水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

桜田門外の変

2010年10月17日 | 演奏会・映画など
 何を作りたかったのだろう。テロの肯定にならないように気をつけて作った、と監督さんがインタビューで話してらしたけど、そういう近代的な視点を勝手にもちこんだために、平板な作品になったのではないだろうか。現実というものは、われわれが机の前、頭の中で考える思想を超えたところにある。歴史に客観はない。どんなに主観を除こうとしたって、何らかの視点には立たざるを得ないのだ。
 たとえば9.11テロは、正直にいうとイスラム社会の人々の方にシンパシーを感じていた。崩れゆく貿易センターをみて、やった! 一矢報いた、と感じた人だって世界中にはたくさんいるのではないか。
 水戸藩藩士による井伊殺害は、今ふうに言えばテロかもしれない。だからといってテロはいけないなんて子供でもいうようなことを前提にして作ったんじゃ、文学にはならないし芸術にはならない。道徳じゃないのだから。 だからこそ、吉村昭は徹底して水戸藩側の視点から、それでいて善悪の価値観を極力廃して描こうとしたのだ。原作を読む力が根本的に足りてなかったのではないか。現代文の授業を受けさせてあげたい。
コメント
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