今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

西野ジャパン:悔しさを糧に

2018年07月03日 | 時事

別に素人の私がコメントする必要はないのだが、ポーランド戦の采配を記事にしたので、その後についても黙っているわけにはいくまい。

夜更かしができないタチなので、ベルギー戦は録画して、翌朝再生して観た。

録画時間から、延長戦に至らなかったことは分っていたが、最後の最後でああなるとは…
本田のコーナーキックで得点をねらうべきか、延長ねらいでボールをキープすべきだったかは議論の分れるところだが、
この場で試合を決めるチャンスだったので、前者を選択するのは仕方ない(コロンビア戦で成功したし)。

この試合だけの感想としては、格上相手によくやった(ボコボコにされなかった)といえるが、ここで「感動をありがとう!」と締めくくっては意味がない。
それって「認知的不協和の低減」(心理的自己欺瞞)だから。

ホンネは、”悔しい! ”に尽きるでしょ。

グループリーグ突破は最低目標であり、それゆえポーランド戦での采配も容認できた。
その次の段階に行くのが今回の目標だった。
そしてその可能性が目の前に拡がっていた。
それがかなわなかった”悔しさ”こそが 、今回のロシア土産だ。
可能性が見えるからこそ、悔しいのだ。 

防災は、災害のたびにどうすればよかったのか、反省材料を探す。
その”結果論”が次の防災に役立てられる。
大阪直下の震度6弱の地震で、死者が5名だったのはちっともラッキーではない。
その5名が死なずに済むにはどうすべきだったのかの検証・対策が必要なのだ。

サッカーもそれと同じ。
惜しくも負けた悔しさこそがチームを強くする。
手も足も出ない相手ではなかった。
ああすればよかった、こうすべきではなかったという反省が次のプレーに活かされる。

ポーランド戦の西野監督を私は武田信玄になぞらえたが、若い頃の信玄も苦杯をなめたし(砥石崩れ)、川中島では謙信に裏をかかれ,自身が危機を迎えた。
過ちから、生きた兵法を学ぶのが知将である。 

ヨーロッパや南米の並みいるサッカー強国には個々の力では劣るものの、技術や組織力で立ち向かう日本こそ、サッカーの、いや人間そのものの新たな可能性が託されている。

ベスト16に残ったのは、ヨーロッパと南米以外は日本だけだった。
だから、日本がベスト8以上に達することは、人類的意味があるのだ。 

ガンバレ 日本!