玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

市井の近現代史(18)

2023-07-11 11:12:46 | 近現代史

―真珠湾「奇襲」からの解放―

市井の研究者たちは「真珠湾奇襲」をどう捉えたかを分類してみよう。

山岡貞次郎(1917生)は『大東亜戦争』(1970年刊行)の中で「米国は無線傍受で当然に真珠湾攻撃は知っていたのだから、相応の防備ができた筈だ」とし、大使館の不手際には触れていない。

三根生久大(1926生)は『日本の敗北』(2002年刊行)の中で、また伊部英男(1921年生)も『日米関係』(1990年刊行)の中で「出先大使館の不手際による奇襲」と書いている。

入江隆則(1935生)は『敗者の戦後』(1990年刊行)の中で「ハルノートが米国側の最後通牒であるのだから当然に日本は攻撃しても良いはずだ」と書いている。

この国の近現代史は昭和天皇の崩御の1989年を境に『昭和天皇独白録』等、洪水のように多様な史料が一般に公開されてくる。

1991年に刊行された戸川良一ほか『失敗の本質』には「真珠湾奇襲攻撃は日本軍作戦成功例とする。」と普通に書かれている。また、先にあげたように「奇襲」と書いた「高松宮日記」は1995年の刊行である。

三根生と伊部は既に書いた論考を急に変えることができなかったと推測している。入江は「大使館の不手際に」に固執せず、ハル・ノートの最後通牒に論点を替えたのかもしれない。山岡は実際に真珠湾奇襲の「比叡」に乗っていたのだから連合艦隊の「奇襲」の否定はできない。

不思議にも戦後生まれの北岡伸一の『政党から軍部へ』が1999年刊行にも拘らず、「大使館不手際説」に固執している処に、この國の近現代史の闇を感じている。


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