鏡に映る自分を見て、こんなだっけ? と思ったことのない人はいないのではないだろうか。
家族や友人がそれぞれどんな顔をしているかは確信がもてる。毎日のように目視してるから。
でも、自分がどんな顔をしているかは、たまに確信がもてなくなる。
そもそも、鏡に映った自分は、他人が見ている自分と、本当に同じなのだろうか。
写真もだな。たいていの場合、写真は正しい自分を写してくれない。
とくにおれのはひどく老けてたりして、勝手に年相応に変えてしまってるのがある。
先生若いですね、変わらないですねって多くの人が言うから、写真がまちがっているのに決まっているのだ。
高校1年の坂平陸は、朝目覚めると同じクラスの水村まなみになっていた。
原因と考えられるのは、一緒にプールに落ちたことぐらいだ。
二人は「異邦人」という喫茶店で待ち合わせて対策を練り、夕方学校に忍び込んで、いろいろ試してみる。
もう一度プールに飛び込んだり、頭をぶつけてみたり、階段をころげおちてみたり。
しかし元にもどらない。「もう一晩待ってみよう」と水村が言う。
翌朝になる。
~ あの朝ほど絶望を感じた時はない。目を覚まして真っ先に目に入ってきたのは、ピンク色のカーテンだった。まどろみのぼんやりとした視界の中にその色が映し出された瞬間、脳味噛が一気に覚醒した。ベッドから飛び起きて、足をもつれさせながら鏡の前に立つ。 水村まなみだった。水村まなみが、荘然自失で自らを眺めている姿がそこに映っていた。息がしづらい。鼓動の音が耳元で鳴ってうるさい。痺れる指先で携帯電話をつかみ、坂平家の電話番号を打つ。苛々と右足を揺すりながらコール音を数えていると、三コールめが鳴り終わると同時に「はい、坂平です」と男の声が聞こえた。
「おいふざけんなよ、全然元に戻ってねえじゃんか」 ~
「坂平くん、落ち着いて」と言う声が聞こえる
「うるせぇ、おれの体返せよ!」と思わず叫んでしまう。
もちろん女子の高い声でだ。
二日続けて二人で休むわけには行かないから、とりあえず学校で話そうと水村が男の声で言う。
~ 学校で会おう、と水村は言った。でもこんなになってまで行く必要はあるんだろうか? どう考えたって勉強なんてしている状況じゃない。何より気持ちが日常についていかない。学校へ行くつもりの水村に対して頭がおかしいとすら思った。できれば布団の中で丸まって、悪夢が終わるのをじっと静かに待っていたかった。
それでもなんとか学校へ向かう準備をし始めたのは、まだ日常から逸脱したくない気持ちがあったからだろう。水村に教えてもらった通りに付けていたナプキンは赤くべっとりと汚れていた。何かを焦がしたような臭いがする。トイレに向かい汚れたそれをごみ箱に捨て、棚にあった新しいナプキンを取り出し下着に付ける。その一連の行為にすら、俺は一体何をしているんだろうと虚しくなる。トイレを出ると、制服に着替え、空っぽの鞄にベッドに放り投げたままだった携帯電話を入れて、寝癖を手櫛で整えて階段を下りる。 (君嶋彼方『君の顔では泣けない』角川書店)~
入れ替わったことは二人だけの秘密にすることにした。
そもそも、誰かに言ったところで信じてもらえるかどうかもわからない。
二人は周囲に気づかれないよう、お互い情報交換しながら暮らし始める。
まさかそのまま15年も、別の人生を生きることになるとは思いもしないで。
男女の中身が入れ替わる物語は、映画や小説でたくさん作られてきた。
一番有名なのは、大林監督の映画「転校生」だろう。その原作である山中恒『おれがあいつであいつがおれで』も有名だ。
説明できないけど『おれのあそこがあいつのあれで』という古泉智浩のマンガもおもしろかったなあ。
映画『君の名は』は大ヒットしたし、先日の綾瀬はるかさんと高橋一生さんの入れ替わりドラマは、二人の役者さんとしてのポテンシャルが存分に発揮された名作だった。
現実にそんなことってあるのだろうか。
多重人格や、記憶が変わる症例は、現実にあるようだけど、男女の入れ替わりはどうなのだろう。
そして、世の中に「入れ替わりもの」があまた存在するのに、新人の作家さんが同じ素材で書いた小説っていかほどのものなのだろう。
本の帯に辻村深月さんの推薦文があったから買ってみたけど、そこまで期待していたわけではなかった。
でも、2、3頁読み進めて、傑作の予感がした。一気読みに近い感じで読みきってみて、傑作ではなく大傑作であることがわかった。
家族や友人がそれぞれどんな顔をしているかは確信がもてる。毎日のように目視してるから。
でも、自分がどんな顔をしているかは、たまに確信がもてなくなる。
そもそも、鏡に映った自分は、他人が見ている自分と、本当に同じなのだろうか。
写真もだな。たいていの場合、写真は正しい自分を写してくれない。
とくにおれのはひどく老けてたりして、勝手に年相応に変えてしまってるのがある。
先生若いですね、変わらないですねって多くの人が言うから、写真がまちがっているのに決まっているのだ。
高校1年の坂平陸は、朝目覚めると同じクラスの水村まなみになっていた。
原因と考えられるのは、一緒にプールに落ちたことぐらいだ。
二人は「異邦人」という喫茶店で待ち合わせて対策を練り、夕方学校に忍び込んで、いろいろ試してみる。
もう一度プールに飛び込んだり、頭をぶつけてみたり、階段をころげおちてみたり。
しかし元にもどらない。「もう一晩待ってみよう」と水村が言う。
翌朝になる。
~ あの朝ほど絶望を感じた時はない。目を覚まして真っ先に目に入ってきたのは、ピンク色のカーテンだった。まどろみのぼんやりとした視界の中にその色が映し出された瞬間、脳味噛が一気に覚醒した。ベッドから飛び起きて、足をもつれさせながら鏡の前に立つ。 水村まなみだった。水村まなみが、荘然自失で自らを眺めている姿がそこに映っていた。息がしづらい。鼓動の音が耳元で鳴ってうるさい。痺れる指先で携帯電話をつかみ、坂平家の電話番号を打つ。苛々と右足を揺すりながらコール音を数えていると、三コールめが鳴り終わると同時に「はい、坂平です」と男の声が聞こえた。
「おいふざけんなよ、全然元に戻ってねえじゃんか」 ~
「坂平くん、落ち着いて」と言う声が聞こえる
「うるせぇ、おれの体返せよ!」と思わず叫んでしまう。
もちろん女子の高い声でだ。
二日続けて二人で休むわけには行かないから、とりあえず学校で話そうと水村が男の声で言う。
~ 学校で会おう、と水村は言った。でもこんなになってまで行く必要はあるんだろうか? どう考えたって勉強なんてしている状況じゃない。何より気持ちが日常についていかない。学校へ行くつもりの水村に対して頭がおかしいとすら思った。できれば布団の中で丸まって、悪夢が終わるのをじっと静かに待っていたかった。
それでもなんとか学校へ向かう準備をし始めたのは、まだ日常から逸脱したくない気持ちがあったからだろう。水村に教えてもらった通りに付けていたナプキンは赤くべっとりと汚れていた。何かを焦がしたような臭いがする。トイレに向かい汚れたそれをごみ箱に捨て、棚にあった新しいナプキンを取り出し下着に付ける。その一連の行為にすら、俺は一体何をしているんだろうと虚しくなる。トイレを出ると、制服に着替え、空っぽの鞄にベッドに放り投げたままだった携帯電話を入れて、寝癖を手櫛で整えて階段を下りる。 (君嶋彼方『君の顔では泣けない』角川書店)~
入れ替わったことは二人だけの秘密にすることにした。
そもそも、誰かに言ったところで信じてもらえるかどうかもわからない。
二人は周囲に気づかれないよう、お互い情報交換しながら暮らし始める。
まさかそのまま15年も、別の人生を生きることになるとは思いもしないで。
男女の中身が入れ替わる物語は、映画や小説でたくさん作られてきた。
一番有名なのは、大林監督の映画「転校生」だろう。その原作である山中恒『おれがあいつであいつがおれで』も有名だ。
説明できないけど『おれのあそこがあいつのあれで』という古泉智浩のマンガもおもしろかったなあ。
映画『君の名は』は大ヒットしたし、先日の綾瀬はるかさんと高橋一生さんの入れ替わりドラマは、二人の役者さんとしてのポテンシャルが存分に発揮された名作だった。
現実にそんなことってあるのだろうか。
多重人格や、記憶が変わる症例は、現実にあるようだけど、男女の入れ替わりはどうなのだろう。
そして、世の中に「入れ替わりもの」があまた存在するのに、新人の作家さんが同じ素材で書いた小説っていかほどのものなのだろう。
本の帯に辻村深月さんの推薦文があったから買ってみたけど、そこまで期待していたわけではなかった。
でも、2、3頁読み進めて、傑作の予感がした。一気読みに近い感じで読みきってみて、傑作ではなく大傑作であることがわかった。