12月6日に、宮中で木戸の日記が無いと騒いでいるが、その日は木戸と近衛、二人の天皇側近の戦犯容疑者が発表された日でもあった。
木戸は予てから戦犯を意識していた。戦犯の理由は東條政権成立に積極的に関わっていたかどうかが問題であろう。(この頃から、木戸は日記の改竄を考え始めたのではないだろうか?)
『木戸日記』の最終頁には、姪の婿の都留重人が「ジョセフ・キーナン(東京裁判主席検事)等と会食せしことにつき話しあり」と書かれている。
【『木戸幸一日記(下)』より】
この最終の項(ページ)は削ることもなく東京裁判の資料として提出された。
とすると、木戸という男の知略というか、狡知というモノを感じる。こういう人が昭和天皇の最側近というのも、…。
木戸は収監時は特別の待遇を受けることになる。【次週へ】
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