やってない事は、悪魔の証明と言って、証明ができないと開き直る。であるなら、「渡していない」と言えばよい。何故「記憶にない」というのだろうか?記憶にないという事は、渡したかもしれないが、忘れたということでもある。その人の若干の人間らしさを感じる。
史記の淮陰侯列伝では、高祖に裏切られた韓信に向けられた警句に次の言葉がある。
「野獣已盡而獵狗亭」(野獣已に尽きて 猟狗煮られる)
この意味は、「野の獣をとりつくすと、猟犬は用無しに成って、やがて邪魔になって煮られる」という事だ。
この警句、既に安倍一強体制になって、それまで粉骨砕身、自ら悪役となって、身を捧げて来た菅長官にそのままあてはまりそう。最近の恥ずかしい詭弁を弄する哀れな顔を視ると、ふとこの警句がよぎる。