玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

クラクションの悲鳴

2018-11-10 10:55:37 | 雑感

近頃、街を歩いていると、クラクションがよく鳴る。どこぞのヤンキーか、と振り返ると、あんがい爺さんであることが多い。彼らは既に自分の限界をわかっているんだろう。動体視力や運動能力が劣った分、クラクションを鳴らして、舗道の人間に自分の運転は危険だと知らせているのだろう。それは他人の注意力を借りて自動車に乗っていることかも。

老人の神経質なクラクションは彼らの悲鳴のようにも聞こえてくる。既に運転に適さなくなっているのだろうが、それを認めたくないのか、意地になっているのか、彼らはハンドルをなかなか離さない。

一方、婆さんドライバーは、静かに、そして超ノロノロ運転で音もなく後ろからやって来る。これも困りものである。確かに歩くよりは楽だろうし、自宅が駅から離れていてやむを得ないと運転しているのかもしれない。

立派に社会に貢献して余生を暮らす高齢者が、その充足した晩節を仇や自動車事故で汚してもらいたくない、と切に思う。

 


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1/4の支持

2018-11-07 23:00:42 | 政治

直近の国政選挙では、高々50数パーセントの投票率で、そのうち与党の得票数50%にとどかず、野党の総得票数の方がほんの微かだが多いのである。つまりは50%を超しているのだ。にもかかわらず、圧倒的な議席の差、衆議院では与党313と野党152、これを誰も不思議と思わない人達がいる、社会がある、メディアがある。そして国会がある。 

要するに今の政権は国民(有権者)の1/4しか支持がないのに、あの尊大な態度はどこから来るのだろうか。対して、野党勢は同じく1/4、微量だが与党より支持が高いにもかかわらず、あの卑屈な態度どうしたことなのだろうか。むろん死票の多い選挙制度の欠陥だが、どうも変なことになっている。

(直近選挙の投票率:平成29年10月に行われた第48回衆議院議員総選挙では、53.68%、平成28年7月に行われた第24回参議院議員通常選挙では54.70%)

人間社会がものごとを進めていくのに、YES・NOの二つの選択の中で物事が判断されるのが、ものが進む一つの定理や準則ではないだろうか。その現実的な択一方法がこの国の政治において崩れたのは、今思い出すと、1994・6・30、自民党・社会党・新党さきがけが連合してできた村山内閣ではないか。村山富市が淡々と安保条約を呑みこんで、眉毛妖怪の宰相になった。見苦しい、あってはならない奇怪な政治劇であった。なによりも国民を愚弄していた。

あの時の社会党議員たちはこの国にかろうじてあった政党対立軸を古雑巾のように投げ捨てた。あれ以来、日本の政党は、全部“保守”という党になってしまったのだ。共産党も変わらないという点で保守である。結果は、ただ保守という価値基準、価値観が不明なものになってしまった。何を守るのか、なにをどうするのか・・・??誰もわからない。そんな程度のものになってしまった。

それでも、「日米地位協定の改定」「高速道路の無料化」「高等教育の無償化」等、できるあてのない素人のような公約を並べて、民主党が政権を取った時は70%に近い投票率になったが、それが全く実現性のない、つまりは真っ赤な偽物だと分ってから、国民が政治にそっぽを向く状態がずっと続いている。

国民がボーとして、よく見ていないときに、公明党の力を借りて僅か1/4の支持しか持たない自民党がこのまま強引にこの国を率いて行ってよいものだろうか?何かとんでもない方向に連れられて、そこには予期できない大きな落とし穴が待っているような気がしてならないのだが、・・・。

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あなたと違うんです!

2018-11-03 19:39:04 | 政治

20062009年の三年間に、自民党の二・三世議員の総理大臣が三代も続いた時期があった。初代は健康の不調で途中で政権を投げだした人。二代目はインテリ風でまじめそうだが印象が薄い人。三代目がべらんめえ調のお坊ちゃまで、祖父のワンマンぶりを真似ていた人。それぞれ1年ほどで交代し、爺さんや父さんに及ばない凡庸な首長であったとの印象でした。

そんな印象のうすい三人の中で、一番知性的な感じの福田康夫首相が、「あなたと違うんです」の名セリフを残して辞めたのをはっきりと覚えています。

200891日の退陣表明記者会見で、中国新聞の記者が「総理の会見が国民には他人事のように聞こえます。今日の会見も、そのように印象を持つのですが?」 と述べたところ、「他人事とあなたはおっしゃったけれども、私は自分自身を客観的に見ることはできるんです。あなたと違うんです。・・・」 と感情をあらわにして切り返した。ざっとこんな問答でした。その後の評価は記者会見のヒット作として、またマジギレの流行語にもなりました。 

近年、その本当のいきさつというものがネットや著作物で流れています。そのもとは、20087月の洞爺湖サミットにまでさかのぼります。 

当時、アメリカから日本に二つの要請があったそうです。一つはアフガニスタンへの自衛隊派遣を含めた金銭等の支援要請。二つは、リーマン・ショックに絡んで米政府系金融機関の数兆円規模の支援要請があったということです。

アメリカという国は四年間の絶対王を抱え、他国の金庫にも平気で手を突っ込む、やりたい放題の無法者の暴力帝国です。 

しかし、福田政権は無茶苦茶な難題の両方とも受諾する意思はなく、そのために自ら退陣をして、敢えて政権を空白という機能不全にさせて、アメリカの強引な要請を回避したのというのです。 

まったく“政治というもの”は、裏側での出来事が多過ぎて、なお且つ、それを完璧に隠蔽することよって、かろうじて政治権力の正当性を保持させていくものらしい。

この情報が真実かどうかはわかりませんが、あの慎重な福田首相が退陣記者会見で感情をあらわにしたこと、そして、「あなたと違うんです」と云って、実は「あなた方は、私がどれだけ苦労しているか、わからないでしょ」といった意味だと思うと、何だか辻褄が合ってくるのですね、・・・不思議と。

資本主義 TM

記号 5

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