第二段落(5~9)
5 もちろん、個別の文章や単語を〈 (ア)タンネン 〉に検討していけば、「翻訳不可能」だと思われるような例はいくらでも挙げられる。例えばある言語文化に固有の慣用句。昔、アメリカの大学に留学していたときに、こんなことを実際に目撃した記憶がある。中年過ぎの英文学者が生まれて始めてアメリカに留学にやって来た。本はよく読めるけれども、会話は苦手、という典型的な日本の外国文学者である。彼は英文科の秘書のところに挨拶に顔を出し、しばらくたどたどしい英語で自己紹介をしていたのだが、最後に辞去する段になって、「よろしくお願いします」と言おうと思って、それが自分の和文英訳力ではどうしても英訳できないことにはたと気づき、秘書の前に突っ立ったまま絶句してしまったのだ。
6 「よろしくお願いします」というのは、日本語としてはごく平凡な慣用句だが、これにぴったり対応するような表現は、少なくとも英語やロシア語には存在しない。もっと具体的に「私はこれからここで、これこれの研究をするつもりだが、そのためにはこういうサーヴィスが必要なので、秘書であるあなたの助力をお願いしたい」といった言い方ならもちろん英語でもあり得るが、具体的な事情もなくごく〈 (イ)バクゼン 〉と「よろしくお願いします」というのは、もしも無理に「直訳」したら非常に奇妙に〈 (ウ)ヒビ 〉くはずである。秘書にしても、もしも突然やってきた外国人に藪(やぶ)から棒にそんなことを言われたら、付き合ったこともない男からいきなり「私のことをよろしく好きになってください」と言われたような感覚を覚えるのではないだろうか。
7 このような意味で訳せない慣用句は、いくらでもある。しかし、日常言語で書かれた小説は、じつはそういった慣用句の塊のようなものだ。それを楽天的な翻訳家はどう処理するのか。戦略は大きく分けて、二つあると思う。一つは、律儀な学者的翻訳によくあるタイプで、一応「直訳」してから、注をつけるといったやり方。例えば、英語で“Good morning!”という表現が出てきたら、とりあえず「いい朝!」と訳してから、その後に(訳注 英語では朝の挨拶として「いい朝」という表現を用いる。もともとは「あなたにいい朝があることを願う」の意味)といった説明を加え、訳者に学のあるところを示すことになる。しかし、小説などにこの種の注が〈 (エ)ヒンシュツ 〉するとどうも興ざめなもので、最近特にこういったやり方はさすがに日本でも評判が悪い(ちなみに、この種の注は、欧米では古典の学術的な翻訳は別として、現代小説ではまずお目にかからない)。
8 では、どうするか。そこでもう一つの戦略になるわけだが、これは近似的な「言い換え」である。つまり、同じような状況のもとで、日本人ならどう言うのがいちばん自然か、考えるということだ。ここで肝心なのは「自然」ということである。翻訳といえども、日本語である以上は、日本語として自然なものでなければならない。いかにも翻訳調の「生硬」な日本語は、最近では評価されない。むしろ、いかに「こなれた」訳文にするかが、翻訳家の腕の見せ所になる。というわけで、イギリス人が「よい朝」と言うところは、日本人なら当然「おはよう」となるし、恋する男が女に向かって熱烈に浴びせる「私はあなたを愛する」という言葉は、例えば、「あのう、花子さん、月がきれいですね」に化けたりする。
9 僕は最近の一〇代の男女の実際の言葉づかいをよく知らないのだが、英語のI love you.に直接対応するような表現は、日本語ではまだ定着していないのではないだろうか。そういうことは、あまりはっきりと言わないのがやはり日本語的なのであって、本当は言わないことをそれらしく言い換えなければならないのだから、翻訳家はつらい。ともかく、そのように言い換えが上手に行われていを訳を世間は「こなれている」として高く評価するのだが、厳密に言って〈 これ 〉は本当に翻訳なのだろうか。〈 B翻訳というよりは、これはむしろ翻訳を回避する技術なのかも知れない 〉のだが、まあ、あまり固いことは言わないでおこう。
「翻訳不可能」だと思われるような例
∥ 具 よろしくお願いします Good morning!
ぴったり対応するような表現が存在しない
訳せない慣用句
↓
楽天的な翻訳家(A2)の処理方法
a 律儀な学者的翻訳 → 興ざめ 「生硬」な日本語
b 近似的な「言い換え」 → 自然なもの 「こなれた」訳文に
↓
言い換えが上手に行われている訳
世間……高く評価
筆者……本当に翻訳なのだろうか・翻訳を回避している
Q「これ」とは何か。60字以内で記せ。
A 対応する表現がなく翻訳が不可能な時に、
忠実に訳すことを諦め、
同じ状況下で想定できる自然な表現を訳として置き換えたもの。
問3 傍線部B「翻訳というよりは、これはむしろ翻訳を回避する技術なのかも知れない」とあるが、筆者がそのように考える理由として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。
↓ 即答法で
② 慣用句のような翻訳しにくい表現でも、近似的に言い換えることによってこなれた翻訳が可能になる。だが、それは日本語としての自然さを重視するあまり、よりふさわしい訳文を探し求めることの困難に向き合わずに済ませることになるから。