何度見てきたことだろう。この二つのシーンの連続。お久しぶりの、昔々のとおりの自民党の強行採決シーン。若いころから何度も見てきて、すっかり目に焼き付いてしまった。彼らはみんな二代目三代目たち、それぞれのお爺さんが、お父さんがやったように、難しい国会運営がやっと終わって、その後は自分たちへの御褒美とばかりにゴルフに興じる。何十年経とうと、相も変わらない風景が繰り返される。
今回の安保法制は、憲法を守らない政治家が、多数決という力で憲法の壁を突き破り、法治国家を内部から剥落させた墓標となった。
ところで、野党は一体何をしたのだろうか。与党の多数決という力の強行採決に、肉体的な力でぶつかって行っただけだった。両者とも、理屈でなく、力なのが、愚かしくも哀しいできごとだった。国民の真意は、今回の安保法制は、憲法改正に関わる重大なことなので、国会ではなく国民の手に委ねることを求めていたのだ。
自民党も、その他野党も、自分たちは国民の代表者で、且つ為政者の側であると考えていた。その裏には、自分たちは国家の支配者でもあるという自負が見え隠れする。しかし、国民は、集団的自衛権なるものは、今の政治家たちには荷が重すぎるとして、国会で決めるなということを主張したのである。
消費税の付加時期を伸ばすかどうかをわざわざ選挙で国民に聞いておいて、戦争に巻き込まれるかもしれない重大な法律の制定をまったく国民に問わない。こんな理不尽な政府はあってはならない。自民党は、未だに国民主権を認めないばかりか、裏表のある姑息で卑怯なやり手婆のような党なのである。野党は、自らの無力を隠蔽して、あくまでも為政者であり続けようとする、夜郎自大で粘着質の与太郎のような党なのである。
どちらにせよ、安保法案の結末は、ああなるのはみんな大人たちは解っていたが、今の若い人たちが国会周辺に集まり、また、憲法に関心を持つようになったことは、この国の僅か70年の民主主義を、彼らがこれからも造って行くのにきっと良いことだろう。また、若者は選挙に行かないと、とんでもなく不実な奴らに戦争に行かされるということの危険を肌で感じたはずだ。それこそが今回の唯一の成果であった。