水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

「ネットが崩す公私の境」の授業(1)

2021年10月02日 | 国語のお勉強(評論)
第一段落(1~3)

1 ほぼ一世紀前、思想家ニーチェは、著者と読者について次のように述べていた。
2 「読書する暇つぶし屋を私は憎む。あと一世紀も読者なるものが存在し続けるなら、やがて精神そのものが〈 悪臭を放つ 〉ようになるだろう。だれもが読むことができるという事態は、長い目で見れば、書くことばかりか、考えることまで腐敗させる。」(『ツァラトゥストラはこう言った』中の「読むことと書くこと」から)
3 ニーチェのこの言葉は、少数の著者が多数の読者を啓蒙し教化する、という活字書物文化の特質を揶揄したものと考えられる。ニーチェが評価するのは、「血をもって」全身全霊で「書かれたもの」だけであり、暇つぶしの気楽な読書態度では、その「書かれたもの」の精神を読み解くことはできないのである。


Q1 ニーチェの言葉中のマイナスイメージの言葉に線をひきなさい。
A1 暇つぶし屋 読者なるもの 悪臭を放つ 事態 腐敗

 「読書」は、一般的にプラスですか? マイナスですか?
 本を読んで見識を高め教養を身に付けようとすることは、一般的に「悪いこと」と見なされることはないですね。
 しかし、ニーチェは読書する人を「暇つぶし屋」と揶揄する。つまり「からかってバカにする」のです。
 「君たち、読書なんてことをしているのかい? それで頭がよくなると本当に思ってるの?
  へえぇ、おめでたい人達だ。あなた方は結局何も考えず、ただ読んでるだけなのだよ。
  そんなんじゃ、頭がよくなるどころか、頭が腐ってくるよ。
  悪臭が漂ってるよ。おっと、近づかないでください、バカがうつるから……」
 大哲学者ニーテェ大先生は、性格が悪いのです……ではなくて、そこまで言わねばならぬほど、安易な読書に警告を発しているということでしょう。
 ニーテェのような言葉遣いを私がしたら、おそらく保護者の方からクレームが入ることでしょう。
 筆者自身も、さすがに自分で直接言うのは避けて引用しているのです。


 読書する暇つぶし屋
    ∥ → 精神そのものが悪臭を放つ
 読者なるもの
    ∥
 だれもが読むことができるという事態
              → 書くこと・考えることの腐敗
    ∥
 活字書物文化
     ∥  
少数の著者 → 啓蒙・教化 → 多数の読者
       ↑
   ↓
 「血をもって」全身全霊で「書かれたもの」 → 精神を読み取る

啓蒙 … 知識がないものに知識を与え知的水準を高める
     
☆ 啓蒙思想……18世紀フランスに生まれた思想
        合理主義に基づく正しい教育によって古い思想を打ち破ろうとする考え

揶揄 … 皮肉を言ってからかう

Q2「悪臭を放つ」するとは誰がどうなることか。(60字以内)
A2 近代の読者が、7
   著者の考えをそのまま受け入れるだけの読書をすることで、27
   自分の頭で考える機能を失ってしまっていること。23

  少数の著者が多数の読者を啓蒙し教化する → 読者は教えを受けるだけ
  悪臭を放つ = 腐敗する → 持っている性質を失う
  精神の腐敗 = 考えることの放棄

Q3 ニーテェはどういうことを「揶揄」しているということか。(25字以内)
A3 近代人が、啓蒙思想の価値を信じて疑っていないこと。

ニーチェの批判
 ……「知」とは合理的・科学的に与えられるものだ、という啓蒙思想を批判したもの
   近代的「知」対する懐疑

Q4 ニーチェの言葉を引用した筆者の意図は何か。
A4 ニーチェの権威を利用して自分の主張を強化するため。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする