第3段落(10~12)
10 あまり褒められたことではないのだが、ここで少し長い自己引用をさせていただく。
11 『屋根の上のバイリンガル』という奇妙なタイトルを冠した、僕の最初の本からだ。一九八八年に出て、あまり売れなかった本だから、知っている読者はほとんどいないだろう。
12 「……まだ物心つくかつかないかという頃読んだ外国文学の翻訳で、娘が父親に『私はあなたを愛しているわ』などと言う箇所があったことを、今でも鮮明に覚えている。子供心にも、ああガイジンというのはさすがに言うことが違うなあ、と妙な感心こそしたものの、決して下手くそな翻訳とは思わなかった。子供にしても純真過ぎたのだろうか、翻訳をするのは偉い先生に決まっているのだから、下手な翻訳、まして誤訳などするわけがない、と思い込んでいたのか。それとも、外国人が日本人でない以上、日本人とは違った風にしゃべるのも当然のこととして受け止めていたのか。今となっては、もう自分でも分からないことだし、まあ、そんな詮索はある意味ではどうでもいいのだが、それから二〇年後の自分が翻訳にたずさわり、そういった表現をいかに自然な日本語に変えるかで(自然というのがここでは虚構に過ぎないにしても)四苦八苦することになるだろうと聞かされたら、あの時の少年は一体どんなことを考えただろうか。自分の読んでいる翻訳書がいいものと悪いものに分かれるなどとは夢にも思わず、〈 全てが不分明な薄明のような世界 〉に浸りながら至福の読書体験を送ったかつての少年が後に専門として選んだのはたまたまロシア語とかポーランド語といった『特殊言語』であったため、当然、翻訳の秘密を手取り足取り教えてくれるようなアンチョコに出会うこともなく、始めはまったく手探りで、それこそ『アイ・ラヴ・ユー』に相当するごく単純な表現が出て来るたびに、二時間も三時間も考え込むという日々が続いていたのだった……」
昔 〈物心つくかつかないという頃〉
娘→父親 『私はあなたを愛しているわ』
↓
ガイジンというのはさすがに言うことが違う 妙な感心
下手な翻訳・誤訳などするわけがない
∥
翻訳書がいいものと悪いものに分かれるなどとは夢にも思わず、
全てが不分明な薄明のような世界に浸る
∥
至福の読書体験
今 〈翻訳者〉
そういった表現
↓
いかに自然な日本語に変えるかで四苦八苦
具 「アイ・ラヴ・ユー」 → 二時間も三時間も考え込む
Q「全てが不分明な薄明のような世界」とは何のことか、60字以内で説明せよ。
A 翻訳にいい悪いがあることなど想像もせず、
描かれた外国文化への違和感をも含め、
全てを受け入れ楽しんでいた作品世界のこと。