水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

センター2019年評論(3)

2019年02月10日 | 国語のお勉強(評論)

第3段落(10~12)

10  あまり褒められたことではないのだが、ここで少し長い自己引用をさせていただく。
11  『屋根の上のバイリンガル』という奇妙なタイトルを冠した、僕の最初の本からだ。一九八八年に出て、あまり売れなかった本だから、知っている読者はほとんどいないだろう。
12  「……まだ物心つくかつかないかという頃読んだ外国文学の翻訳で、娘が父親に『私はあなたを愛しているわ』などと言う箇所があったことを、今でも鮮明に覚えている。子供心にも、ああガイジンというのはさすがに言うことが違うなあ、と妙な感心こそしたものの、決して下手くそな翻訳とは思わなかった。子供にしても純真過ぎたのだろうか、翻訳をするのは偉い先生に決まっているのだから、下手な翻訳、まして誤訳などするわけがない、と思い込んでいたのか。それとも、外国人が日本人でない以上、日本人とは違った風にしゃべるのも当然のこととして受け止めていたのか。今となっては、もう自分でも分からないことだし、まあ、そんな詮索はある意味ではどうでもいいのだが、それから二〇年後の自分が翻訳にたずさわり、そういった表現をいかに自然な日本語に変えるかで(自然というのがここでは虚構に過ぎないにしても)四苦八苦することになるだろうと聞かされたら、あの時の少年は一体どんなことを考えただろうか。自分の読んでいる翻訳書がいいものと悪いものに分かれるなどとは夢にも思わず、〈 全てが不分明な薄明のような世界 〉に浸りながら至福の読書体験を送ったかつての少年が後に専門として選んだのはたまたまロシア語とかポーランド語といった『特殊言語』であったため、当然、翻訳の秘密を手取り足取り教えてくれるようなアンチョコに出会うこともなく、始めはまったく手探りで、それこそ『アイ・ラヴ・ユー』に相当するごく単純な表現が出て来るたびに、二時間も三時間も考え込むという日々が続いていたのだった……」


昔 〈物心つくかつかないという頃〉

 娘→父親 『私はあなたを愛しているわ』
   ↓
 ガイジンというのはさすがに言うことが違う 妙な感心
 下手な翻訳・誤訳などするわけがない
   ∥
  翻訳書がいいものと悪いものに分かれるなどとは夢にも思わず、
 全てが不分明な薄明のような世界に浸る
   ∥
 至福の読書体験

今 〈翻訳者〉
 そういった表現
   ↓
 いかに自然な日本語に変えるかで四苦八苦
  具 「アイ・ラヴ・ユー」 → 二時間も三時間も考え込む


Q「全てが不分明な薄明のような世界」とは何のことか、60字以内で説明せよ。
A 翻訳にいい悪いがあることなど想像もせず、
  描かれた外国文化への違和感をも含め、
  全てを受け入れ楽しんでいた作品世界のこと。

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シエナウインドオーケストラ

2019年02月09日 | 演奏会・映画など

 たまにプロの音を聴かないと何が正しいのか分からなくなる気がして、久しぶりにシエナウインドの定期演奏会に足を運ぶ。
 オープニングはアダムズ作曲の初めて聴く曲で、いきなりとばしてる感じに聞こえるが、軽くふいてるだけかもしれない。一つ一つ音符の粒立ち感がはんぱない。生では初めての「ココペリダンス」、リードの名曲「アーデンの森のロザリンド」に続いて、グレイアムの「メトロポリス1927」。これで前半が終わっただけというメニューは、かなり高価なフレンチにでも行った気分だ(行ったことないけど)。むしろ、イタリアンか。タッドウインドがニューヨークのヌーベルなんちゃらみたいな料理で、佼成さんが懐石かな。
 後半はまず「波の見える風景」。日本の吹奏楽を進化させたのはやはり真島先生なのだと感じる。「ワイン・ダーク・シー」は。まさに大曲で「バーンズ3番」級に心動かされた。アンコールでお客さんと一緒に「星条旗」を演奏するメンバーの方々をみながら、こんあ風にお客さんを感動させ、泣かせ、笑顔にさせ、元気にさせられるような演奏会ができたらいいなと思う。

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センター2019年評論(2)

2019年02月08日 | 国語のお勉強(評論)

第二段落(5~9)


5 もちろん、個別の文章や単語を〈 (ア)タンネン 〉に検討していけば、「翻訳不可能」だと思われるような例はいくらでも挙げられる。例えばある言語文化に固有の慣用句。昔、アメリカの大学に留学していたときに、こんなことを実際に目撃した記憶がある。中年過ぎの英文学者が生まれて始めてアメリカに留学にやって来た。本はよく読めるけれども、会話は苦手、という典型的な日本の外国文学者である。彼は英文科の秘書のところに挨拶に顔を出し、しばらくたどたどしい英語で自己紹介をしていたのだが、最後に辞去する段になって、「よろしくお願いします」と言おうと思って、それが自分の和文英訳力ではどうしても英訳できないことにはたと気づき、秘書の前に突っ立ったまま絶句してしまったのだ。
6 「よろしくお願いします」というのは、日本語としてはごく平凡な慣用句だが、これにぴったり対応するような表現は、少なくとも英語やロシア語には存在しない。もっと具体的に「私はこれからここで、これこれの研究をするつもりだが、そのためにはこういうサーヴィスが必要なので、秘書であるあなたの助力をお願いしたい」といった言い方ならもちろん英語でもあり得るが、具体的な事情もなくごく〈 (イ)バクゼン 〉と「よろしくお願いします」というのは、もしも無理に「直訳」したら非常に奇妙に〈 (ウ)ヒビ 〉くはずである。秘書にしても、もしも突然やってきた外国人に藪(やぶ)から棒にそんなことを言われたら、付き合ったこともない男からいきなり「私のことをよろしく好きになってください」と言われたような感覚を覚えるのではないだろうか。
7 このような意味で訳せない慣用句は、いくらでもある。しかし、日常言語で書かれた小説は、じつはそういった慣用句の塊のようなものだ。それを楽天的な翻訳家はどう処理するのか。戦略は大きく分けて、二つあると思う。一つは、律儀な学者的翻訳によくあるタイプで、一応「直訳」してから、注をつけるといったやり方。例えば、英語で“Good morning!”という表現が出てきたら、とりあえず「いい朝!」と訳してから、その後に(訳注 英語では朝の挨拶として「いい朝」という表現を用いる。もともとは「あなたにいい朝があることを願う」の意味)といった説明を加え、訳者に学のあるところを示すことになる。しかし、小説などにこの種の注が〈 (エ)ヒンシュツ 〉するとどうも興ざめなもので、最近特にこういったやり方はさすがに日本でも評判が悪い(ちなみに、この種の注は、欧米では古典の学術的な翻訳は別として、現代小説ではまずお目にかからない)。
8 では、どうするか。そこでもう一つの戦略になるわけだが、これは近似的な「言い換え」である。つまり、同じような状況のもとで、日本人ならどう言うのがいちばん自然か、考えるということだ。ここで肝心なのは「自然」ということである。翻訳といえども、日本語である以上は、日本語として自然なものでなければならない。いかにも翻訳調の「生硬」な日本語は、最近では評価されない。むしろ、いかに「こなれた」訳文にするかが、翻訳家の腕の見せ所になる。というわけで、イギリス人が「よい朝」と言うところは、日本人なら当然「おはよう」となるし、恋する男が女に向かって熱烈に浴びせる「私はあなたを愛する」という言葉は、例えば、「あのう、花子さん、月がきれいですね」に化けたりする。
9 僕は最近の一〇代の男女の実際の言葉づかいをよく知らないのだが、英語のI love you.に直接対応するような表現は、日本語ではまだ定着していないのではないだろうか。そういうことは、あまりはっきりと言わないのがやはり日本語的なのであって、本当は言わないことをそれらしく言い換えなければならないのだから、翻訳家はつらい。ともかく、そのように言い換えが上手に行われていを訳を世間は「こなれている」として高く評価するのだが、厳密に言って〈 これ 〉は本当に翻訳なのだろうか。〈 B翻訳というよりは、これはむしろ翻訳を回避する技術なのかも知れない 〉のだが、まあ、あまり固いことは言わないでおこう。

「翻訳不可能」だと思われるような例
   ∥  具 よろしくお願いします Good morning!
 ぴったり対応するような表現が存在しない
  訳せない慣用句

           ↓

 楽天的な翻訳家(A2)の処理方法

  a 律儀な学者的翻訳 → 興ざめ  「生硬」な日本語

  b 近似的な「言い換え」 → 自然なもの  「こなれた」訳文に
        ↓
      言い換えが上手に行われている訳
    世間……高く評価
    筆者……本当に翻訳なのだろうか・翻訳を回避している


Q「これ」とは何か。60字以内で記せ。
A 対応する表現がなく翻訳が不可能な時に、
  忠実に訳すことを諦め、
  同じ状況下で想定できる自然な表現を訳として置き換えたもの。

問3 傍線部B「翻訳というよりは、これはむしろ翻訳を回避する技術なのかも知れない」とあるが、筆者がそのように考える理由として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。
       ↓ 即答法で
 ② 慣用句のような翻訳しにくい表現でも、近似的に言い換えることによってこなれた翻訳が可能になる。だが、それは日本語としての自然さを重視するあまり、よりふさわしい訳文を探し求めることの困難に向き合わずに済ませることになるから。

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11時59分に寝る

2019年02月08日 | 学年だよりなど

    学年だより「11時59分に寝る」

 宮城県の渡辺尚人先生(元仙台青陵中等教育学校長)が、家庭での「勉強方法のエッセンス」としてまとめられた「成績を上げるための十箇条」を紹介する。


 ~ 家庭学習の習慣について
  1 決まった時間に決まった場所で勉強している。
  2 学校から帰ったら、鞄の中のものを全部出している。
  3 8時54分にテレビが終わったら、55分に机に向かっている。
   家庭学習の方法について
  4 ノートがカラフルで見やすい。
  5 ノートには「余白」を残している。
  6 手や口や耳を使って勉強している。
  7 問題集で「できた」「できない」のチェックをしている。
  8 教科書の目次や索引を使っている。
   家庭学習を支える習慣について
  9 12時前には床についている。
  10 朝御飯をきちんと食べている。                  ~


 渡辺先生は、長い間高校生を教えていて、成績の優秀な生徒の共通点を徹底的に調べ、この十箇条をまとめたそうだ。1~10のうち、いくつあてはまるだろうか?
 読んでみると、ハッとするほど特別のものはないと思う。むしろ普通すぎる。
 渡辺先生は、「そのありきたりの内容を、ちょっとした工夫の下に、どれだけ着実に実行できるか。要はこれがコツなのである。」とおっしゃる。
 すでに身に付いている人は何の問題もない。その調子で今後の高校生活を送ってほしい。
 できてない人は、まず「決まった時間に決まった場所で勉強している」を習慣にするといい。
 勉強が、歯磨きと同じ習慣になってしまえば、やる気が出る出ないなど関係なくなる。
 長距離ランナーは、フルマラソンを走った翌日でさえジョギングする。
 アスリートは、毎日何かしらのトレーニングをする。しないと気持ち悪いからだ。
 スキー実習中も、短時間は机に向かおう。
  プロのスポーツ選手にとっては、睡眠もマッサージも食事も仕事のうちだ。
 体のメンテナンスは、そのまま気持ちのメンテナンスにもなる。
 気持ちが整っていれば免疫力も上がる。
 だらだら起きていないことが、翌日のパフォーマンスを高める。その程度には自分を律することができないと、物事は身につかないということなのだろう。
 生活を分で切り替えていくと、風邪もひかない身体になる。

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センター2019年評論(1)

2019年02月07日 | 国語のお勉強(評論)

問1の漢字は、例年よりやさしめ。難関中学入試レベルかな。

(ア)丹念  ①一旦  ②鍛錬  ③丹精  ④担架  ⑤破綻
(イ)漠然  ①麦芽  ②砂漠  ③呪縛  ④爆笑  ⑤幕末
(ウ)響く  ①供給  ②逆境  ③協定  ④影響  ⑤歩道橋
(エ)頻出  ①品質  ②海浜   ③頻繁  ④来賓  ⑤貧弱
(オ)圧倒  ①逃避  ②傾倒  ③唐突  ④周到  ⑤糖分


第一段落(1~4)

1 僕は普段からあまり一貫した思想とか定見を持たない、いい加減な人間なので、翻訳について考える場合にも、そのときの気分によって二つの対極的な考え方の間を揺れ動くことになる。楽天的な気分のときは、翻訳なんて簡単さ、たいていのものは翻訳できる、と思うのだが、悲観的な気分に落ち込んだりすると、翻訳なんてものは原理的に不可能なのだ、何かを翻訳できると考えることじたい、言語とか文学の本質を弁えていない愚かな人間の迷妄ではないか、といった考えに傾いてしまう。
2 まず楽天的な考え方についてだが、翻訳書が溢れかえっている世の中を見渡すだけでいい。現実にはたいていのものが――それこそ、翻訳などとうてい不可能のように思えるフランソワ・ラブレーからジェイムズ・ジョイスに至るまで――見事に翻訳されていて、日本語でおおよそのところは読み取れるという現実がある。質についてうるさいことを言いさえしなければ、確かにたいていのものは翻訳されている、という確固とした現実がある。
3 しかし、それは本当に翻訳されていると言えるのだろうか。フランス語でラブレーを読むのと、渡辺一男訳でラブレーを読むのとでは――渡辺訳が大変な名訳であることは、言うまでもないが――はたして、同じ体験と言えるのだろうか。いや、そもそもそこで「同じ」などという指標を出すことが間違いなのかも知れない。翻訳とはもともと近似的なものでしかなく、その前提を甘受したうえで始めて成り立つ作業ではないのだろうか。などと考え始めると、やはりどうしても悲観的な翻訳観のほうに向かわざるを得なくなる。
4 しかし、こう考えたらどうだろうか。まったく違った文化的背景の中で、まったく違った言語によって書かれた文学作品を、別の言語に訳して、それがまがりなりにも理解されるということじたい、よく考えてみると、何か奇跡のようなことではないのか、と。翻訳をするということ、いや〈 翻訳を試みる 〉ということは、この奇跡を目指して、奇跡と不可能性の間で揺れ動くことだと思う。もちろん、心の中のどこかで奇跡を信じているような楽天家でなければ、奇跡を目指すことなどできないだろう。「翻訳家という楽天家たち」とは、青山南さんの名著のタイトルだが、〈 A翻訳家とはみなその意味では楽天家なのだ 〉。


1~3
 僕 → 翻訳
 A 楽天的気分 たいてい翻訳できる 
         現実にある
    ↑
    ↓
 B 悲観的気分 原理的に不可能
         近似的なものでしかない

4まったく違った文化的背景・言語
   ↓ 翻訳
 理解されること
   ∥
 奇跡のようなこと

 翻訳をする(A1)
   ↑
   ↓
 翻訳を試みる(A2) A2=A1+B
   ∥
 奇跡を目指して、奇跡と不可能性の間で揺れ動くこと
    ↓
 翻訳者……奇跡を信じる楽天家
       ∥
 翻訳家とはみなその意味では楽天家なのだ。


Q「翻訳を試みる」とは、この場合どうすることか。50字以内で記せ。
A 本来翻訳は原理的に不可能かもしれないと思いながらも、
  理解してもらえる可能性を信じ試行してみること。


 いきなり選択肢を解くのではなく、自分で正解を記述してみてから選択肢を見る勉強法は、より実力をつけることが可能だ。
 高校1年が受験する新テストで、評論を用いて記述が出題される可能性があること考えれば、積極的に、というかむしろこっちをちゃんとやるべきかもしれない。
 記述で解かせてみたあとに選択肢をみるなら、より正しく選べるはずだ。


問2 傍線部A「翻訳家とはみなその意味では楽天家なのだ」とあるが、どういうことか。

 ① 難しい文学作品を数多く翻訳することによって、いつかは誰でも優れた翻訳家になれると信じているということ。
 ② どんな言葉で書かれた文学作品であっても、たいていのものはたやすく翻訳できると信じているということ。1だけ
 ③ どんなに翻訳が難しい文学作品でも、質を問わなければおおよそのところは翻訳できると信じているということ。A1だけ
 ④ 言語や文化的背景がどれほど異なる文学作品でも、読者に何とか理解される翻訳が可能だと信じているということ。A2
 ⑤ 文学作品を原語で読んだとしても翻訳で読んだとしても、ほぼ同じ読書体験が可能だと信じているということ。  ナシ

 ①・⑤は話題がずれている。
 ②・③はA1の純粋に楽天的な要素のみ。
 「奇跡を信じるのが翻訳家」という内容がふまえられているのは、④だけ。

 

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「富嶽百景」テスト問題例(3)

2019年02月05日 | 国語のお勉強(小説)

 寝る前に、部屋のカーテンをそっと開けてガラス窓越しに富士を見る。月のある夜は富士が青白く、水の精みたいな姿で立っている。〈 Ⅰ私はため息をつく 〉。ああ、富士が見える。星が大きい。あしたは、お天気だな、とそれだけが、かすかに生きている喜びで、そうしてまた、そっとカーテンを閉めて、そのまま寝るのであるが、あした、天気だからとて、別段この身には、なんということもないのに、と思えば、おかしく、一人で布団の中で苦笑するのだ。苦しいのである。仕事が、――純粋に運筆することの、その苦しさよりも、いや、運筆はかえって私の楽しみでさえあるのだが、そのことではなく、私の世界観、芸術というもの、明日の文学というもの、いわば、新しさというもの、私はそれらについて、いまだぐずぐず、思い悩み、誇張ではなしに、身悶えしていた。
 素朴な、自然のもの、したがって簡潔な鮮明なもの、そいつをさっと一挙動でつかまえて、そのままに紙に写し取ること、それよりほかにはないと思い、そう思うときには、眼前の富士の姿も、別な意味を持って目に映る。この姿は、この表現は、結局、私の考えている「単一表現」の美しさなのかもしれない、と少し富士に妥協しかけて、けれどもやはりどこかこの富士の、あまりにも棒状の素朴には閉口しているところもあり、これがいいなら、ほていさまの置物だっていいはずだ、ほていさまの置物は、どうにも我慢できない、あんなもの、とても、いい表現とは思えない、この富士の姿も、やはりどこか間違っている、これは違う、と再び思い惑うのである。

 そのころ、私の結婚の話も、〈 a一頓挫 〉のかたちであった。私のふるさとからは、全然、助力が来ないということが、はっきりわかってきたので、私は困ってしまった。せめて百円くらいは、助力してもらえるだろうと、虫のいい、独り決めをして、それでもって、ささやかでも、厳粛な結婚式を挙げ、あとの、所帯を持つにあたっての費用は、私の仕事で稼いで、しようと思っていた。けれども、二、三の手紙の往復により、うちから助力は、全くないということが明らかになって、私は、途方に暮れていたのである。このうえは、縁談断られてもしかたがない、と覚悟を決め、とにかく先方へ、事の次第を洗いざらい言ってみよう、と私は単身、峠を下り、甲府の娘さんのお家へお伺いした。幸い娘さんも、家にいた。私は客間に通され、娘さんと母堂と二人を前にして、悉皆の事情を告白した。時々演説口調になって、〈 b閉口した 〉。けれども、わりに素直に語り尽くしたように思われた。娘さんは、落ち着いて、
 「それで、おうちでは、反対なのでございましょうか。」
と、首をかしげて私に尋ねた。
 「いいえ、反対というのではなく、」私は右の手のひらを、そっと卓の上に押し当て、「おまえ一人で、やれ、という具合らしく思われます。」
 「結構でございます。」母堂は、品よく笑いながら、「私たちも、ごらんのとおりお金持ちではございませぬし、ことごとしい式などは、かえって当惑するようなもので、ただ、あなたお一人、愛情と、職業に対する熱意さえ、お持ちならば、それで私たち、結構でございます。」
 私は、お辞儀するのも忘れて、しばらく呆然と庭を眺めていた。目の熱いのを意識した。〈 Ⅱこの母に、孝行しようと思った 〉。

問一 傍線部a「一頓挫」の意味として最も適当なものを選べ。

 ア 途中でうまくいかなくなること
 イ 予想と異なる展開になること
 ウ 方法が見つからず途方にくれること
 エ 周囲の協力が得られなくなること

問二 傍線部b「閉口した」の意味として最も適当なものを選べ。

 ア 対応を考えあぐねた
 イ 自分にがっかりした
 ウ 手に負えなくて困った
 エ 思い通りの言葉が出なかった

問三 傍線部Ⅰ「私はため息をつく」とあるが、なぜか。その理由を説明せよ。

問四 傍線部Ⅱ「この母に、孝行しようと思った」とあるが、なぜか。その理由を説明せよ。

 

  〈こたえ〉

 問一 ア 
 問二 ウ
  問三 虚飾のない圧倒的な富士の美しさを目にして、
     通俗を否定し新しい文学表現を生み出そうとする
     自分の信条が揺るがせられたから。
 問四 世間的な体裁や常識にとらわれず、
     「私」個人に全幅の信頼を寄せて縁談を進めようとしてくれる母堂に
     深い感謝の念を抱いたから。

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「富嶽百景」テスト問題例(2)

2019年02月05日 | 国語のお勉強(小説)

 ことさらに、月見草を選んだわけは、富士には月見草がよく似合うと、思い込んだ事情があったからである。御坂峠のその茶店は、いわば山中の一軒家であるから、郵便物は、配達されない。峠の頂上から、バスで三十分ほど揺られて峠の麓、河口湖畔の、河口村という文字どおりの〈 ①カン 〉ソンにたどり着くのであるが、その河口村の郵便局に、私宛の郵便物が留め置かれて、私は三日に一度くらいの割で、その郵便物を受け取りに出かけなければならない。天気のよい日を選んで行く。ここのバスの女車掌は、遊覧客のために、格別風景の説明をしてくれない。それでも時々、思い出したように、はなはだ〈 ②サン 〉ブン的な口調で、あれが三ッ峠、向こうが河口湖、わかさぎという魚がいます、など、もの憂そうな、つぶやきに似た説明をして聞かせることもある。
 河口局から郵便物を受け取り、またバスに揺られて峠の茶屋に引き返す途中、私のすぐ隣に、濃い茶色の被布を着た青白い端正の顔の、六十歳くらい、私の母とよく似た老婆がしゃんと座っていて、女車掌が、思い出したように、みなさん、今日は富士がよく見えますね、と説明ともつかず、また自分一人の詠嘆ともつかぬ言葉を、突然言い出して、リュックサックしょった若いサラリーマンや、大きい日本髪結って、口もとを大事にハンケチで覆い隠し、絹物まとった芸者風の女など、体をねじ曲げ、一斉に車窓から首を出して、今さらのごとく、〈 aその変哲もない三角の山 〉を眺めては、やあ、とか、まあ、とか間抜けた嘆声を発して、車内はひとしきり、ざわめいた。けれども、私の隣の御隠居は、胸に深い憂悶でもあるのか、他の遊覧客と違って、富士には〈 b一瞥も与えず 〉、かえって富士と反対側の、山道に沿った断崖をじっと見つめて、私にはそのさまが、〈 c体がしびれるほど快く感ぜられ 〉、私もまた、富士なんか、あんな俗な山、見たくもないという、〈   ③   〉な虚無の心を、その老婆に見せてやりたく思って、あなたのお苦しみ、わびしさ、みなよくわかる、と頼まれもせぬのに、共鳴のそぶりを見せてあげたく、老婆に甘えかかるように、そっとすり寄って、老婆と同じ姿勢で、ぼんやり崖のほうを、眺めてやった。
 老婆も何かしら、私に安心していたところがあったのだろう、ぼんやり一言、
 「おや、月見草。」
 そう言って、細い指でもって、路傍の一箇所を指さした。さっと、バスは過ぎてゆき、私の目には、今、ちらとひと目見た黄金色の月見草の花一つ、花弁も鮮やかに消えず残った。
 三七七八メートルの富士の山と、立派に相〈   ④   〉し、みじんも揺るがず、なんと言うのか、金剛力草とでも言いたいくらい、けなげにすっくと立っていたあの月見草は、よかった。〈 d富士には、月見草がよく似合う 〉。

問一 波線部①「カン」・②「サン」の漢字として適当なものを選べ。

 ① カンソン 【  ア 閑  イ 寒  ウ 感  エ 簡  オ 緩 】

 ② サンブン 【 ア 産  イ 算  ウ 散  エ 三  オ 賛 】

問二 空欄③・④を補う適当な語をそれぞれ次から選べ。

 ア 曖昧  イ 傲慢  ウ 表白  エ 独立  オ 高尚  カ 対峙  キ 往生  ク 得心

問三 傍線部a「その変哲もない三角の山」と「私」が言うのは、どのような考えがあるからか。同段落から十字以上十五字以内で抜き出せ。

問四 傍線部b「一瞥も与えず」と反対の意味の表現を八字で抜き出せ。

問五 傍線部cとあるが、「体がしびれるほど快く感ぜられ」た状態の説明として適当でないものを選べ。
 ア  ほかの乗客とやや異なる雰囲気を持つ老婆のたたずまいには、何かを憂えているような雰囲気も感じられる。
 イ  老婆が整った顔立ちでしっかりした居ずまいであった点にまず心をひかれていた。
 ウ  老婆のきちんとした姿勢に刺激されて、思わず母親のことを思う心情になっている。
 エ 他の乗客とは異なる老婆のイメージが後で描かれるけなげな月見草の姿につながっていくようである。

問六 傍線部d「富士には、月見草がよく似合う」と述べる「私」の思いを説明したものとして最も適当なものを選べ。
 ア 断崖にきらめく黄金色の花弁が、高山に咲く植物としてまことに似つかわしく、周囲の風景によくマッチしているように思われたから。
 イ 富士の俗に媚びない気高さと月見草のささやかな可憐さの対照が心地よく感じられたから。
 ウ 金剛力士のように立っている月見草の姿が、富士に匹敵するぐらいたくましく、いさましいものに思えたから。
 エ 巨大な富士に対して、ささやかながらもけなげに立ち向かっている月見草に、孤高で反俗的な姿勢を感じたから。

問七 次のうち太宰治の作品はどれか、該当するものをすべて答えよ。
 ア 河童  イ 破戒  ウ 和解  エ 蒲団  オ 故郷  カ 桜桃

 

〈こたえ〉
  問一 ① イ ② ウ 
 問二 ③ オ ④ カ
  問三 あんな俗な山、見たくもない
 問四 ちらとひと目見た  
 問五 ウ  
 問六 エ  
 問七 オ・カ

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「富嶽百景」テスト問題例(1)

2019年02月05日 | 国語のお勉強(小説)

 富士の頂角、広重の富士は八十五度、文晁の富士も八十四度くらい、けれども、陸軍の実測図によって東西および南北に断面図を作ってみると、東西縦断は頂角、百二十四度となり、南北は百十七度である。広重、文晁に限らず、〈 aたいていの絵の富士 〉は、鋭角である。頂が、細く、高く、〈 ①華奢 〉である。北斎にいたっては、その頂角、ほとんど三十度くらい、エッフェル鉄塔のような富士をさえ描いている。けれども、実際の富士は、鈍角も鈍角、のろくさと広がり、東西、百二十四度、南北は百十七度、決して、秀抜の、すらと高い山ではない。たとえば私が、インドかどこかの国から、突然、鷲にさらわれ、すとんと日本の沼津辺りの海岸に落とされて、ふと、この山を見つけても、そんなにキョウ〈 ②タン 〉しないだろう。ニッポンのフジヤマを、あらかじめ憧れているからこそ、ワンダフルなのであって、そうでなくて、そのような俗な宣伝を、いっさい知らず、素朴な、純粋の、うつろな心に、はたして、どれだけ訴え得るか、〈 bそのこと 〉になると、多少、心細い山である。低い。裾の広がっているわりに、低い。あれくらいの裾を持っている山ならば、少なくとも、もう一・五倍、高くなければいけない。
 昭和十三年の初秋、思いを新たにする覚悟で、私は、かばん一つさげて旅に出た。
 甲州。ここの山々の特徴は、山々の〈 ③起伏 〉の線の、変にむなしい、なだらかさにある。小島烏水という人の『日本山水論』にも、「山の拗ね者は多く、この土に〈 c仙遊 〉するがごとし。」とあった。甲州の山々は、あるいは山の、げてものなのかもしれない。私は、甲府市からバスに揺られて一時間。御坂峠へたどり着く。
 御坂峠、海抜千三百メートル。この峠の頂上に、天下茶屋という、小さい茶店があって、井伏鱒二氏が初夏のころから、ここの二階に、籠もって仕事をしておられる。私は、それを知ってここへ来た。井伏氏のお仕事の邪魔にならないようなら、隣室でも借りて、私も、しばらくそこで仙遊しようと思っていた。
 井伏氏は、仕事をしておられた。私は、井伏氏の許しを得て、当分その茶屋に落ち着くことになって、それから、毎日、いやでも富士と真正面から、向き合っていなければならなくなった。この峠は、甲府から東海道に出る鎌倉〈 ④オウ 〉カンの衝に当たっていて、北面富士の代表観望台であると言われ、ここから見た富士は、昔から富士三景の一つに数えられているのだそうであるが、私は、あまり好かなかった。好かないばかりか、軽蔑さえした。あまりに、おあつらい向きの富士である。真ん中に富士があって、その下に河口湖が白く寒々と広がり、近景の山々がその両袖にひっそりうずくまって湖を抱きかかえるようにしている。私は、ひと目見て、〈 〉d狼狽 〉し、顔を赤らめた。これは、まるで、風呂屋のペンキ画だ。芝居の書き割りだ。どうにも注文どおりの景色で、〈 e私は、恥ずかしくてならなかった。 〉

問一 波線部①「華奢」・③「起伏」の読み方を記し、②「タン」・④「オウ」を漢字に直せ。

問二 傍線部aとあるが、「絵の富士」は、富士をどのような山として描いているのか、十字で抜き出して答えよ。

問三 傍線部b「そのこと」の指示内容として最も適当なものを選べ。
 ア 日本を訪れた外国人の心に、どれだけ訴えかけるかどうかということ。
 イ 富士に対する世間の評価を、自分達が納得できるかどうかということ。
 ウ 富士の実際の姿を見た人が、本心から感動するかどうかということ。
 エ 何の先入観もなく富士を見た人が、感動する山かどうかということ。

問四 傍線部c「仙遊」の「仙」と反対の意味をもつ漢字を、第一段落から一字で抜き出せ。

問五 傍線部d「狼狽」の意味として最も適当なものを選べ。
 ア うろたえる  イ ためらう  ウ ほくそえむ  エ はじらう

問六 傍線部e「私は、恥ずかしくてならなかった」のは、「私」が富士をどのようなものと捉えているからか。十五字で抜き出して答えよ。

 

〈こたえ〉
 問一 ①きゃしゃ ③きふく ②嘆 ④往 
 問二 秀抜の、すらと高い山  
 問三 エ  
 問四 俗  
 問五 ア
 問六 あまりに、おあつらい向きの富士

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家事(2)

2019年02月04日 | 学年だよりなど

    学年だより「家事(2)」


 家でのお手伝いを、はじめてみたかな?
 お茶碗洗いでも、お風呂洗いでも、洗濯物をたたむのでもいい、玄関のおそうじでもいい。
 ハードルが高いなら、ストーブに灯油入れるでもいいし、サラダにドレッシングをかけるのでも認めよう。まだの人は、今日帰宅したら何かしてみよう。
 いきなり玄関をそうじを開始したら、「どうしたの?」「何してるの? 気持ち悪い」と言われる人も多そうだが、「ありがとう」と付け加えてもらったとき、悪い気がする人はいない。
 電車で年配の方に席を譲った時、自動ドアではないお店に入る際すぐ後ろにいた人のためにドアを押さえていた時、前を歩くおねえさんが落としたハンカチをさっと拾ってあげれた時……。
 そんなシーンを思い起こすと、なるほど「すいません」「ありがとう」と言われた瞬間はいい気持ちになっているなと想像できるのではないだろうか。
 そんなとき、心の状態はどうなっているのか。


 ~ 「嬉しい … 」という気持ちは、役に立って家族の一員になれた嬉しさ、お母さんと心がつながった嬉しさ、人に親切をした時の嬉しさの「充実感・満足感」ではないでしょうか。この時の「嬉しさ」で、自分の頭の中にα波が充満するのです。その後に自分の机に向かい勉強してみて下さい。α波のお陰で、驚くほど集中力と理解力が高まり勉強が捗ります。 … 穏やかで安らかな安心した心の状態から、集中力、理解力と定着力(記憶力)がアップし、抜群の頭脳になるのです。これは脳を研究している学者も認めていることです。カリカリ・イライラ状態、面白くない心の状態で、勉強ができる人はいません。 (高梨明宏「読んで心と頭の良くなる勉強法」) ~


 逆の場合を想像してみようか。そろそろ勉強しようかなと立ち上がった時に、「いつまでだらだらしてるの! 早く勉強しなさい!」と言われた時。
 ふとんから出ようと思って動きはじめた瞬間に「早く起きなさい!」と言われた時。
 友達とのちょっとしたいさかい、先生に注意されたとき、明らかに自分の方に問題があったことでさえ、他人に何か言われるとなぜかもやもやしてしまうものだ。
 そういう状態で何かに取り組んでいても、あきらかに効率が落ちている。
 人間の中で最も変わりやすいのは「心」だ。一秒もかからず正反対の方向に向けさせられる。
 物事がうまくいかない時は、そのこと自体を頑張るのはやめて、そのことをする「自分」を少し変えてみることが有効だ。
 心を変えようと思ったら、ふるまいを変えることが手っ取り早い。
 やる気のわかない授業も、「お願いします!」と元気よく声を出すと、一瞬で前向きになる。
 思うように結果が出ないとき、人はなんとかしようともがき苦しむ。
 それ自体はすばらしいことだが、同じ自分のまま努力していても、だめな自分の強化や再生産になってしまうことも多い。
 自宅での勉強の効率をよりあげるために、お手伝いから入ってみよう。

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川越市合同演奏会

2019年02月03日 | 演奏会・映画など

第14回川越市合同演奏会

日時 2019年2月3日(日)

会場 ウエスタ川越大ホール

川東演奏曲  

  インディゴ・クラウド  サウス・ランパート・ストリート・パレード

                       ご来場ありがとうございました!!

 

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