚な甘みが口の中に広がった。
「すごくおいしい」と周吾は言った。
「よかった」とあかりは言い、包丁を手にまな板に向き直った。 ~
自分の想いを口に出したら幸せな逃げてしまうような気がした周吾は、心の中で「どんなことがあなたを守る」とささやく。
いろんな出来事があり、紆余曲折があり、父と息子、母と娘とが築き上げてきた二人静かな日々がある。
そして周吾とあかりの間に訪れる二人静な日々を予感させて幕を閉じるこの小説は、忘れがたい作品になるだろう。
盛田隆二という作家を何年か前におしえてくれた札幌の友人に感謝したい気持ちだ。
えらそうな言い方をします。小説としての性格も手法も全くちがうけれど、『1Q84』と並ぶ今年の日本文学の収穫だと思う。