落語「子別れ」は、上・中・下の前編を演じるとCD2枚分になってしまう大作。
腕はいいが呑兵衛の大工、熊五郎。酒のいきおいで吉原に居続けをし、女房のおみつと離縁するまでが「上」。
吉原の女郎を身請けしたものの、家事もせず金を使うだけのその女が男をつくって出て行ってしまい、熊が再度独り身になる「中」。
さすがに酒をやめて仕事に精を出し始めた熊が、息子の亀吉と出会ったことをきっかけに、おみつと復縁する「下」。
「子は鎹(かすがい)」とよばれるこの「下」の部分だけが語られることが多い、ファンの多い人情話だ。
橘家文左衛門師匠でこの噺を聴くことができたが、期待にたがわぬ名演だった。
大柄で、はっきり言っていかつい顔で、ドスのきいた声を出すときは、もとやーさんかと思ってしまう師匠だ。
今日も開口一番「立派なホールだねえ、草月会館? へ、上納金で建てたんだな」とぼそっと言う。
が、見た目は豪快で、芸は実にきめ細かい。
今は酒をやめてるが、けっこうあそんだ過去をもつ熊五郎の雰囲気をよく伝わる。
また息子の亀吉の存在感がいい。たんに純粋で幼いこどもではなく、親の事情を理解して、大人のばかさかげんにあきれながら、両親が恋しい気持ちをおさえきれなくなる様子が心にしみた。
じっくり40分くらいの語りだったかな。カバンにタオルがあってよかった。
これ、堀江貴文氏だったら、たぶんムダに長いといいそうだな。
彼はいつか「小説を読むのは時間のむだ」だと言ってた。
同じ情報を得るために、ほかに有効な手段はたくさんあると。
なるほどねえ。
文学って情報を得るためのものではないから。
そういう要素もあるけど。本質ではない。
情報などほしい状態じゃない、ていうか生きる気力があんましでないんですけど、みたいな時に助けてくれるのが文学だ。
元気をくれるという助け方ではなく、もっとどうしようもない奴もいるよって教えてくれるかたちで。
堀江氏も、そういう人生の機微が理解できてれば、あのあふれる才能をもっと上手につかえたかもしれないのに。