冬乃は、わけあって郷里の長野県須坂市を離れ、夫の佐々井君とともに久里浜で暮らしている。山に囲まれた町から海沿いの町へ。家から少し歩いたところにフェリーの停泊した海が見える環境は、最初のうち、冬乃の人生からは大きな違和感を抱かせるものだった。海がどう見えるかの描写は、そのまま冬乃が久里浜をどう見ているか、自分の人生をどう生きているかを暗示させる。そのへんの自然な描き方はさすがと言うしかない。
その海の町に、長い間疎遠であった妹の菫(すみれ)が尋ねてくる。ぼやを出して住むところがなくなり、しばらく一緒に住まわせてほしいと言う。ともに大柄な姉妹だが、ぽっちゃり系の冬乃は、いくつになっても少年のような体型の菫をうらやましく見ていた。そして高校のときに漫画家としてデビューしてしまった彼女の才能も。
漫画家をすっぱりやめ、姉のもとに居候をはじめた妹は、久里浜でカフェを開くことにする。
で、いろいろあって(全部はしょるんかいっ!)、そのカフェはうまくいくんだけど、やめることになる。
山本文緒。学年はいっこ下。30代の頃その存在を知り、「才気あふるる」という言葉がぴったりの文章を楽しんでいた。直木賞を受賞した『プラナリア』もすごかったが、その少し前の『恋愛中毒』は、「恋は人を壊す」という一文で書き出された冒頭から二百数十頁後の最後の一文まで、一つとして無駄な言葉も文もないと思えた作品だった、って記憶がある。きれっきれの言葉群だった。
彼女の15年ぶりの長編という『なぎさ』は、日本語がしっとりと落ち着いている。湿り気がある。
登場人物のほぼすべてが、何らかの形で心を病んでいる、もしくは病んでいく。
主人公の冬乃も、ブラック会社で身を粉にして働く佐々井君も、その部下の川崎くんも、菫も、菫の恋人か友人かわからないようなモリくんも、佐々井の上司も、川崎くんの不倫相手も。
まともな人いたっけ? あっ、少しいたか。冬乃の相談相手になってくれた地元てぃのおじいさん。
登場人物における病んでいる人比率が高いようにも最初思えたが、実は現実の世界とやはり同じかなと思えてきた。
たとえば、はたから見たら聖人君子にしか見えないであろうこの私も、描き方によってはだいぶ危ない生活に見えてしまうかもしれないし、内面のぐじゅぐじゅを言葉にされたならとんでもないことになる。
昨日も、学校帰りにマクドで今日の予習してたら、若者が三人入ってきて、自分が高校をやめたわけとかいろいろ語り出したので、問題を解くふりをしながら、がっつり聞いてた。「それでいんだよ、がんばれ」と声をかけたい気持ちを抑えるのが大変だった。
そういうレベルで考えたら、ほとんどみんなどこかは「病んでる」のだ。
相手にされない異性をつけまわしていると「あいつはあぶない」と扱われるが、かなわない夢を追い求めている人の場合、そうそう悪くはみられない。両者とも精神状態はそう変わらないのに。
もっと言えば、「病んでる」からこそ人間だ。
久里浜へ来てから勤めはじめた会社は過労で退職し、そのあとに勤めたパート先は人間関係に耐えられず辞めた。求人サイトに登録して職探しをしていた冬乃を、一緒にカフェをやろうと誘ってくれたのが妹の菫だった。
もともと料理好きな冬乃は、他人のためにその力を発揮できることに喜びを覚え、「いらっしゃいませ」と声を出す新しい自分が好きになっていく。
店は軌道に乗り出す。ぼろぼろになって会社を辞めていた夫が、立ち直って一緒にカフェを手伝おうと言ってくれた矢先、「店は手放すことになった」と妹に告げられ、その理不尽さに涙する。
~ 頭の中には果てしなく問いかけが駆け巡ったが、不思議と静かな気持ちだった。
街の音に耳を澄ませて、絶望感と無力感に浸っていると、ふと気持ちの底の方で何か不思議なものがかすかに湧いてきて、私は顔を上げた。
… なにか、以前にはなかった力のようなものが湧いてくるのがわかった。私はもう以前の私じゃない。なにもできない私じゃない。
食い入るように手のひらを見つめていた私は顔を上げた。
店のカウンターの向こう側、コーヒーを淹れて客に手渡ししている制服姿の女性を見る。レジを打って客につりを渡している。少なくともあの仕事は私にもできそうだ。店のガラス窓の向こう、弁当屋がワゴンを出してちょうど納品に来たらしい男性と売り子の女性が話している。売り子も配達も両方ともできそうだ。私の隣でノートパソコンを広げている若いサラリーマン。これは難しそうだが、でも教えてもらえばできないこともないかもしれない。
世界が違って見えた。
… 悲しいのに、生きていけそうな気がした。こんなに泣きたいのに、なんで力がみなぎってきているのだろう。
そんなことを目まぐるしく考えているうち久里浜に着いた。改札を抜けてバスターミナルを見下ろすと、もうそこは見知らぬ町には見えなかった。 (山本文緒『なぎさ』角川書店)~
絶望しながらも、一方で今までと違う自分を感じる冬乃。
妹にひどい目に遭わされたと思う一方で、その経験こそが冬乃を大きく変えていた。
やってみればなんでもできるかもしれない。自分は外で働くのは無理かもしれない、家事しかまともにできないと思っていた自分ではなくなっている。
経験は人を変えるのだ。
経験しか人を変えられないというべきかもしれない。
~ 「私、ちょっと前まで自分は何もできない人間だって思ってたんです。今でも私なんかにできることはすごく少ないって思いますけど、でも今まで自己評価が低すぎたと思うんです。何にもできない、働く自信がないってただ嘆いて、できないんだからしょうがないってどこか開き直ってたところもあったと思います。自己評価が低すぎるのって、高すぎるのと同じくらい鼻もちならないのかもって最近気が付いたんです」 ~
この言葉、なんかよくないですか?
山本さんが、華々しい活躍をした後に心を病んで、しばらく小説をかけずに過ごした日々も、貴重な経験となっているのだろう。
もちろん、そんな経験は本人からすれば、しなくてすむならその方がいいに違いない。
でも、そのおかげもあって、この作品が生まれているなら、読者としては感謝するしかない。
その才能をゆっくりでいいから、今後も形にしていってほしいと願うだけだ。