日本の文学の二大素材は「恋愛」と「死」です。「相聞(恋の歌)」「挽歌(死者を悼む歌)」が二大素材だった万葉集の時代から変わってません。だから、両方つかえば、簡単に小説が一本書けます。
誰かを好きになった、ラブラブになれた、どちらかに死が訪れる、「助けてくださ~い!」でいっちょうあがりです … 、などという話を小説を教える最初のよくする。
映画「おにいちゃんのハナビ」も、また「白血病テーマか」という気持ちが正直あったので、どうしようかなと思っていたが、敬愛する快楽亭ブラック師匠がほめてらしたので、新宿武蔵野館にでかけてきたのだが、早く観て、みなさんにお勧めすればよかったと後悔するような素晴らしい作品だった。
こんなシーンを入れれば、ほらみんな泣くでしょ、というようなあざとさが全然ない。
もちろん、亡くなる寸前まで周囲を気遣い、明るくふるまおうとする少女のけなげさは、とことん胸をうつ。でも谷村美月ちゃんのお芝居もあってのことだが、わざとらしさが感じられない。
妹を看取るのが恋人ではなくて兄という設定も大事だ。
しかも兄は、妹の病気療養のために引っ越してきたこの土地になじめず、ひきこもりになっているところから映画ははじまる。
半年の入院を経て家にかえった妹の華は、そんな兄をなんとかしようとする。
クラスメイトに頼んで街に連れ出してみたり、アルバイトを紹介したり。
兄からすれば、はっきりいってうざいだろうなと思う。母親がおなじことをするなら、「うるせぇ、ほっといてくれ」と言って、家中であばれまくることだろう。
そこは妹だから、兄もしぶしぶ従わざるを得ないのだが、それも含めてひきこもりの度合いは、そんなにひどいものではないのだろう。
そんな兄にとって一番きつかったのは、その土地の同級生たちの寄り合いに参加させられることだ。
なんとか会という名前の同級会の単位がその町にはあり、その会が二十歳、厄年、還暦などの節目節目の年に花火をあげることが、村の最も大きな行事になっている。
花火の好きな華は、兄にその会に入り、しっかり花火をあげてほしい、おにいちゃんの花火が見たいと言う。
もちろんそれは自分のためにというより、この土地で暮らしていく兄が、少しでもまわりにとけこめるようにとの思いに基づいた願いでもある。
「おめえみたいなよそ者は、会には入れられねえ」と拒絶する地元の若者の姿や、会の運営のようす、祭りに向けてのいろんな確執が描かれるのだが、これも地元の雰囲気をよくとらえ、共同体の良い面も悪い面もきちっと伝わる。
というように、白血病の妹、成長していく兄の様子、それを支え見守る両親、またその家族の生きる地域共同体の姿が、多層的に描かれていることが、たんなるお涙頂戴でなくしている。
様々なエピソードや伏線が一気に収斂していく最後の花火のシーンは、見事としか言いようがなかった。
すでにその場にはいない妹が、兄のために一生懸命まいてくれた種が、花火大会の夜、大輪の花を咲かせる。
花火にこめられたたくさんの人の思いが夜空をいっぱいに彩る。
それが人々の心には焼きつけられるものの、現実の美しさ自体は一瞬のうちに消えていくことまで含めて、花火はわたしたち人間の一生を象徴するようで、胸にせまってくる。
人は一人では生きられないこともないではないけど、複数で生きた方がいいよ、そんなに臆病にならなくていいよ、気がつかないうちに支え支えられている関係ってあるんだよというメッセージが、おしつけがましくなく伝わってくる。
グッジョブ!というより、監督さんありがとうと叫びたい気持ちだった。
それにしても、「大奥」とか「海猿」とかはどこででもやっているのに、この作品が都内の2館ぐらいでしかやってないのはもったいなさすぎる。
美月ちゃんがあまりにかわいかったので、いきおいで「明日やること、ゴミ出し、愛想笑い、恋」も見にいったら、こちらは普通の学芸会レベルでした。
誰かを好きになった、ラブラブになれた、どちらかに死が訪れる、「助けてくださ~い!」でいっちょうあがりです … 、などという話を小説を教える最初のよくする。
映画「おにいちゃんのハナビ」も、また「白血病テーマか」という気持ちが正直あったので、どうしようかなと思っていたが、敬愛する快楽亭ブラック師匠がほめてらしたので、新宿武蔵野館にでかけてきたのだが、早く観て、みなさんにお勧めすればよかったと後悔するような素晴らしい作品だった。
こんなシーンを入れれば、ほらみんな泣くでしょ、というようなあざとさが全然ない。
もちろん、亡くなる寸前まで周囲を気遣い、明るくふるまおうとする少女のけなげさは、とことん胸をうつ。でも谷村美月ちゃんのお芝居もあってのことだが、わざとらしさが感じられない。
妹を看取るのが恋人ではなくて兄という設定も大事だ。
しかも兄は、妹の病気療養のために引っ越してきたこの土地になじめず、ひきこもりになっているところから映画ははじまる。
半年の入院を経て家にかえった妹の華は、そんな兄をなんとかしようとする。
クラスメイトに頼んで街に連れ出してみたり、アルバイトを紹介したり。
兄からすれば、はっきりいってうざいだろうなと思う。母親がおなじことをするなら、「うるせぇ、ほっといてくれ」と言って、家中であばれまくることだろう。
そこは妹だから、兄もしぶしぶ従わざるを得ないのだが、それも含めてひきこもりの度合いは、そんなにひどいものではないのだろう。
そんな兄にとって一番きつかったのは、その土地の同級生たちの寄り合いに参加させられることだ。
なんとか会という名前の同級会の単位がその町にはあり、その会が二十歳、厄年、還暦などの節目節目の年に花火をあげることが、村の最も大きな行事になっている。
花火の好きな華は、兄にその会に入り、しっかり花火をあげてほしい、おにいちゃんの花火が見たいと言う。
もちろんそれは自分のためにというより、この土地で暮らしていく兄が、少しでもまわりにとけこめるようにとの思いに基づいた願いでもある。
「おめえみたいなよそ者は、会には入れられねえ」と拒絶する地元の若者の姿や、会の運営のようす、祭りに向けてのいろんな確執が描かれるのだが、これも地元の雰囲気をよくとらえ、共同体の良い面も悪い面もきちっと伝わる。
というように、白血病の妹、成長していく兄の様子、それを支え見守る両親、またその家族の生きる地域共同体の姿が、多層的に描かれていることが、たんなるお涙頂戴でなくしている。
様々なエピソードや伏線が一気に収斂していく最後の花火のシーンは、見事としか言いようがなかった。
すでにその場にはいない妹が、兄のために一生懸命まいてくれた種が、花火大会の夜、大輪の花を咲かせる。
花火にこめられたたくさんの人の思いが夜空をいっぱいに彩る。
それが人々の心には焼きつけられるものの、現実の美しさ自体は一瞬のうちに消えていくことまで含めて、花火はわたしたち人間の一生を象徴するようで、胸にせまってくる。
人は一人では生きられないこともないではないけど、複数で生きた方がいいよ、そんなに臆病にならなくていいよ、気がつかないうちに支え支えられている関係ってあるんだよというメッセージが、おしつけがましくなく伝わってくる。
グッジョブ!というより、監督さんありがとうと叫びたい気持ちだった。
それにしても、「大奥」とか「海猿」とかはどこででもやっているのに、この作品が都内の2館ぐらいでしかやってないのはもったいなさすぎる。
美月ちゃんがあまりにかわいかったので、いきおいで「明日やること、ゴミ出し、愛想笑い、恋」も見にいったら、こちらは普通の学芸会レベルでした。