近年、ただマスコミ受けするために、首長自らが改革、改革という幟を立てているお祭り騒ぎ見ていると、妙に冷めた疑問符を投げてしまう。地方自治体の首長は、行政サービスの長として地道に日常の地方行政を担ってほしいものだ。
大阪の公募校長は、単なる民間校長と言う語感の心地良さでやったのか解らないが、組織で働いた経験のない首長がやる典型的な改革行動例の一つである。その公募校長の一人が市長との関係があるかは知らないが、教育長に抜擢されたと聞いた。そのような抜擢人事を行う権力は、橋下氏の固有の権力ではなく、選挙で手に入れた首長という地位のもたらす権力以外の何物でもない。彼は個人会社のワンマン社長のように自分の思うままに人事をしているとしか見れない。結果として、セクハラや不祥事が多発するような民間校長しか選べない公募校長制度をやめることは、自らも、彼に選ばれた教育長をも否定することになり、なかなかやめれない。どちらにせよ、馬鹿げた話だ。
ところが最近の記事「大阪市の公募校長、公募区長による不祥事が相次いでいることをめぐり、橋下徹市長は4日、市長を座長に公募制度の内容を見直す検討会を立ち上げたことを明らかにした。」【MSNニュース】によると、公募校長ばかりか公募区長まで見直すという。どうもこの市長は信用がならない、潔く自分から非を認めれば自分だけは許してもらえると思っている。非を認めるだけではなく、責任をとってもらいたい。まず、その不祥事を起こした校長さんの給料の返還と、その民間校長に振り回された部下のストレス、そして市民を欺いた責任、それらを橋下氏本人が賠償してもらいたいものである。彼は自分には市民からの賛同を得る魅力がまだ残っていると信じていて、相変わらず首長権力の魔力に酔いしれているように見える。
いかなる形にせよ、彼が市長を辞めた後は、大坂市役所の職員は赤飯を炊くだろうが、市民はどうするんだろう。ヒョウ柄のおばちゃんたちはエールを送ってくれるのだろうか、果たしてどうなるのやら、…。