23 生体を構成している分子は、すべて高速で分解され、食物として摂取した分子と置き換えられている。身体のあらゆる組織や細胞の中身はこうして常に作り変えられ、更新され続けているのである。
24 だから、〈 私たちの身体は分子的な実体としては、数か月前の自分とは全く別物になっている 〉。分子は環境からやってきて、一時、〈 淀みとしての私たち 〉を作り出し、次の瞬間にはまた環境へと解き放たれていく。
25 つまり、環境は常に私たちの身体の中を通り抜けている。いや「通り抜ける」という表現も正確ではない。なぜなら、そこには分子が「通り過ぎる」べき容れ物があったわけではなく、ここで容れ物と呼んでいる私たちの身体自体も「通り過ぎつつある」〈 分子が、一時的に形作っている 〉にすぎないからである。
26 つまり、〈 そこ 〉にあるのは、流れそのものでしかない。その流れの中で、私たちの身体は変わりつつ、かろうじて一定の状態を保っている。その流れ自体が「生きている」ということなのである。シェーンハイマーは、この生命の特異的なありように〈 「動的な平衡」というすてきな名前 〉をつけた。
Q20「私たちの身体は分子的な実体としては、数か月前の自分とは全く別物になっている」といえるのはなぜか。本文の言葉を用いて40字以内で答えよ。
A20 身体のあらゆる組織や細胞の中身は常に作り変えられ、更新され続けているから。
Q21「淀みとしての私たち」とはどういうことを表しているのか(60字以内)。
A21 私たちの身体は、環境における分子の流れが一時的に形を作り、
かろうじて一定の状態を保っているものにすぎないということ。
Q22「分子が、一時的に形作っている」ものは何か。9文字で抜き出して答えよ。
A22 淀みとしての私たち
Q23「そこ」とはどこか。2字で記せ。
A23 身体
Q24「『動的な平衡』というすてきな名前をつけた」とあるが、どういうところが「すてき」なのか。
A24 一見パラドキシカルな名前だが、生命の様相を実によく言い表していること。
生体を構成する分子
↓ 置き換わる
食物として摂取した分子
∥
身体の組織や細胞 … 常に更新され続ける
↓
分子的身体……数か月前の自分とは全く別物
分子 …… 環境 → 淀みとしての私たち → 環境
身体……分子が一時的に形作っているもの
∥
流れそのもの
∥
「生きている」
∥
生命の特異的なありよう→「動的な平衡」
……動いているけどとまっている→「すてき」
24 だから、〈 私たちの身体は分子的な実体としては、数か月前の自分とは全く別物になっている 〉。分子は環境からやってきて、一時、〈 淀みとしての私たち 〉を作り出し、次の瞬間にはまた環境へと解き放たれていく。
25 つまり、環境は常に私たちの身体の中を通り抜けている。いや「通り抜ける」という表現も正確ではない。なぜなら、そこには分子が「通り過ぎる」べき容れ物があったわけではなく、ここで容れ物と呼んでいる私たちの身体自体も「通り過ぎつつある」〈 分子が、一時的に形作っている 〉にすぎないからである。
26 つまり、〈 そこ 〉にあるのは、流れそのものでしかない。その流れの中で、私たちの身体は変わりつつ、かろうじて一定の状態を保っている。その流れ自体が「生きている」ということなのである。シェーンハイマーは、この生命の特異的なありように〈 「動的な平衡」というすてきな名前 〉をつけた。
Q20「私たちの身体は分子的な実体としては、数か月前の自分とは全く別物になっている」といえるのはなぜか。本文の言葉を用いて40字以内で答えよ。
A20 身体のあらゆる組織や細胞の中身は常に作り変えられ、更新され続けているから。
Q21「淀みとしての私たち」とはどういうことを表しているのか(60字以内)。
A21 私たちの身体は、環境における分子の流れが一時的に形を作り、
かろうじて一定の状態を保っているものにすぎないということ。
Q22「分子が、一時的に形作っている」ものは何か。9文字で抜き出して答えよ。
A22 淀みとしての私たち
Q23「そこ」とはどこか。2字で記せ。
A23 身体
Q24「『動的な平衡』というすてきな名前をつけた」とあるが、どういうところが「すてき」なのか。
A24 一見パラドキシカルな名前だが、生命の様相を実によく言い表していること。
生体を構成する分子
↓ 置き換わる
食物として摂取した分子
∥
身体の組織や細胞 … 常に更新され続ける
↓
分子的身体……数か月前の自分とは全く別物
分子 …… 環境 → 淀みとしての私たち → 環境
身体……分子が一時的に形作っているもの
∥
流れそのもの
∥
「生きている」
∥
生命の特異的なありよう→「動的な平衡」
……動いているけどとまっている→「すてき」