以前読んだ『現代オカルトの起源』の著者である大田俊寛氏の『オウム真理教の精神史』を今になって読んだ。
元々宗教に関心があったため、前代未聞のオウム事件については、
いつか心の中で総括したいと思っていたのだが、むしろ事件そのものが私を宗教から遠ざけることとなり
(宗教教団の本質的部分と関わっていると思ったため)、そのままやり過ごしていた。
その中で本書が出たのだが、発行日が2011年3月20日で、
その頃の私は、それどころではなく、ガイガーカウンタの数値と睨めっこしていた。
やがて私自身が自分の心理学の流れで宗教に再接近するようになって、
やっとオウム事件を総括する気になれ、本書を手にした。
本書は、オウム真理教をあの時代固有の特異な現象とは見ず、
より広く近代宗教、すなわち近代国家成立後の社会における宗教の特質としての
ロマン主義・全体主義・原理主義を統合したカルトとして捉える。
宗教教団が暴走する要因は、このうちの全体主義と原理主義(キリスト教原理主義は終末思想を導く)によると思われるが、その一方でロマン主義はオウムと私との共通要素になっていることに気づかされた。
ロマン主義は近代啓蒙主義(理性信仰)に対抗する思潮で、
①感情の重視、②自然への回帰、③不可視の次元の探究、④生成の愛好、
⑤個人の固有性、⑥民族の固有性、の特徴を持つという。
ロマン主義に惹かれるのは、理性的思考では捉えられない”本当の自分”を探ることにある。
本書によれば、私が好きな心理学者であるW.ジェームズやC.G.ユングもこの系譜に入っている。
さらに私が準拠しているハイデガーもこの方向に傾いていそうだ(①と③と⑥)。
ロマン主義は、私の表現を使えば、”システム2”の肥大化した妄想体系に陥る危険を孕んでいる。
この危険を自覚している私は、思考よりも現実のデータを重視する実証主義を堅持し、
またシステム2に距離を措くシステム3(ハイバー覚醒)を経由して、
超個的なシステム4に達する手順を遵守することで、
妄想的思考の宗教化に陥らないようにしている。
それでも心をエネルギー論的に論じてみたり、存在の深層としての霊的次元に着目していることでロマン主義から離れない。
啓蒙主義かロマン主義かという、アンバランスな二者択一的二元論ではなく(思考が極端化する)、
啓蒙主義もロマン主義もという、陰陽和合の調和的二元論でいたい。
本書は、オウムを世俗化した近代社会そのものの鬼子とみなしている。
すなわち、死を隠蔽・忘却して現世の適応に集中させる社会の在り方がもたらした副作用と。
ということは、このままでは第二第三のオウムが出現しておかしくない。
忘却されている”存在の次元”を私が心理学的に扱いたいのも、
本来の宗教的問題をロマン主義に流れることなく、人間の全知を賭けて探究したいからだ(バランスを崩さずに)。