今や、大学は、学問の府というよりも就職斡旋業の性格が大きくなり、その性格をより強めようとし、高校にまで「大学入試の人物重視化」という形で、その流れがおしよせようとしている。
大学の就職課は、学生たちに面接や会社訪問のマナーを教えたり、自己分析をさせたり、エントリーシートの書き方を教えたりする。
『リクルートを辞めたから話せる、本当の「就活」の話』の著者である太田芳徳氏によると、大学で行われている一連の指導が、非常にまとはずれなものに見えることが多いという。
~ 現在の日本の就職事情の歪みは、この三者(注:企業・大学・学生)のねじれに由来することが大きい。
企業は就職活動にある「暗黙の大人のルール」を話さない。大学はその「企業のルール」を知らないまま学生を指導する。そして、何も知らない学生は間違ったことを覚え混乱していく。
おかしな就職指導、おかしな就職活動が繰り広げられているのは、企業の立場や考えに対する理解が深まっていなかったり、間違っているためでもある。まずは、企業の立場を知り、そして就職指導と就職活動にどのような問題があるかを知り、就活全体を見直してもらいたい。 (太田芳徳『リクルートを辞めたから話せる、本当の「就活」の話』PHPビジネス新書) ~
大学職員は、一般的な就職活動を経ることなくその職についた人が多く、その職についてしまえば大学という世間から隔離された空間で生涯を過ごす場合が多い。
そういう人が、現実の社会に対応した指導ができないのは仕方ないと筆者は述べる。
もちろん、同じことは企業側にも言えるけどね。
企業側は、いまの大学の現状も、学生の志向や文化も、そんなに理解してないとも言えるし。
だから一概に、リクルート社というまさに最先端で働いてきた著者の考えこそがすべて正しいとするわけにはいかない。
いかないけど、「企業の求める人材」が変化しているのに、それに対応できない大学や学生に問題があるといいう話は知っておくべきだろう。
「マナー講座も資格も必要ない」「自己分析などするな」と筆者はいう。
筆者は、有名難関大学ではない大学で「特別就職講座」を開いてきた。
この講座では、「つきぬける経験」をすること、「論理的に話し書ける」ようになることの二つを徹底して指導し、その大学からは過去存在しなかったような大企業への内定をかちとってきたという。
「つきぬける経験」とは、具体的には、こんな感じ。
たとえば、接客業のアルバイトをしている学生がいたなら、その職場で一番の売り上げを達成させる。
簡単なことではないが、そのために何をすればいいかを考えさせ、自分だけの力では難しいことやら、繰り返し失敗して繰り返し改善していく過程で、自分を成長させていく。
「やった! 一つ上のステージにあがれた」という体験こそが大事で、そういう経験をもっているかどうかは、人事のプロは一瞬で見抜くという。
読みながら、われわれ教員がやっている仕事って、まさにこれなんじゃないかなと思えてきた。
部活にしても勉強にしても、中途半端じゃなくて、つきぬけるレベルでやらせたいのだ。
それから国語に限らず、教室で行われている教科の勉強は、結局は論理的に物事を見るようにさせたいとの目標をもっている。
大学も後半になってあわてて「つきぬける経験」とかしようとするのではなく、突然「論理的に」読み書きしようとするのではなく、高校のうちに、高校のうちだからこそできるそれを経験してもらいたい。
人格はその結果として自然についてくると思うから。