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ユルスナールの靴 須賀敦子

本書は、著者最晩年の作品とのこと。これまでに読んだ著者の本は、今から思えば(読んでいた時は意識しなかったが)、年齢不詳という感じの文章だった。遠く霧の向こうにみえるものを描いたような独特の文章は、数十年前の遠い昔の出来事の回想であり、長い時間の経過が影響しているのだろうと思っていた。ところが本書では、前の作品よりも遠い過去の話であるにもかかわらず、著者の現在が見えるというか、明らかに過去を懐かしく思いやっているような文章になっていて驚かされる。霧のかかったような文章は他と変わるところはないが、それでも現在の著者が文章から垣間見えるというのは、著者の作品を読んでいて初めてのような気がした。さらに、著者の回想は、以前の作品よりもさらに自由に時間を前後するようになり、年少時代の記憶まで登場するようになっている。老人は過去を懐かしむものだと言ってしまえばそれまでだが、その時間を越えた自由な思考の奔放さは、更にいっそう輝きを増しているように思われる。ユルスナールはハドリアヌス帝と一緒に旅をし、著者はそのユルスナールと一緒に思考の旅を続けた。読者としてその旅に同行するには、ハドリアヌス帝のことを知り、ユルスナールの「ハドリアヌス帝の回想」を読み、できればその現地にも足を向けてみなければいけないような気がする。これを全部やるには時間がかかるだろうが、是非やってみたいと思った。(「ユルスナールの靴」 須賀敦子、河出書房新社)

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