今回新型ウイルスの感染恐怖が、マスク不足をもたらした。
そして今度はマスク不足が、他の生活必需品の供給不足への不安をもたらし、トイレットペーパーの買いだめ騒動が起きた。
漠然とした不安に駆動されているので、さらに買いだめの対象が拡散する勢いである。
これは最初の恐怖(対象が明確で切迫している)が、その恐怖対象が目の前にありながら、その恐怖に巻込まれない(感染しない)状態において、恐怖がより漠然とした不安(対象が不明確で、まだ距離がある…恐怖と不安を同一線上の程度の違いとみなす)として拡散している状態といえる。
この現象の心理分析をしているネット記事(msnニュース)があった→デマで買い占めに走る人が何とか拭いたい恐怖
記事では、往年の社会心理学者・清水幾太郎の一文を引用している所など、なかなか面白かった(ただ、社会心理学では「流言」と「デマ」は区別される)。
ついでにこれ以外の心理学的説明をしてみよう。
上に示したように、恐怖・不安という感情が、流言やパニックの原因であるが、それらの感情は自己強化(プラスのフィードバック)する性質がある。
すなわち、怖いと感じるとますます怖くなる。
この感情の自己強化は、恐怖だけでなく、怒りや悲しみ、あるいは笑いにも当てはまることは皆さんも体験済みでしょう。
なので、人間はいったん怖がり出すと必要以上に怖がってしまう。
その一方で、いまだに怖がり出さない人たちもいる。
だから防災を論じた寺田寅彦は、「正しく怖がることはむずかしい」と言ったのだ。
恐怖の自己強化の悪循環から脱するには、その感情に距離をおくしかない。
人は感情に”襲われる”。
ということは、感情は自分そのものではないのだ。
なのでわれわれは、自分を襲っている感情から距離をとれる(その方法の1つがマインドフルネスという観察瞑想)。
ただ、恐怖は頭がパニクっている状態なので、それが難しい(自分の「心の多重過程モデル」でいうと、システム1が強制作動している時はシステム3は作動しにくい)。
実は恐怖から距離がおかれた感情状態が、不安である。
われわれは、感染の不確か度(非切迫度)の点で、恐怖というようよりは、不安状態にある。
不安は、恐怖に比べて対象が不確かだから、対象がいろいろなものに拡散しやすい。
そして行動化しやすい。
別の説明も可能だ。
ある時、地震被害が軽微だった地域に、もっと大きな災害がくるという流言がひろまった。
これは災害に遭遇して発生した恐怖感情に対して、実際は恐怖に値する被害がおきなかったため、その恐怖を正当化する情報が集団的に作りあげられ、皆でそれを怖がった、と解釈されている。
言い換えれば、本来恐怖の対象であった対象に対して、何かの理由で恐怖を体験できないと(たとえば起きた地震は恐怖を味わう前に終わっている)、喚起された恐怖心を正当化するために、その対象を作り上げるのである。
この心理メカニズムは「認知的不協和の低減」といって、社会心理学では超有名な概念。
恐怖の候補が見つからなければ、一段切迫度を落として不安の候補を探す。
切迫し過ぎで逃げられない恐怖に対しては人はフリーズ(凍りつく)してしまうが※、幾分余裕のある不安に対しては、いろいろな防御策を取れる。
だから不安の方が行動化しやすいわけ。
※恐怖での行動選択肢は、実はこの他に反撃する・逃げるの2つがある。いずれも単純な本能的反応に限られる。
この行動が正しい防御策であれば問題ないが(防災行動の理想)、不安の対立感情である「安心」(不安解消)を求めるだけだと、客観的には不適切な行動を取る場合もある。
つまり、感情を感情で解決することは心理的には有効だが、真の危険に対しては解決にならないことがあるということ(他の危険を招いたり、不利益が大きかったり)。
「正しく怖がる」の”正しく”とは、恐怖の適性度合いという意味以外に、理性的にという意味もある。
感情だけで怖がるのではなく(自己強化してしまう)、問題を多重な視点で捉える理性的な思考にもとずいた危険評価(恐怖反応)をすべきということだ。
そのためには、まずは自分を”襲っている”感情から、距離をとってみよう。