今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

心理的距離を見えなくするメディア距離

2013年07月18日 | 時事

テレ(遠隔)・コミュニケーションを可能にするメディアは、
直接対面できない人同士を、あたかも対面しているかのように近づけることができる。

ただ、それは人との距離が近いのか、遠いのかを不確定にし、混乱させることをも意味する。

なぜなら、相手の姿は感じられなくても、
相手の発した言葉(文字)は、目の前に厳然と存在し続けるから。
相手ではなく、相手のメッセージが異様に近くなるのだ。

そして、自分の言葉も、相手の目の前に提示されるという、すなわち自己と相手の間に存在するというより、
自分の脳内からほんの少し離れた近傍にのみ発せられる、と感じてしまう。

そもそも、対人関係のトラブルは、遠すぎることより、近すぎることで発生する。

なので、メディア・コミュニケーションでは、あえて遠い距離感で接するのが基本だ。

歴史の長いテレ・コミュニケーションメディアである手紙は、
とかく儀礼を尽くし、家族に対してさえも敬語・丁寧語で記すのが作法とされてきた。
それは単に作法である以上に、対人関係に対する知恵というべきだ。
私自身、家族や友人に対してはもちろん、学生に対しても、メールでは丁寧語を使う。

文字メッセージを日常の会話のつもりでくだけた口語にする人を見ると、
なんと無防備なと思う。
メディア距離に対して無頓着で危険な態度だ。

そのルーズさにまかせると、絶対とりかえしのつかない失敗をするに違いない。
一見、ものすごく近く感じるメディア距離にだまされず、
実際には遠方にいる相手に対し、それにふさわしい距離感で接する。

あえて距離を取るとは、あえて時間の間をもつことでもある。
文字メディアはそれができるのが利点である。
なので、すぐに返信を求めるようなSNS的なうざい(=距離が近すぎる)規範は、
距離の自由度が高いというメディアコミュニケーションの特質を無視している。
これはメディアを対面の代替とみなす、超古くさい発想だ。

メディア距離の近さを心理的距離の近さに誤解して
かえって対人関係に失敗するする人がいる。
距離が調整できないメディアこそ慎重に使った方がいい
(私は使わない方を選ぶ)。