水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

東日本吹奏楽大会

2021年10月10日 | 日々のあれこれ
 立教新座さんの演奏は、7月末のシード演奏を舞台袖できかせていただいた。
 集中力の高い演奏だった。
 20人をきっていてトランペットもいない編成で、よくここまで曲にできるものだと思ったものの、正直にいえば東日本までは想定しなかった。県大会を通過して西関東大会。そして並み居る強豪校を押しのけて、代表へ。
 今年はどこもそうだが、そんなに十分な練習時間があったわけではない。
 いつだったかのメールではふつうに週2回しかやれないと聞いた。
 こんな演奏を聴くと、やればできるかも、と勇気づけられる。もちろん鳥越先生ほどの高い音楽性も指導力もないけど、自分なりのやりかたで、過去最高は西関東金賞だから、もう一つ上を狙いたいと言っても、ばちはあたらないのかなと思えた。

 試験休み中の日曜日。自分を高めるために、朝一で渋谷東急にいき、「ポーラ美術館展」を鑑賞した。
 何がどういいいのか、絵はいっこもわからないけど、これが印象派? なるほどこれがフォビズムね、とわかったふりして歩いていると、音楽の歴史をつながってこないこともない。
 俺流塩ラーメンを食べてから学校にもどる。
 誰もいない職員室で、ネットで東日本大会を視聴する。
 札幌って、日帰りでも実際いけるなあ、ぴあでチケットまだ全然買えるなあなどと一瞬思ったけど、こうして視聴できるのはありがたい。
 そして滑川総合高校さんも立教新座さんも見事金賞。すばらしいとしか言いようがない。
 無限に遠いところにいる人達ではないはずだ(と思いたい)。
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マインドセット(3)

2021年10月10日 | 学年だよりなど
1学年だより「マインドセット(3)」


 「親ガチャ」なる言葉を見かける。
 成績がよくない、運動能力で劣る、見た目がぱっとしない……。どれも全て遺伝的なものだからしかたがない、「親ガチャ」にはずれたのだから、自分ではどうしようもない、という文脈で使われるようだ。
 生まれ育った家庭環境、とくに親の経済事情は自分ではどうしようもないから、そのせいで自分の人生は恵まれないと嘆く場合もある。
 そして一定の理解を得られたりもする。
 たしかに生まれてくる家や親は選べない。「ガチャ」かもしれない。
 自分の人生が思うようにいかない原因を、「運命」のせいにしたいときは、誰にもあるのではないだろうか。うまくいかないことが、自分の責任ではなくなるから。
 勉強ができないのは親からもらった脳みそのせい、受験に失敗したのは先生のせい、お金がなくて塾に行けなかったから、モテないのは持って生まれた容姿がぱっとしないせい、家が裕福ではないから、出世できないのは学歴が足りないから……。
 親のせい、生まれた場所のせい、世の中のせい、誰かのせいにすれば、一時の安らぎは得られる。
 しかし親ガチャに「はずれた」環境に生まれ育ち、成功をとげた人はいくらでもいる。
 ど田舎に生まれ、塾などいっこも行かず東大に入る高校生はいくらでもいる。
 貧困家庭に生まれたが起業して大金持ちになった人もいれば、体格にまったく恵まれずプロスポーツ界で活躍する人もいる。
 「ガチャ」のせいにするのは典型的な「硬直マインドセット」だ。
 そもそも「ガチャ」を言い出したら性別ガチャ、人種ガチャ、国ガチャなど、いかんともしがたいものは山ほどあるではないか。
 日本に暮らし「親ガチャで自分は不幸だ……」などと口にできている時点で、とんでもなく「良い」国ガチャをひきあてていることに気づかないといけないのに。


~ その気になれば能力はどんどん伸ばすことができるのに、なぜ、現在の能力を示すことばかりにこだわって時間をムダにするのだろう。欠点を克服しようとせずに、隠そうとするのだろう。ぶつかりあう中で自分を成長させてくれる友人やパートナーを求めずに、ただ自尊心を満たしてくれる相手を求めてしまうのだろう。新しいことに挑戦せずに、うまくできるとわかっていることばかり繰り返すのだろう。
 思いどおりにいかなくても、いや、うまくいかないときにこそ、粘りつよい頑張りを見せるのが「しなやかマインドセット」の特徴だ。人生の試練を乗り越える力を与えてくれるのは、このマインドセットなのである。
             (ドゥエック『マインドセット「やればできる」の研究』草思社)


 ガチャに逃げこまずに、がんばれば結果は出ると信じることが、スタートだ。
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