よもの海をみなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ
1941(昭和16)年9月6日の第6回の御前会議で天皇は突然「よもの海」を詠います。
この和歌は、天皇が平和をなお希求していることを意味した。それは国策決定に対して拒否権を持たない天皇のギリギリの「おさとし」だった。
そう工藤美代子は『われ巣鴨に出頭せず』(261頁)で書いてます。
ふと気になって、勝田龍夫の『重臣たちの昭和史(下)』(275頁)を見ました。
天皇の厳然たる「外交により目的達成に努力すべき御思召しである」と書いています。
H・ビックスの『昭和天皇(下)』(74頁)は「よもの海」は明治天皇が日露戦争の開始に際し、戦争の結末の不安を和歌に託した。昭和天皇は二重路線〔軍事と外交〕のありうべき結果に対する準備に天皇が不安を抱いている、と書いてありました。
どうもビックスにしてはピリッとしない書き振りですね。
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