今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

三河幡豆:小笠原氏史跡旅21

2020年03月08日 | 小笠原氏史跡の旅

 徳川水軍として

2011年6月

三河の幡豆(愛知県幡豆郡幡豆町:今は西尾市)を地盤とする小笠原氏がいた。

一時期惣領職であった伴野系(長清(1)の六男?の時長から信州佐久の伴野に拠点)の分家らしい。

伴野系は、長清の嫡子長経(2)が比企の乱に連座して蟄居したのをきっかけに、惣領職を得ていたが、今度は自分たちが霜月騒動に連座して壊滅的となった。

その時、泰房(時長から6代目?)の代に三河の地に移ったらしいが史実的には不明な点が多く、また同時期に長経系の長直も三河に住んだという(幡豆町史)。

その後、一時期記録が途絶え、室町期になり応永年間に、長房が一色氏の守護代として幡豆に住んでいたらしい。
この時、付近を支配していた足利一門の吉良氏に従属していた(幡豆の西隣が吉良)。

足利幕府の勢力が衰えた戦国期になると、吉良の北の西尾出身の今川氏の支配を受けるようになる。
その後は徳川の触手が伸び、当初は反抗したものの、やがて広重重広)の代(永禄年間)に従属した。

幡豆小笠原氏は、時長-泰房-長房-安元系の欠城の小笠原氏(摂津守)のほかに、貞朝(15)の次男定政から始まる広重-信元の寺部城の小笠原氏(安芸守)との二系統があったが、安元の娘と広重で縁組みがなされている。

幡豆小笠原氏自体は礼法とは縁がない。
だが、信濃惣領家の貞慶(18)が一時寄寓していたらしく、一緒に家康に会ったりしている(その後貞慶も家康に服属)。

ここの小笠原は、小笠原家の売り物である礼法や弓馬術には縁がなかったが、地の利(いや水の利)を生かして、航海術をマスターし、徳川水軍の一員となった。
それだけではなく、航海術を生かして、とてつもないことをしたらしい(それは貞頼の項で紹介)。
だが、幡豆小笠原氏は、徳川にとっては外様の家臣ということもあり、武田や北条との戦いの最前線に駆り出され、多くの戦死者を出した。


寺部城址

幡豆の図書館のほぼ向かいにある小山が寺部城趾。
本丸跡その他に史跡の看板がある。
ここに立つと目の前に三河湾が広がる(写真)。
伊勢湾の更に内海の波静かな三河湾は、幡豆小笠原氏にとっては縁側のようなものであり、ここからどこまで外海に出て行ったか。
ほかに欠城がある。

安泰寺

安元が創建したという小笠原氏の菩提寺(右写真)。
重広をはじめとする歴代小笠原氏の位牌があるという。
非公開だが、事前に連絡すれば拝観可能だという。


小笠原貞頼と小笠原諸島

長時(17)の長子(貞慶の兄)長隆の次男という貞頼
貞頼は、若くして戦死した父長隆に代って惣領家を継いだ叔父貞慶(18)とともに、幡豆に移住し、
幡豆の広重の娘を娶って、この地を拠点にしていた(叔父は他所に移った)。

その貞頼が、『巽無人島記』(享保年間、現存せず)によると、
1593(文禄2)年、今の小笠原島に達し、標柱を立てたというのである(小笠原のどの島かは不明)。
そんな大それたことができたとしたら、貞頼がいたここ幡豆小笠原が、徳川水軍としての航海術を持っていたためだ
(といっても、秀吉の朝鮮出兵に応じて出港して太平洋で難破して黒潮に流された結果とも)。
※:この話は『紀伊蜜柑船漂流記』(1670(寛文十)年)にあるという:久保田

そして、貞頼の子と称する“小笠原長直”が、江戸幕府にこの島(当時は、“巽(辰巳)無人島”と言われていた)への渡航を申請している(『巽無人島訴状』)。
またその子と称する長啓、さらにその子貞任も同様の訴状を出している(これらの二人は身分詐称と判明)。

結局、貞頼がこの島を発見・上陸したという確証は得られていないのだが、家康公から「小笠原島」の名を賜り、
これを元にこの島は今でも「小笠原(諸)島」が正式名となっている。
ということで、小笠原関係で一番有名なのが、この小笠原諸島である。

貞頼でなく貞任の件を扱った小説に新田次郎の『小笠原始末記』がある。

結果的に、この話が国際的にも公式となり、日本の領土・領海の拡大に貢献した。
すなわち、江戸幕府がここに全く無関心の間、アメリカ人の移民がこの島に住み始めていて、
さらにイギリスが領土的野心を示したのだが、
日本に通商を求めるペリー提督が彼なりに日本の歴史を調べた結果、ここは16世紀末に日本領になったと認め、
イギリスはもとより、自国アメリカの所有権も認めなかった(もちろん、幕府もそれを追認)。
日本における小笠原氏の貢献は、作法だけでなかったわけだ。


幡豆町立図書館

寺部城・大山寺と道路を挟んだ高台にある。
幡豆町史は最新のものが出版中で、地元の史家の本などもある(ネット経由で蔵書を検索できる)。
 ついでに、別の機会に訪れた隣町の吉良町図書館には、ネットで事前に確認した『小笠原流諸禮式心得』なる大正時代の小笠原流礼法の手書き文書が所蔵されている(複写させてもらった)。
この地域での唯一の小笠原流礼法書だ。
ここは名古屋からなら日帰り圏だが、せっかくだから三ケ根山上の温泉宿に泊り、翌日は三河地震の痕跡を見学した。


上総富津へ(2016年8月)

家康の関東移封に伴って、幡豆小笠原氏も関東に移った。
摂津守系の広勝と安芸守系の信元はともに上総の富津(ふっつ)に移り、江戸湾の防御を担当した。
そこでは旗本扱いとなり、城ではなく陣屋住まいであった。
摂津守系は三方ヶ原の戦いで多くの戦死者を出したこともあり、17世紀早々に途絶したが、
寺部城の安芸守系は、明治までその地で続いた。
富津の菩提寺正珊寺には代々の墓があり、富津市の文化財となっている(右写真)。


参考文献

『幡豆町史』
磯貝逸夫『きら はず歴史散歩』三河新報社
田畑道夫『小笠原島ゆかりの人々』(小笠原村教育委員会編) 文献出版
久保田安正 『小笠原屋敷ものがたり』 南信州新聞社

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心理学者の私が量子力学に接近する理由

2020年03月08日 | 心理学

私も少々「コロナ疲れ」気味なので、その話題から離れて、自分本来の関心事を開陳したい。

大学で「心理学研究法」という授業を担当している。
この授業は、心理学専攻のある大学なら必ず開講され、必修科目となっている。
心理学筋がこの授業に期待しているのは、心理学すなわち「心のメカニズムを科学的に探究する学問」が用いている方法(実験、調査、観察など)の基礎を紹介することだが、
私は、それでは不充分だと思っている。

もともと理系でなかった学生に”科学としての”心理学を紹介する授業ならば、
その”科学”とは何か、という問題から、すなわち方法(method)を基礎づける”方法論”(methodology)から始めるべきだと思い、それを実行している。

その”科学”だが、具体的には物理学が理想モデルとなっている。
ただし古典物理学である。
測定値を入れれば、予測値が一義的に計算される(ケプラー〜ニュートンで確立された)決定論的モデルだ。
それを科学の理想的在り方として、授業をしている。
心理学の1年生なら、まずはそれでいいと思っている。

ただ、研究者としては現代心理学が準拠している科学モデルが、17世紀の古典物理学のままであることに疑問を感じているので、現代物理学すなわち量子力学を参考にしたいと思っている。

もともと統計分析に依存している心理学は、個人の挙動を説明するものではなく(世間はここを誤解している※)、決定論ではなく確率論でしかものをいえないから、そちらの方がいいと思う。

※:”この選択肢を選んだ人はこういう性格です”って断言するそこらの”ニセ性格テスト”は心理学とは無関係。心理学の性格検査ではこんなことやらない理由をこの授業で説明している。

量子力学に接近するもう1つの理由がある。
それはスピリチュアルな領域における、古典物理学、とりわけ物質(粒子)的実在論では説明できない現象の解明を期待してのこと。
心的現象を波動・エネルギーととらえる、すなわち人間という現象の粒子的側面が身体で波動的側面が心という視点を確立し、
さらには、超能力的現象も量子力学的現象として説明できるのではないかという期待がある。

※:この表現自体が、古典物理学的常識に準拠したもの。

つまり、粒子的な測定で確認できないから、スピリチュアルな領域は存在しない、という視点を反証できないか。

ただ、ここで注意したいのは、量子力学の我田引水的な(都合のいい部分だけの)適用。
それは疑似科学のやり方だ。
たとえば古代からのスピ系思想が好む、マクロ(宇宙)とミクロ(人間)の現象の相似的対応(ブラフマンとアートマン、天人相関、相似象)は、量子力学では排除されている(ミクロな世界の現象は、古典物理学が通用するマクロな世界とは異なる(非相似)現象だというのが量子力学)。
また、常識に反する理論でも、ちゃんと実証という検証をクリアしているのが量子力学であり、その実証なしに、常識に反する部分だけ共通化してもそれは単なる”妄言”でしかない。
たとえば、それが本当に”波動”だというなら、まずはその振動数(周波数)などを測定して、それに基づいて論を進めなくてはならない。
なので振動数データを示さない”波動理論”は疑似科学に分類する。

量子力学の泰斗ニールス・ボーアは、古代中国の陰陽論☯を気に入っていたというが、科学的議論においては、古典物理学的文法(科学的コミュニケーション言語)で表現すべきと主張して、個人的好みをおくびにも出さなかった。
それが科学者としての矜恃であり、また古典物理学をモデルにした科学論の存在価値でもある。

ただ、こう開陳したからには、今後、このブログで、私が関与しているスピリチュアルな諸現象と(自分が理解した限りでの)量子力学とを対話させるつもりである(整合させるというより、ぶつけてみたい)。
※:本文では古典力学と対比する意味で「量子力学」と称しているが、波動や場を重視するなら「量子論」とするべきだな。

まずとりかかっているのは、霊が視えるという「霊視認経験」だが(→記事)、その現象を量子論的に解釈するには至っていない。

小笠原氏史跡旅:資料・研究論文

2020年03月08日 | 小笠原氏史跡の旅

 引用資料と小笠原流礼法の研究論文の紹介


1.【引用資料】本シリーズで引用した資料 市町村史類は省略

『長清公』 小笠原長清公顕彰会の会報 南アルプス市立図書館 櫛形
『勝山小笠原家譜』 国立国会図書館  東京、本庄
『笠系大系』(小倉小笠原氏の家譜)国立国会図書館
久保田安正 『伊那谷にこんなことが』 南信州新聞社出版局  伊賀良・伊豆木
『秀政年譜』(『笠系大系』の一部) 国立国会図書館
二木謙一 『中世武家儀礼の研究』吉川弘文館   京都、貞宗と赤澤氏
『開善寺史』  禅と礼法
小笠原清信『小笠原家弓法書』講談社 (神伝糾法修身論序文・目録と換骨法抄・体用論抄を所収)  貞宗と赤澤氏、明石
島田勇雄『小笠原流諸派の言語関係書についての試論』前田書院 貞宗と赤澤氏
福嶋紀子「竜雲山広沢寺の文書と文書整理」(『松本市史研究』14号)2004 松本、
小川渉 『会津藩教育考』 (会津藩教育考発行会 昭和6年の複製) マツノ書店 会津
増田昭子 『只見町史』第1巻(通史編1) 第五章第一節小笠原流礼法 会津
鈴木真也 「いのちの継承-会津の食から-」 奥会津書房のサイト 会津

溝口家記 (『笠系大系』の一部)  古河
黒田義隆 『史話明石城』 のじぎく文庫  明石
黒田義隆編 明石葵会 『明石藩略史』 明石
『五輪書』(原文・現代語訳・註解)播磨武蔵研究会  明石
拾聚禄 (『笠系大系』の一部) 小倉
中村和正 『唐津城の殿様たち』  唐津
岩井弘融 『開国の騎手小笠原長行』 新人物往来社 唐津
『海津市の文化財誌』
『図説勝山市史』 勝山
磯貝逸夫『きら はず歴史散歩』 三河新報社 幡豆
田畑道夫『小笠原島ゆかりの人々』(小笠原村教育委員会編) 文献出版 幡豆


【礼書(古文書)】 所蔵先 該当記事
『小笠原流躾方』南アルプス市立図書館 櫛形
『神伝糾法』 名古屋市蓬左文庫所蔵 貞宗と赤澤氏
『体用論』 名古屋市蓬左文庫所蔵 貞宗と赤澤氏
『弓馬躾の書』 松本文書館 松本
『当家糾法大双紙』(伝政康) 小笠原文庫 豊津:下記に一部を翻刻
『小笠原流諸禮式心得』 吉良町図書館 幡豆

『長時花伝書』(翻刻) 国立国会図書館  松本、東京
『食物服用之巻』(翻刻)続群書類従19下 明石
『中原高忠軍陣聞書』(翻刻) 群書類従23 明石
『小笠原礼書』(翻刻)小笠原忠統編 東京

⚫︎多数の礼書(古文書)を所蔵している施設(閲覧可)
小笠原資料館(飯田市立) 伊豆木 長巨系の礼書
小笠原文庫 豊津高校   豊津  総領家系の礼書
東京大学史料編纂所    東京  多数の史料 


【文学】
仁志耕一郎 『とんぼさま』:長時の半生 会津
新田次郎 『小笠原始末記』:小笠原島に関して 幡豆
船坂米太郎 『小笠原隼人』:小倉藩の話 小倉 (引用せず)
滝口康彦 『流離の譜』  :長行の半生 唐津


2.【論文】小笠原流礼法についての、私が構築した作法学の視点での研究論文と収集した礼書の翻刻

凡例:著者, タイトル,出版年,誌名(巻号),掲載ページ:説明
青文字のタイトルは、
リンク先からpdfをダウンロードできます。

山根一郎, 中世武家礼法における中国古典礼書の影響, 2005 , 椙山女学園大学文化情報学部紀要(4), 57ー73:武家礼法と『礼記』等儒教書との関係を論じた
 
山根一郎・飯塚恵理人, 伝小笠原政康著『当家弓法大双紙 宮仕門上』, 2010, 椙山女学園大学研究論集・人文科学篇(41),39-51:翻刻と解説。本書は政康の著でないと判断するが、礼書としての内容は優れているため、翻刻する価値がある。
 
山根一郎・飯塚恵理人, 伝小笠原政康著『当家弓法大双紙 殿中門・供奉門』, 2011, 椙山女学園大学研究論集・人文科学篇(42),35-50:翻刻と解説
 
山根一郎・飯塚恵理人, 伝小笠原政康著『当家弓法大双紙 蹴鞠門・膳部門』, 2012, 椙山女学園大学研究論集・人文科学篇(43),47-59:翻刻と解説
 
山根一郎・飯塚恵理人, 伝小笠原政康著『当家弓法大双紙 法量門上』, 2013, 椙山女学園大学研究論集・人文科学篇(44),59-72:翻刻と解説
 
山根一郎・飯塚恵理人, 伝小笠原政康著『当家弓法大双紙 法量門下』, 2014, 椙山女学園大学研究論集・人文科学篇(45),17-29:翻刻と解説
 
 
山根一郎, 小笠原流礼書による作法体分析, 2017, 椙山女学園大学研究論集・人文科学篇(48),89-100:上記翻刻を踏まえて、小笠原流礼書が内在する価値体系を作法学的に分析
 

3. 【研究書】本シリーズでは引用していない市販されている研究書

花岡康隆(編著)『信濃小笠原氏』(シリーズ・中世関東武士の研究 第一八巻)戎光祥出版 2016

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