ゴールデン・ウィークにネットをあれこれ見ていたら、あのことがよく解ってきた。
テレビ朝日の『報道ステーション』降板騒動の根底には、今年2月の古賀茂明氏の 安倍首相の「罪を償わせる」発言に対して、平和憲法に基づく日本人の総体の考え方は、安倍首相と同じではないという意味の「I am not Abe」 を国民が一斉に唱えることが必要だと言ったことが起因していた。つまり、その時点で、古賀氏の番組降板のレールは敷かれていた訳であった。彼は、泣き寝入りするより、蜂の一指しを実行した。それがあの用意された「I am not Abe」のプラカードであろう。
外国人記者クラブでの古賀氏の説明は、欧米人記者には効果はなかったようだ。欧米人にとっては、確たる証拠のない告発は意味がなかった。古賀氏は、放送法における免許を与える側の政府=自民党の絶対優位性を無言の圧力の理由にあげたが、決定的な理由づけにはならなかった。何よりも、目に見えない形での、あるいは姑息な迂回をしての、粛々と実行される権力側の圧力に対して、異常なまでに過剰反応をする日本人の特異性を理解していない外国人には、所詮理解し難いことであろう。
先日、国会で安倍首相が発言した‟列強に並ぼう“としていた大日本帝国においては、関東大震災の火事の中で「御真影」を持ち出すために何人もの校長が命を落としたという。そうした、まっ暗い過去を持つ、薩摩と長州が、天皇を玉として操りながら造った戦前日本国家に、またもや戻ろうとする安倍首相やそれに類する一党は、日常はどんな顔をしている人達なのか、じっくりと拝見したいものだ。しかし、戦前と決定的に違うことは、彼らの行動の基本は、アメリカへの絶対的な服従が前提になっていることである。どうも単純な時代遅れの国体主義者でないようで、厄介な存在である。