玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

自存自衛

2014-07-02 22:47:11 | 近現代史

終戦という表現を、なんと往生際の悪い言葉だと、日本人として私はずっと恥じていた。でも最近、終戦という表現は言い得て妙だと思うようになった。自ら勝手に仕掛けて中国に乗り込んで行って、泥沼にはまり込み、最後は太平洋戦争に突入して行く。そういう大義なき15年戦争は、昭和天皇が自ら終わらせた時、まさにそれが「終戦」なのである。まあ、そういう風に、私は考えることにした。

当時の参謀本部の作戦将校だった瀬島龍三は、1995年自衛隊幹部学校の講堂で、「日本は少なくとも対英米戦争は自存自衛のために立ち上がった。大東亜戦争を侵略戦争とする論議には絶対に同意できません」と言った。【『沈黙のファイル』共同通信社社会部編 新潮文庫】

「自衛」という言葉は随分と幅の広い意味がある言葉のようだ。私は「自存のため」という言葉はいくらか理解できるが、「自衛のため」というのは理解できない。むしろ「自存侵略」がふさわしい。

いつの間にか、個別的自衛権から集団的自衛権まで進んでしまった。八十三歳の瀬島龍三の老軆から吐き出した「自存自衛」で、あれだけの多くの犠牲者を生み、隣国からはいまだに恨まれている。そういう戦争が起こったのは、歴史の出来事として定義は別として、過去の確かな事実であったことは、誰も否定はできないだろう。


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