玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

ご都合 立憲主義

2021-05-18 11:28:19 | 憲法

「解散権は総理の専権事項です」とスガ長官は云っていたね。

アベ・スガ政権は憲法をズタズタにしながら、憲法7条(天皇の国事行為)に則って解散権を主張してるのがおかしい。

第7条の衆議院の解散は天皇の国事行為だから、内閣が助言をしても、天皇が耳が遠いとか、または病気だったら、解散できないのではないか。どちらにせよ内閣だから、総理一人の絶対的な専権ではない筈だ。

ともかく今の政権はご都合主義だね。

このままオリンピックに突入したとして、競技場の外は人がバタバタ倒れるような事態になったら、どうするのだろう。

仮定の話だから、答えないのか!・・・。

この程度のヒトが首相に成れるのも、アベのよく言うみっともない憲法の前文のおかげなのだが。

憲法前文抜粋:「…そもそも国政は国民の厳粛な信託によるもので、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、…」

 

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人材の枯渇か

2021-05-10 11:19:17 | 憲法

この国の憲法は硬性憲法と云うそうだ。つまり、国会で2/3以上、国民の過半数というレベルの高さによる改正の難しさのことであろう。

しかし近頃はファションのように改憲を口にする人が多い。

いつからこうなったのか。これこそアベのレガシーであろう。

一国の首相が平気で、しかも日常的に「改憲」を口にする。それは世界標準でかなりの異様な光景な筈だ。

人々が慣らされたのか、その以前にマスコミが口を封じられたのか、全く不思議なことである。

2005年版の自民党憲法草案はざっと読むと全く喰えない内容ではないと思う。

ところが2013年版となると、反吐が出るような時代錯誤感、まるで戦前に逆戻りである。

これに諾々と了承した石破も信用ができなくなる。ワクチンの数すら攫めない河野も如何なものか。

自民党の中にはもう少しまともな人がいると思うが、内部で潰されているのか、未だに八紘一宇という人もいるようだから、人材が底をついたのかもしれない。

 

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みっともない、…

2021-05-04 10:45:16 | 憲法

前の安倍首相はよく「みっともない憲法」又は「みっともない前文」と言っていた。

2006年1月、斎藤貴男のインタビューで、読売新聞の朝倉敏夫論説委員長が「現憲法の前文は米国の政治文書を貼り合わせた代物で、あんなみっともないもの、そのままでいい筈がない…」と答えている。

「みっともない」とは、どちらが先に言い出したのかな?それとも改憲論者の常套文句なのか?

1946年2月13日、GHQから吉田外務大臣、白洲次郎らに憲法草案が交付された。それは英文だった。

2月23日に幣原首相は天皇に拝謁し、その憲法草案の説明をした。それは日本語訳されていた。

第1条「皇帝は象徴にしてまた人民の統一の象徴たるべし、彼はその地位を人民の主権意思より受け、これを他の如何なる源泉よりも承けず」となっていた。

偶々、天皇は、2月12日に、松本烝治の憲法案の説明を受けていた。それを聞いて、第1条「大日本帝国は万世一系の天皇 此の憲法の条章により統治す」を提案された。

昭和天皇はGHQの憲法草案をどういう思いで聞いたのであろうか。

その後、6・8枢密院で審議された時には天皇も臨席した。8・24衆議院(賛成421・反対8)、10・6貴族院可決、 10・7成立。11月3日に現在の憲法が制定、公布された。

戦後の支配層はGHQの監視の目を逃れ乍ら、やっと現在の憲法を作成していった。その努力を汲んであげたい。

憲法を「不磨の大典」とするのは過去の失敗からも良くない。しかし、現在の自民党草案では現憲法の文章表現レベルに達していない。たぶん知識人や支配層の方々は納得しないだろう。

【参照文献:斎藤貴男『ルポ改憲潮流』岩波新書、木下道雄『側近日誌』文芸春秋、田中浩『戦後日本政治史』講談社学術文庫、ほか】 

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憲法13条が大事

2021-04-07 15:28:28 | 憲法

学者は目の付け所が違う。自民党憲法草案の第13条は「全て国民は、人として尊重される。…」ところが、現憲法は「すべて国民は個人として尊重される。…」となっている。

違いは「人」と「個人」だけだ。だが、これが一番の大事な所だと学者はいう。

ここで言う「人」の意味は犬猫とは種類の違う生物という程度の軽い存在であるそうだ。一見「人」は耳障りが良い。

よく考えると、我々は犯罪行為と犯罪性の狭間の時に「人として許されるか」と使う。落ちると「人でなし」になる。最低線の人間性という事かな。

これは、自民党の改憲派は侮り難し、けっこう食えない奴らだ。だから小林節は袂を分けたのかな。彼は高みで教えたつもりが、みごと裏切られたんだね。

「人」という概念は広い。「個人」の方が限定的な意味であろう。現憲法は「それぞれに個性を持つ個人として尊重される」ということだ。

自民党の改憲派は、個性を持つ個人を否定し、国に従う国民を求め、その民をヒトと呼んでいるのかもしれない。気をつけないと騙されてしまう。

自民党の改憲派という法務族は、世襲のお人好しばかりではなさそう。

【参考:小林節・樋口陽一『憲法改正の真実』集英社新書より】

まだ、八重桜は盛りだ。

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もう一つの見方

2021-02-26 11:11:03 | 憲法

確かに現憲法はマッカーサー元帥とGHQよって、この国を二度と戦争させないためにつくられた九条憲法である。

戦争放棄の九条を担保するために、第一条で天皇を政治利用させないために「象徴」にしているのである。

そして、更に国民主権によって天皇の象徴性を守ろうとしている。

その国民の自由を支えるために基本的人権条項があるという、多重担保構造になっている。

自民党草案は、それらの連環の紐を「天皇の元首化」で断ち切り、基本的人権の九十七条を敢えてすっぽりと抜いていると考えることもできる。

そこまでして、九条を潰したいのならば、大日本国憲法に戻ればいい。

第1条 大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す

第4条 天皇は国家の元首にして統治権を総攬し、… となっている。

もうこうなると、自民党自体が潰れてもらうか、かつての国民政党の護憲派の宏池会や経世会に抬頭してもらうしかない。

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