近頃は新しいことへの興味が失せたのか、本の完読が中々できない。一部分だけ読み散らかした本が寝床の周りに散在している。この本だけは一応読み切った。
半藤一利、保坂正康の大御所に、御厨貴、磯田道史が加わって、対話形式で書かれていて、時たま実録の原文が出て来るという構成だ。
半藤が勝手につけた題名の「昭和天皇独白録」が史料として扱われたことにえらく喜んでいたのが、印象的だ。
保坂が「実録」は東條を首相に据える経緯に関して慎重な書き方をしている、と指摘した。半藤は「最大の主戦論者を首相にするとは何事かと言われないようにするため、ですね。」これで終わってしまう。半藤のいつものダンマリだ。
何故、木戸が東條を奏薦したのかわからない。東條の首相は、どう理由付けても、国の内外に戦争するということになってしまうからだ。
戦後になって、木戸は「戦争が不可避と考えたから、下手に皇族内閣にするより、陸相を代える必要のない首相兼陸相にした」と語っている。(勝田龍夫『重臣たちの昭和史下)』文春文庫より)
確かに合理的思考の木戸らしい、割り切った選択だ。だが、そうすると、東條首相就任の数日後の天皇の「虎穴に入らずんば虎児を得ず」のねぎらいの言葉がどうしても浮いてしまう。(『木戸日記(下)』昭和16年10月20日の件)
多くの歴史家は「虎児」を「和平への再検討」と捉えるか、「忠実な東条の登用」と捉えるかで分かれるところだ。ぜひ半藤の意見を聞きたかったものである。
私は、此の箇所も、木戸が検察局に日記を出す前に、書き換えていると思っている、…。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます