水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

帰りました

2010年02月16日 | 日々のあれこれ
 12日から昨日までのスキー実習は、たっぷりの積雪に恵まれ、しかも期間中ほとんど雪が降らないという奇跡的な好条件のもとで実施できた。
 この時期の日本海側で、四日雨も雪も降らないということは考えられないし、しかも二日目、三日目はほぼ晴天だったのである。
 学年主任の日頃の行いがいかに良いか、もしくはここで全ての運を使い果たしてしまったか。
 冬期オリンピックがはじまり、話題になっていたボードの国母選手のニュースを、今朝映像で観ることができた。
 なるほどね。こんな状況だったのか。
 きっかけとなったブラザーの着こなしだが、平均的な若者の着こなしとしては悪くないのではないだろうか。
 選ばれし選手だからといって、あの程度の制服をきちっと着用するのは、若者として逆にどうなのかなとも思う。
 型にはまるなとか、個性を大事にせよと普段言っている人たちが、なんか急に「日本の代表として」なんて言ってるのはおかしくないか。
 スキー連盟によせられたような抗議を、自分も仕事柄受けることがある。
 おたくの生徒が電車の中でうるさいとか、道をひろがって歩くのをやめさせろとか。
 絶対に直接は注意できない人たちなんだよね。
 今回の件で問題があるとすれば、コーチとかスキー連盟とかの人たちであろう。
 抗議の電話をもらってはじめて注意をし、しかも記者会見で国母選手だけをメディアにさらしている大人諸君だ。
 大人としてこっちの方がよほど恥ずかしい。
 それから、税金で派遣されてるからちゃんとしろという人たち。
 気持ちはわかる。でも、一人当たりにしたらそんなたいしたお金出してないでしょ。
 こんなわずかな出資でオリンピックを楽しませてもらえるなんて、ありがたいじゃないですか。
 国母選手もえらいと思う。もし自分が同じ立場だったら、「こんなことでわあわあ騒ぐんなら、もう出ねぇよ」といって帰ってくると思う。
 今までの人生をふりかえってみると、そうやってふてくされて帰ってきたことは何回もある。
 オリンピックに出場できるほどの個性に対して、なんでもっと敬意をはらうことができないのだろう。
 やはりここは「Wの悲劇」での三田佳子のセリフが必要だ。
「あたしたちは、道徳を教えるために芝居をやってるんじゃないのよ」
 われわれは、アスリートたちにに道徳を教えてもらいたいわけではない。
 たぐいまれな才能を専一に磨いた者にのみに許される極上のパフォーマンスが観たいのである。
 神の領域に近づこうとしている選手たちを、われわれ平凡な一般人と同一の感覚で論じても何も生まれない。
 できれば国母選手にはいい成績をあげてほしいなあ。それで「こんなんで、文句ないすか」とかふてぶてしく語ってほしい。
 手のひら返したように讃えはじめるメディアが目に浮かぶ。
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明日からスキー実習

2010年02月11日 | 日々のあれこれ
 スキー実習、修学旅行前の最後の練習日。
 運動部は今日は休みのところが多かった。
 たしかに前日練習でけがをしたりしたら大変だから懸命な選択だと思う。
 文化部が休みにする理由はないが、体調不良者もいるので、午前だけの練習にし、わたなべ先生にハウルの合奏をやってもらった。すこし曲になってきたという話を後できいて安心した。

 私の方は、1年生の幹部3人とともに、久喜高校での交流会に参加させてもらった。
 新入部員勧誘をどうすればいいかについて話し合う会だった。
 おかげさまで、我が部が新入部員獲得段階では一定の成果を毎年あげている。
 だからといって、自然に部員が集まる部になっているわけではなく、その時々の上級生が必死に勧誘した結果である。
 部員の獲得には貪欲になってなりすぎるということはない。
 ここで本気で勧誘できるかどうかというのは、お客さん状態の部員から、部の確たる一員へと変われるいい機会でもある。
 ほとんどが楽器初心者であるわが部は、1年目でなんとか楽器の扱いを覚え、3月の演奏会で唄ったり踊ったりしてはじめて人前に自分をさらすという経験をする。
 そして新入生勧誘で、入学生たちには半ば「うざい」と思われながら、ときには直接うざいと言われながらも勧誘という行為をすることで、やっと部員になっていくという過程を経る。
 こういうことにどれだけ一生懸命取り組めるかが、その後の部活ライフ、いや人生の財産になる。
 この時の様子を見てると、この子はすぐ社会人になっても大丈夫と思える部員もいる。
 ぎゃくにそのまま世に出たのでは不安な子たちには、ここで成長してほしい。
 失敗を畏れなくていい学校生活だから、恥ずかしいとか、みっともなくないかななんて気持ちを捨てる経験をしてほしい。 
 
 
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勉強のやり方

2010年02月10日 | 日々のあれこれ
 山形大学では、新入学生対象の「スタートアップセミナー」を必修で開講し、「文の書き方」「授業ノート」のとり方などを教えることになったそうだ。
 学生にレポートを書かせると、平気で「微妙」「やばい」といった話し言葉を混ぜて書く学生がいるからだ、と大学の先生がテレビに出て解説していらっしゃった。
 でも、逆にいうと、それは自分で文章を書いているということでもある。
 ウィキをコピーペーストしただけのレポートを提出する多くの学生さんよりも、レベルが高いかもしれない。
 ていうか、高いでしょ、山形大学。
 レポートって提出するものなの? と思う学生さんの方が多い大学もある。
 レポート提出を求めることを最初から先生があきらめている大学もある。
 大学の先生の中には、高校で勉強のやりかたをもっときちっと教えてほしいと思われる方もいるだろう。
 教えてないわけではない。
 今週も、たとえば「消しゴムを使わないように」って何回も話した。
 ノートは自分の思考の過程を残さないとだめ。
 キレイに書くだけでいいなら、プリント配るよ、と。
 
~「作文力を高めよう!」「文の書き方の原則」「授業ノートのとり方」など26項目を説明。「文の長さは30~40字くらいを目安とする」などと記している。文部科学省大学振興課の担当者は「大学生に対し、これほど基礎的なことをテキストまで作って教える例は聞いたことがない」と話している。毎日新聞より ~

 さすが文科省だな。
 宇佐美寛先生の『大学の授業』『大学授業入門』も読んでないのだ。
 千葉大学の学生さんの作文を毎週何百枚も添削しながら、一文一内容を書く、主語を明確にせよなど徹底的に指導された実践記録でもあるこの本を、読んでらっしゃらない大学の先生がいることも、たぶん問題の一つなのだ。
 おお、長い文を書いたのに破綻してないおれってまじやばいかも。

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ゴールデンスランバー

2010年02月09日 | 演奏会・映画など
 今の脳の中身をもったまま学生時代にもどるのと、純粋にまっさらでやり直せるのとどっちが楽しいか試しに考えようとしてみた。
 純粋にもどった場合きっと同じあやまちを繰り返すのはまちがいはなく、今の頭を持ってもどっても同種類の別のあやまちをたぶん繰り返すのではないか。
 そういうことは起こりえないのだから、考えてもしょうがないことなのだけど、でもあの虚しいような充実してるような、楽しいようなせつないような、ひまなくせに何かにあせっているような日々を懐かしく思うのは、いくつになっても変わらない。
 その頃の友人と会うこともほとんどなくなった。
 しかし同じ時代を、空気を共有した大切な仲間だ。
 そうか、けっきょく自分の想い出、つまり自分の過去が大事だから、その一部である昔の仲間も大事なのかな。
 突然あの頃の友に出会い何か困ってるといわれたなら、金はかせないけど力になれることがあればやるよ、と打算や損得ではなく言える気はする。
 そして、おまえはそんなことで困っているのか、変わんないなと思うことだろう。逆も同じで。 

 「ゴールデンスランバー」は、その首謀者が何であるのかは最後まで示されないまま、おそらく国家権力から総理大臣暗殺の犯人に仕立て上げられた宅配ドラーバー(堺雅人)が、なんとか追っ手から逃げきろうとする話である。
 敵の力は圧倒的だ。
 ほんとうに逃げ切れるのか。
 原作が鮮明に(めずらしく)記憶にあるので、展開はわかっていて、それでもはらはらどきどきさせられた。
 圧倒的な力をもつ相手から逃げ切るための最大の武器は信頼だと堺正人は言う。
 そして学生時代の仲間、知り合い、たまたま知り合った人たちを信頼しながら、活路をみいだしていく。
 堺雅人という、最近ほんとによく働いてらっしゃるこの役者さんを主人公にしたのは大正解。なんとなく悪人ではなさそうだし、ブルースウィルスみたいな脱出行をするタイプでもないし。
 現実にはありえないが、ひょっとしたらわれわれ一般人にも起こり得る不幸かもしれないという感覚を観る人がもつのは、堺さんのキャラクターによる部分が大きいのではないか。
 もっと期待して出かけててもだいじょうぶだった。
 ストーリーの展開というか設定に、こんなにうまくいくかなと思うところはあるけど、これくらいの夢を見させてもらっていい。
 ヤホー映画のユーザーレビューを読んでたら、「総理大臣暗殺の意味がわからなくてつまらない」的なコメントがいくつかあった。
 そうか … 、そういう受け止め方なんだ。
 そういうレベルの人用にアバターみたいな映画があるのだなあと納得した。
 ツボにはまればうるっとするシーンがいくつもある(ちょろいので全部はまった)。
 観てよかった。
  

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邦楽

2010年02月08日 | 日々のあれこれ
 新聞がお休みなので朝コンビニでスポーツ新聞を買ってぱらぱら観てたら、AUN JClassicの新しいCDが出るという広告をみた。
 へえ、若手の邦楽演奏家によるユニットがあるんだ。
 邦楽のユニットで新聞に全面広告がうたれるのはめずらしい。
 和太鼓の人がメインなのかな、邦楽の世界もどんどん若い演奏家がでてきてるよね。
 尺八は石垣秀樹 … 石垣?
 まさか、と思いネットで検索したら、金沢大学琴尺八部の大先輩石垣征山さんのご子息ではないか。
 知らなかった。若くして世を去った石垣先輩のご子息が尺八のプロになられていたのだ。
 ビジュアルはお父さんよりよほどかっこいいと言っても、お母様の清美先生はきっとおこらないだろう。
 「かえるの子はかえる」というと失礼なニュアンスになってしまうな。
 才能ある親の子は同じようにその才能を発揮する、というのを表す言葉ってあるかな。
 スポーツや音楽の世界は、政治家の二世に比べたら、ちゃんと実力が試されるから、親と同じ道でプロになるというのはたいしたものだ。
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2010年02月07日 | 日々のあれこれ
 楽曲研修会にいくメンバーの一部や用事のある人がかけてて、最初の集合は30人くらいだったかな。
 今日は人数少ないけどがんばっていこうとか、声出していこうと何人か言ってたけど、30人で少ないって言ってたらばちがあたる。 演奏や運営では課題も大きいが、人がいるという一番の宝に感謝したいと思う。
 それにしても大変な風だ。
 「人はだれも ただひとり 旅に出て … 」
とか唄っている場合ではなく、
 「花びらが 散った あとの 」とか思い出したりしてる場合でもなく、案の定川越線が運転見合わせになってしまったので、途中から楽曲研に向かう数名を、駅ではなく栄高校さんまで送り、かえりがけに、半田やという大衆食堂という呼び名がぴったりのお店で、冷や奴、チキン南蛮、豚汁、ライス(計550円)をがっつりいただいた。
 ファミリーマートに寄ってタワレコからのCDを受け取る。
 店を出て車の鍵を開けようとしたら開かなくて、トラブルか?と思ったら、車をまちがえていた。
 学校にもどり、3年生の添削用のプリントを切り貼りする。
 コピーした紙にはさみを入れるとき、すこおし体をゆすってしまうが、「(紙切りの)正楽師匠か!」と誰もつっこんでくれない。
 Hrの先生をお送りし、現代文の予習を少しし、校舎の戸締まりをし、今日もくれていく。
 
 
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週末

2010年02月06日 | 日々のあれこれ
 1限目、研究授業で久しぶりに若い先生の授業をみて、若いっていいなあと感じた(年寄りか!)。
 自分もあんなにおそれをしらなかっただろうか。
 しらなかったな。
 自分はえらいと思ってて、ろくに勉強もしないのに、自分の言ってることややり方にまったく問題がないと思っていた。
 いや勉強してなかったからこそ、自分はそこそこ教えられるんじゃないかと勘違いしてたのだ。
 でもさすがに本を読んだり研究会に出かけて習ったりしてみると、自分がいかに無知であるかに気づく。
 だから賢い人というのは、自分がいかに賢くないかを知っている人であるという内田樹先生の教えも、ほんとに理解できるようになった。
 2限目、Clのリペアの方に来ていただいて、一日で全部みてもらうだんどりをする。
 3限目、スキー実習の説明会。体育科の先生のあとに続いて、スキー実習はあくまで学校の連続だからきちっと生活しよう、でもトランプとウノだけ認めます、ゲーム機はだめ、ユメタンは持って行こうと話す。
 放課後、部活開始で集金や発声練習をしてたら、教科の反省会にでそこねてしまったので、授業の先生と二人で少し反省会。
 金管楽器のとある練習用具の説明会、合奏で「私のお気に入り」。
 あまりにも譜読みができてないことに驚くが、ジャズワルツなんて今までいきてきたなかで接したことがないのだから、またリズム練習プリントをつくろうと思う。
 オーボエの先生をお見送りし、机まわりを片付け、居残りチームを駅まで送り、校舎の戸締まりをし、無事今週も終わった。
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お相撲さん

2010年02月05日 | 日々のあれこれ
 理事会の選挙とか、横綱の引退とか、本来の活動以外での話題で連日メディアがにぎわっているが、それだけわれわれは興味があるのだなと改めて思う。
 朝青龍関はどうすべきだったか的な話は、きっと今も日本中の居酒屋で語られてる。
 いざ引退という結論になった今だと、横綱を擁護する意見も出るんじゃないだろうか。
 大体ここまでにしてしまった親方や協会自体は悪くないのかとか、さんざんお金もうけしておいて本人だけを悪者にして終わりにするのかとか、お相撲さんに品格って必要なのかとか、内舘さんややくさんのどこに品格があるのかとか、きっといろいろ言ってる人がいるだろうな(私ではありません)。
 品格という数量では測れないものさしで力士の値打ちを決めるということからみても、大相撲は近代スポーツではないことはあきらかだ。
 外国からきて相撲をやろうとする人には(日本人も同じかな)、そのへんを理解してもらってから入門してもらうべきであろう。
 貴乃花親方が、理事会選挙に一石を投じ、それを評価する人はたぶん多かった。
 しかし理事会は、芸能の世界における師匠連のあつまりと同じだ。
 西洋で何百年か前に生まれた一思想にすぎない「民主的」なんて考えに基づいて組織運営しようとする方がおかしい。
 そのあたりが、「世間」を生きていながら「社会」を生きていると勘違いするわれわれ日本人の典型的なありようが、相撲界にできごとにはいろいろ現れていた。
 いま一年生の現代文で「『間』の感覚」という文章を読んでいるが、その流れで阿部謹也先生の「世間論」を少しやってみるつもりだ。
 「世間」というものさしで今の相撲の問題を考えてもらおうと思う。
 横綱にはぜひ別の格闘技の場で、その能力を発揮してほしい。
 新日本プロレスに来てくれるなら、久しぶりに観に行ってしまいそうだ。
 
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白いごはん

2010年02月04日 | 日々のあれこれ
 昨日わけあって車を修理に出した帰り、神明町にある「ごとく」というラーメン屋さんに寄った。
 まったくはじめての店なので、基本のごとくラーメンをいただいた。
 おいしかった。ふつうにおいしかった。
 今風のラーメンって、やたら濃厚な豚骨だったり、魚介のだしがやたらたくさん入ってます!的なものだったりするが、奇をてらったものではなくまっすぐな仕事ぶりだと感じた(評論家か!)
 また近くを通りかかったらぜひ寄ってみたい。
 他のメニューも期待できるだろう。

 ラーメンはものすごく美味しいけど、チャーハンは食えたもんじゃない、という店はめったにない。
 メンチカツは絶品だが、ハヤシライスは論外だという洋食店に出会うこともなさそうだ。
 おかずはおいしいけど、白い米の飯が美味しく炊けてないお弁当やさんもない。
 逆の言い方もできる。
 白いごはんがおいしく炊けないお店に、おいしいお総菜は期待できないと。

 先日バンドをみていただいた先生に「まず白い飯を炊け、そのあとに炒飯つくってもいいし、カレーをかけてもいい。」とおそわった。
 いまのうちの状態は、ごはん炊けてるかなと思ってジャーのふたを開けたら、なんだか白米なのか炊き込みごはんなのか、そもそもホントに米を炊いたのか?的な状態といえるだろう。
 楽器をかまえて、ふつうに息を入れて普通に楽器を鳴らす。
 これが難しい。
 楽器が鳴ってないからユニゾンがあわない。
 そのままハーモニー練習をやってもあうはずがない。
 だからといって、ユニゾンがあうまで他の練習をしてはいけないのか、といったらたぶんそんなこともないと思うのだ。
 勉強でも、難しい内容にであったとき、100%理解できるまで前に進まないのではなく、ある程度は妥協して前に進み、またもどってきたらすっと理解できるということもある。
 エチュードも曲もやって、その結果たくさん吹くことができて、基本の奏法も上達するという面はある。
 ただし、合ってないものは合ってないと自覚できる力はもたないといけない。
 まず「白いご飯」という意識を強くもつことだ。

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パラレルワールド

2010年02月03日 | 演奏会・映画など
 定演3部のしめは「ハウルの動く城」である。
 じぶり作品の曲は、これまでにもいくつか取り組んできたが、難易度は今回が一番高いかもしれない。
 構成、アレンジされたのは後藤洋先生で、「トゥーランドット」とともに先生の代表的作品の一つだと思う。
 曲にするのが、すなわち「音を音楽にする」のが難しそうだけど、音楽になってない今の段階でも十分感動するのだから、この楽曲の力はすごい。
 これはとんでもない仕上がりになる … 、たぶんなるんじゃないか、なればいいなあ。

 イメージをつくろうと思いアマゾンで買ってあった中古DVDを夕べ寝る前に少し観た。
 ポータブルDVDプレーヤーのちっさな画面で観ていてさえ、細部まで造り込まれた絵の存在観は圧倒的だ。
 ファンタジー観るぞモードになってなくても、いっきに世界にひきこまれていく。
 ちなみにファンタジーの定義は、自分のなかでは、パラレルワールドを描いた作品である。
 SFは自然科学をベースにしたパラレルワールドであり、ファンタジーは魔法や伝説といったものをベースにパラレルワールドをつくる。
 おお、こういうことか。
 近代的価値に基づく世界がSFで、前近代的なものをベースにするのがファンタジー。
 すべては人知によって制御できるという思想がSFのベースにあり、人知を越えた何か不思議な力に人間はあらがえないとするのがファンタジーの世界だ。
 しかし、あくまでも現実の世界とパラレルでないといけないわけで、現実ではありえないのだが、ありうるかもしれないという微妙な整合性をいかに構築するかにかかっている。
 あまりに荒唐無稽の世界をつくりすぎると興ざめになる。
 荒唐無稽度があまりになさすぎる場合、つまり「アバター」の世界みたく発想そのものが貧困な場合には、ものたりなく感じるものになる(「アバター」がアカデミー賞の候補になり、「ハウル」はアメリカではあまりお客さんが入らなかったというのは、なるほどと思える)。
 
 主人公ソフィーの声を、倍賞智恵子さんが17歳のも90歳のも演じられているのもさすが(17歳のはちょっと微妙だけどね)。
 ふと思いついたけど、韓国映画「母なる証明」の日本版を倍賞美津子さんでつくったら、いい感じになりそう。
 アントニオ猪木師のWWE殿堂入りが決まったという慶賀すべきニュースも入ってきた。 若い人にはこのつながりはわかんないですね。  



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