ただ一言、「いい加減しなさい」と検察に云いたい。単なる検察関係という小さな社会の「メンツ」でしょ。国民のほとんどがそう観ているのに、彼らは根っから国民をバカにしている。
官僚は、国民の僕(しもべ)という官吏なのだが、「国民の為に働く」という意識は薄いようだ。
「疑わしきは罰せず」が敗戦した此の国の庶民が米国から戴いた民主化という贈り物の一つだった。誰もが憲兵や特高に怯えない日常になった訳である。
だが、近年は「疑わしいが権力者ならば立ち止まる」というふうになった。
官僚という狸と狐が、官庁内部の論理で平然と国家権力を使いだしたのは、アベ・スガ体制からだと思っている。
アベ・スガ官邸は警察、検察、司法までも自民政権の道具にしょうとした。
今もキシダ官邸はそれを引き継いで、なお学術も道具にしょうとしている。
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