自分の力不足の悔し涙は出ても、理不尽な死を選んだ部下への哀しみの涙がない、そんな上司が兵庫県にいた。
彼は県のトップではなく、総務省から人事異動で来た戦前の知事のつもりなのだろうか。そう見ると、責任はないと云い、自分で判断しておきながら県の行為は法的に適切だったと云える。
道義的責任の意味が解らないとさえ開き直る。こういう人間は、この後どうなるのだろうか、どう生きるおつもりなのか。
それを心配することもおせっかいと云われそうな駄々っ子である。
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