水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

「富嶽百景」テスト問題例(3)

2019年02月05日 | 国語のお勉強(小説)

 寝る前に、部屋のカーテンをそっと開けてガラス窓越しに富士を見る。月のある夜は富士が青白く、水の精みたいな姿で立っている。〈 Ⅰ私はため息をつく 〉。ああ、富士が見える。星が大きい。あしたは、お天気だな、とそれだけが、かすかに生きている喜びで、そうしてまた、そっとカーテンを閉めて、そのまま寝るのであるが、あした、天気だからとて、別段この身には、なんということもないのに、と思えば、おかしく、一人で布団の中で苦笑するのだ。苦しいのである。仕事が、――純粋に運筆することの、その苦しさよりも、いや、運筆はかえって私の楽しみでさえあるのだが、そのことではなく、私の世界観、芸術というもの、明日の文学というもの、いわば、新しさというもの、私はそれらについて、いまだぐずぐず、思い悩み、誇張ではなしに、身悶えしていた。
 素朴な、自然のもの、したがって簡潔な鮮明なもの、そいつをさっと一挙動でつかまえて、そのままに紙に写し取ること、それよりほかにはないと思い、そう思うときには、眼前の富士の姿も、別な意味を持って目に映る。この姿は、この表現は、結局、私の考えている「単一表現」の美しさなのかもしれない、と少し富士に妥協しかけて、けれどもやはりどこかこの富士の、あまりにも棒状の素朴には閉口しているところもあり、これがいいなら、ほていさまの置物だっていいはずだ、ほていさまの置物は、どうにも我慢できない、あんなもの、とても、いい表現とは思えない、この富士の姿も、やはりどこか間違っている、これは違う、と再び思い惑うのである。

 そのころ、私の結婚の話も、〈 a一頓挫 〉のかたちであった。私のふるさとからは、全然、助力が来ないということが、はっきりわかってきたので、私は困ってしまった。せめて百円くらいは、助力してもらえるだろうと、虫のいい、独り決めをして、それでもって、ささやかでも、厳粛な結婚式を挙げ、あとの、所帯を持つにあたっての費用は、私の仕事で稼いで、しようと思っていた。けれども、二、三の手紙の往復により、うちから助力は、全くないということが明らかになって、私は、途方に暮れていたのである。このうえは、縁談断られてもしかたがない、と覚悟を決め、とにかく先方へ、事の次第を洗いざらい言ってみよう、と私は単身、峠を下り、甲府の娘さんのお家へお伺いした。幸い娘さんも、家にいた。私は客間に通され、娘さんと母堂と二人を前にして、悉皆の事情を告白した。時々演説口調になって、〈 b閉口した 〉。けれども、わりに素直に語り尽くしたように思われた。娘さんは、落ち着いて、
 「それで、おうちでは、反対なのでございましょうか。」
と、首をかしげて私に尋ねた。
 「いいえ、反対というのではなく、」私は右の手のひらを、そっと卓の上に押し当て、「おまえ一人で、やれ、という具合らしく思われます。」
 「結構でございます。」母堂は、品よく笑いながら、「私たちも、ごらんのとおりお金持ちではございませぬし、ことごとしい式などは、かえって当惑するようなもので、ただ、あなたお一人、愛情と、職業に対する熱意さえ、お持ちならば、それで私たち、結構でございます。」
 私は、お辞儀するのも忘れて、しばらく呆然と庭を眺めていた。目の熱いのを意識した。〈 Ⅱこの母に、孝行しようと思った 〉。

問一 傍線部a「一頓挫」の意味として最も適当なものを選べ。

 ア 途中でうまくいかなくなること
 イ 予想と異なる展開になること
 ウ 方法が見つからず途方にくれること
 エ 周囲の協力が得られなくなること

問二 傍線部b「閉口した」の意味として最も適当なものを選べ。

 ア 対応を考えあぐねた
 イ 自分にがっかりした
 ウ 手に負えなくて困った
 エ 思い通りの言葉が出なかった

問三 傍線部Ⅰ「私はため息をつく」とあるが、なぜか。その理由を説明せよ。

問四 傍線部Ⅱ「この母に、孝行しようと思った」とあるが、なぜか。その理由を説明せよ。

 

  〈こたえ〉

 問一 ア 
 問二 ウ
  問三 虚飾のない圧倒的な富士の美しさを目にして、
     通俗を否定し新しい文学表現を生み出そうとする
     自分の信条が揺るがせられたから。
 問四 世間的な体裁や常識にとらわれず、
     「私」個人に全幅の信頼を寄せて縁談を進めようとしてくれる母堂に
     深い感謝の念を抱いたから。

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「富嶽百景」テスト問題例(2)

2019年02月05日 | 国語のお勉強(小説)

 ことさらに、月見草を選んだわけは、富士には月見草がよく似合うと、思い込んだ事情があったからである。御坂峠のその茶店は、いわば山中の一軒家であるから、郵便物は、配達されない。峠の頂上から、バスで三十分ほど揺られて峠の麓、河口湖畔の、河口村という文字どおりの〈 ①カン 〉ソンにたどり着くのであるが、その河口村の郵便局に、私宛の郵便物が留め置かれて、私は三日に一度くらいの割で、その郵便物を受け取りに出かけなければならない。天気のよい日を選んで行く。ここのバスの女車掌は、遊覧客のために、格別風景の説明をしてくれない。それでも時々、思い出したように、はなはだ〈 ②サン 〉ブン的な口調で、あれが三ッ峠、向こうが河口湖、わかさぎという魚がいます、など、もの憂そうな、つぶやきに似た説明をして聞かせることもある。
 河口局から郵便物を受け取り、またバスに揺られて峠の茶屋に引き返す途中、私のすぐ隣に、濃い茶色の被布を着た青白い端正の顔の、六十歳くらい、私の母とよく似た老婆がしゃんと座っていて、女車掌が、思い出したように、みなさん、今日は富士がよく見えますね、と説明ともつかず、また自分一人の詠嘆ともつかぬ言葉を、突然言い出して、リュックサックしょった若いサラリーマンや、大きい日本髪結って、口もとを大事にハンケチで覆い隠し、絹物まとった芸者風の女など、体をねじ曲げ、一斉に車窓から首を出して、今さらのごとく、〈 aその変哲もない三角の山 〉を眺めては、やあ、とか、まあ、とか間抜けた嘆声を発して、車内はひとしきり、ざわめいた。けれども、私の隣の御隠居は、胸に深い憂悶でもあるのか、他の遊覧客と違って、富士には〈 b一瞥も与えず 〉、かえって富士と反対側の、山道に沿った断崖をじっと見つめて、私にはそのさまが、〈 c体がしびれるほど快く感ぜられ 〉、私もまた、富士なんか、あんな俗な山、見たくもないという、〈   ③   〉な虚無の心を、その老婆に見せてやりたく思って、あなたのお苦しみ、わびしさ、みなよくわかる、と頼まれもせぬのに、共鳴のそぶりを見せてあげたく、老婆に甘えかかるように、そっとすり寄って、老婆と同じ姿勢で、ぼんやり崖のほうを、眺めてやった。
 老婆も何かしら、私に安心していたところがあったのだろう、ぼんやり一言、
 「おや、月見草。」
 そう言って、細い指でもって、路傍の一箇所を指さした。さっと、バスは過ぎてゆき、私の目には、今、ちらとひと目見た黄金色の月見草の花一つ、花弁も鮮やかに消えず残った。
 三七七八メートルの富士の山と、立派に相〈   ④   〉し、みじんも揺るがず、なんと言うのか、金剛力草とでも言いたいくらい、けなげにすっくと立っていたあの月見草は、よかった。〈 d富士には、月見草がよく似合う 〉。

問一 波線部①「カン」・②「サン」の漢字として適当なものを選べ。

 ① カンソン 【  ア 閑  イ 寒  ウ 感  エ 簡  オ 緩 】

 ② サンブン 【 ア 産  イ 算  ウ 散  エ 三  オ 賛 】

問二 空欄③・④を補う適当な語をそれぞれ次から選べ。

 ア 曖昧  イ 傲慢  ウ 表白  エ 独立  オ 高尚  カ 対峙  キ 往生  ク 得心

問三 傍線部a「その変哲もない三角の山」と「私」が言うのは、どのような考えがあるからか。同段落から十字以上十五字以内で抜き出せ。

問四 傍線部b「一瞥も与えず」と反対の意味の表現を八字で抜き出せ。

問五 傍線部cとあるが、「体がしびれるほど快く感ぜられ」た状態の説明として適当でないものを選べ。
 ア  ほかの乗客とやや異なる雰囲気を持つ老婆のたたずまいには、何かを憂えているような雰囲気も感じられる。
 イ  老婆が整った顔立ちでしっかりした居ずまいであった点にまず心をひかれていた。
 ウ  老婆のきちんとした姿勢に刺激されて、思わず母親のことを思う心情になっている。
 エ 他の乗客とは異なる老婆のイメージが後で描かれるけなげな月見草の姿につながっていくようである。

問六 傍線部d「富士には、月見草がよく似合う」と述べる「私」の思いを説明したものとして最も適当なものを選べ。
 ア 断崖にきらめく黄金色の花弁が、高山に咲く植物としてまことに似つかわしく、周囲の風景によくマッチしているように思われたから。
 イ 富士の俗に媚びない気高さと月見草のささやかな可憐さの対照が心地よく感じられたから。
 ウ 金剛力士のように立っている月見草の姿が、富士に匹敵するぐらいたくましく、いさましいものに思えたから。
 エ 巨大な富士に対して、ささやかながらもけなげに立ち向かっている月見草に、孤高で反俗的な姿勢を感じたから。

問七 次のうち太宰治の作品はどれか、該当するものをすべて答えよ。
 ア 河童  イ 破戒  ウ 和解  エ 蒲団  オ 故郷  カ 桜桃

 

〈こたえ〉
  問一 ① イ ② ウ 
 問二 ③ オ ④ カ
  問三 あんな俗な山、見たくもない
 問四 ちらとひと目見た  
 問五 ウ  
 問六 エ  
 問七 オ・カ

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「富嶽百景」テスト問題例(1)

2019年02月05日 | 国語のお勉強(小説)

 富士の頂角、広重の富士は八十五度、文晁の富士も八十四度くらい、けれども、陸軍の実測図によって東西および南北に断面図を作ってみると、東西縦断は頂角、百二十四度となり、南北は百十七度である。広重、文晁に限らず、〈 aたいていの絵の富士 〉は、鋭角である。頂が、細く、高く、〈 ①華奢 〉である。北斎にいたっては、その頂角、ほとんど三十度くらい、エッフェル鉄塔のような富士をさえ描いている。けれども、実際の富士は、鈍角も鈍角、のろくさと広がり、東西、百二十四度、南北は百十七度、決して、秀抜の、すらと高い山ではない。たとえば私が、インドかどこかの国から、突然、鷲にさらわれ、すとんと日本の沼津辺りの海岸に落とされて、ふと、この山を見つけても、そんなにキョウ〈 ②タン 〉しないだろう。ニッポンのフジヤマを、あらかじめ憧れているからこそ、ワンダフルなのであって、そうでなくて、そのような俗な宣伝を、いっさい知らず、素朴な、純粋の、うつろな心に、はたして、どれだけ訴え得るか、〈 bそのこと 〉になると、多少、心細い山である。低い。裾の広がっているわりに、低い。あれくらいの裾を持っている山ならば、少なくとも、もう一・五倍、高くなければいけない。
 昭和十三年の初秋、思いを新たにする覚悟で、私は、かばん一つさげて旅に出た。
 甲州。ここの山々の特徴は、山々の〈 ③起伏 〉の線の、変にむなしい、なだらかさにある。小島烏水という人の『日本山水論』にも、「山の拗ね者は多く、この土に〈 c仙遊 〉するがごとし。」とあった。甲州の山々は、あるいは山の、げてものなのかもしれない。私は、甲府市からバスに揺られて一時間。御坂峠へたどり着く。
 御坂峠、海抜千三百メートル。この峠の頂上に、天下茶屋という、小さい茶店があって、井伏鱒二氏が初夏のころから、ここの二階に、籠もって仕事をしておられる。私は、それを知ってここへ来た。井伏氏のお仕事の邪魔にならないようなら、隣室でも借りて、私も、しばらくそこで仙遊しようと思っていた。
 井伏氏は、仕事をしておられた。私は、井伏氏の許しを得て、当分その茶屋に落ち着くことになって、それから、毎日、いやでも富士と真正面から、向き合っていなければならなくなった。この峠は、甲府から東海道に出る鎌倉〈 ④オウ 〉カンの衝に当たっていて、北面富士の代表観望台であると言われ、ここから見た富士は、昔から富士三景の一つに数えられているのだそうであるが、私は、あまり好かなかった。好かないばかりか、軽蔑さえした。あまりに、おあつらい向きの富士である。真ん中に富士があって、その下に河口湖が白く寒々と広がり、近景の山々がその両袖にひっそりうずくまって湖を抱きかかえるようにしている。私は、ひと目見て、〈 〉d狼狽 〉し、顔を赤らめた。これは、まるで、風呂屋のペンキ画だ。芝居の書き割りだ。どうにも注文どおりの景色で、〈 e私は、恥ずかしくてならなかった。 〉

問一 波線部①「華奢」・③「起伏」の読み方を記し、②「タン」・④「オウ」を漢字に直せ。

問二 傍線部aとあるが、「絵の富士」は、富士をどのような山として描いているのか、十字で抜き出して答えよ。

問三 傍線部b「そのこと」の指示内容として最も適当なものを選べ。
 ア 日本を訪れた外国人の心に、どれだけ訴えかけるかどうかということ。
 イ 富士に対する世間の評価を、自分達が納得できるかどうかということ。
 ウ 富士の実際の姿を見た人が、本心から感動するかどうかということ。
 エ 何の先入観もなく富士を見た人が、感動する山かどうかということ。

問四 傍線部c「仙遊」の「仙」と反対の意味をもつ漢字を、第一段落から一字で抜き出せ。

問五 傍線部d「狼狽」の意味として最も適当なものを選べ。
 ア うろたえる  イ ためらう  ウ ほくそえむ  エ はじらう

問六 傍線部e「私は、恥ずかしくてならなかった」のは、「私」が富士をどのようなものと捉えているからか。十五字で抜き出して答えよ。

 

〈こたえ〉
 問一 ①きゃしゃ ③きふく ②嘆 ④往 
 問二 秀抜の、すらと高い山  
 問三 エ  
 問四 俗  
 問五 ア
 問六 あまりに、おあつらい向きの富士

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