今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

感染パニック映画:感染列島、復活の日

2020年03月13日 | 新型コロナウイルス

フィクションというのは、事実ではない作り話だが、
そこに何らかの真実(=普遍性=(事実)-(個別要因))が描かれていれば、
その事実に直面する場合に、何らかの参考になるのではないか。
そういう期待をこめて、”自然災害”を題材にした映画を観るようにしている。

では、今回の感染騒ぎ(とうとう”パンデミック”と認定された)ではどうか。
この種の映画(感染パニックもの)は、ジャンルとして確立している”災害もの”に比べれば、少ない。
その理由として思うに、一つは、恐怖対象そのものが不可視で映像化しにくい点(巨大竜巻や大津波のような映像的な凄みがない)。
二つは、感染の蔓延→その克服(の開始)の流れで、医者だけが頑張るストーリーに固定されてしまう点。
そこで、人間関係的葛藤を第二テーマとして加えたりするのだが、それが表に出すぎると作品を陳腐にしてしまう。

そういう作りにくさを乗り越えて(?)作品化されたものに、『アウトブレイク』(1995)があるが、
ここでは邦画に絞って表題の2つを紹介する(作品情報は wikiなどを参考)。

まずは、『感染列島』(2009)。
出演者は、妻夫木聡、檀れい、端役に爆笑問題の田中祐二。
この映画は、同年に流行した「新型インフルエンザ」をモチーフしたモノなので、
2020年の現実と共通点がある(最近の作品だし)。
なにしろ感染元が、(東南アジアの仮想のアボン共和国の)コウモリ!
その地で、主人公が重症の感染者群に囲まれ、ゾンビ映画を彷彿とさせるシーンもある。

感染場面としては、どうしても映像的に派手な飛沫感染がスローで強調されるが、
一方で患者の血→他者の手→その目への接触感染も描かれている。

感染規模としては、アボンの島と日本レベル。
映画では1つの病院での院内感染が中心に描かれる。
その場所、東京郊外の架空の”いずみ野”市なのだが、養鶏場の存在など、自分が高校時代をすごした○○○野市を思い出した(○はひらがな)。

そして、このウイルス感染の克服策として登場するのは血清療法。
2020年の現実でも、香港あたりで血清療法が試みられている。
ストーリーとしては、個人的愛情関係が目立ってしまって、それが評価を落としたようだ。

次に
この映画から30年さかのぼるのが『復活の日』(1980)
小松左京原作、深作欣二監督による角川映画。
実は、私はこの映画を、最近ある人から教えてもらうまで記憶から飛んでいた。
小学校にあがる前後から映画に親しんでいた私が覚えていないのは自分でも意外だが、
同年の黒沢作品『影武者』はちゃんと映画館で観ているので、たぶん”角川映画”という一点で無視していたのだろう。

さてこの映画の出演者だが、まずは、当時を代表するイケメン、草刈正雄。
そして、ジョージ・ケネディ、ロバート・ボーン、オリビア・ハッセーと続く。
実際映画のかなりの部分は英語音声・日本語字幕。
しかも、南極をはじめとする海外ロケ。
”日本製の洋画”というべき珍しい映画で、角川が世界へ向けて制作費をつぎ込んだという意味で大作。

話は、当時まだ続いていた東西冷戦と核戦争の脅威が前提となっており、それを小松左京が、 壮大なSF仕立てにした。
生物兵器として開発中のウイルスがあるアクシデントで漏れ出し、
「イタリアかぜ」という名でヨーロッパから世界中にパンデミック(世界的流行)を引き起こす。

そういえば、武漢発生の今回のウイルスも「生物兵器なのでは」という噂があるし、
なぜかヨーロッパではイタリアが感染の中心地になっている。

そして日本での医療崩壊が描かれ(『感染列島』の院内感染レベルとは大違い)、なんと東京での死者1000万人(東京全滅。「イタリアかぜ」なのにローマより死者が多い)。
東京都心で処理しきれない遺体が屋外に山積みされ焼却される(2020年の武漢でも市内で上る黒煙が噂になった)。
かくして、人類のほとんどが死に絶えた。
そして、たまたま南極にいたわずかな生き残り(あちこちの国)の人たちで、なんとかしようとする。
そんな中、地震によって核報復攻撃のボタンが無人のワシントンで自動的に押されてしまい、世界中はさらに放射能で汚染される。
だが、その放射線がウイルスに対する抗体を作ることになる。

かように、ストーリー(原作)も、映画(配役、ロケ)も壮大で、ちまちました邦画とは一線を画す作品なのだが(人間関係的葛藤もあるにはあったが、人類滅亡の危機に吹き飛ばされる)、
レンタルで借りて観たら、なんかいろいろ無理があって(話がでかすぎて?)、感動にまで至らなかった。
当時の評判もそのようだったらしい(DVDだと、監督を含む制作スタッフたちの裏話が聞ける)。

結局、ここで紹介した2つの映画とも、2020年の現実との接点はいくつかはあったが、参考になるというものではなかった。