玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

耳を持たない人々

2018-12-12 23:12:10 | 時事

「大嘗祭」は宗教色が強いと言った真意はいったい何なのだろうか。天皇制は、明治維新以来の天皇教という宗教があったとして、その一番大事な行事である「大嘗祭」とは切り離せないものだと思う。

皇室の側から「簡素にやりたい」と言ったら、それが皇室の政治的行為になるのだろうか。また「聞く耳を持たない」と言ったことが政治的行為なのか?

政府は、事が大き過ぎて対応できないのか。それとも、象徴という存在の方々なので、国民ではないから。まさか、憲法上の基本的人権を持たない一族の方々だから、黙っていろ、ということではないだろう。

それとも、天皇の交替を派手な政治ショウにしたい政権に忖度した官僚が、官邸にばかり顔を向けていて、皇室に耳を傾けなかったという動作の欠如のことなのか。

まったく解らん。こういう国の根本に関わることになると、メディアはいっせいにダンマリを決めこんで、聞かないふりをする。それじゃ、宮内庁の官僚と同じだ。

平成天皇の意思によって天皇職を譲位するということは、それこそ天皇の人間としての表現ではないのか。きっと、先帝のやらなかったことを、ご自分でやりたいのであろう。

冬の畑に種がまかれた。

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アメリカからの史料

2018-12-09 18:11:01 | 近現代史

『天皇独白録』と「寺崎英成御用掛日記」を読み返している。寺崎は敗戦後の昭和天皇とマッカーサー元帥の会談の通訳をした外交官である。彼の妻グェンはアメリカ人、娘はマリコという。二人は、1949年8月に娘の教育のために渡米していた。

1851年8月、寺崎英成は死んだ。その時に妻と娘は日本に帰国していない。

1958年6月、妻と娘は久しぶりに墓参りで来日した時に、寺崎の弟から彼の遺稿を手渡された。二人は貴重な資料とは思わず、長い間、部屋の片隅に置いたままにしていたそうである。

1988年1月、昭和天皇が逝去された。昭和から平成となった。

1989年12月、娘マリコの息子が祖父の寺崎の日記に興味をもち、南カルフォルニア大学に内容の解読を依頼した。

1990年4月、その遺稿には、寺崎自身の日記の外に天皇に関する内容の記録が発見された。

1990年12月、それは『天皇独白録』という題名で『文芸春秋』に掲載された。

以上が、ザックリした『天皇独白録』が出版されたいきさつである。

昭和天皇が一人称で語った記録は、この本以外にはないようである。何故この本が世に出されたのか、その訳はわからない。たぶんアメリカ人の所有した史料であったから、そして、元号が昭和から平成になったから、と考えてしまう。

これが民主主義の日本という圀の程度、現在であろう。

昭和天皇独白録・寺崎英成御用掛日記

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日本人はどこに行くのか

2018-12-05 12:02:00 | あれこれ

高度成長期の末からバブル経済の前あたりまで、ルース・ベネディクト『菊と刀』、中根千枝『タテ社会の人間関係』、イザヤ・ペンダサン『日本人とユダヤ人』、土居健郎『甘えの構造』と日本人はいじらしいほど真面目に自らの内側を覗いてきた。

それは戦後の平和憲法にあって、軍事力なしに欧米諸国と張り合っていく自信がなく、他国に対する説明責任を真面目に一生懸命に果たそうとしたのではないか。

ところがバブル経済の絶頂期に、三菱がロックフェラー・ビルを、ソニーが米国の映画会社を買って、すっかり欧米人の顰蹙をかってしまった。そのうち『ジャパン アズ NO.1』で誉め殺しにあって、またたく間に円高低成長期の深いトンネルに押し込められた。

その結果、戦後日本人はゆっくり廻りを眺める余裕ができたのか、国家としての自我を確立しようとしても、気がついてみれば、何に基づいてこの圀があるのかさえ解からなくなってしまった。

実は自らの国家の存立目的、いやもっと簡単に云うと、明治維新から敗戦までの旧國家体制としての実体・実像の国民の共通理解が欠落していた。

つまりは、戦前の「國体護持」という「天皇制」自体が全くベールに包まれていて、万世一系、どこから来て、どこへ行くものだったのか、全く明らかにしないことによって、その政治権威、権力が続いていたのだ。

仁徳天皇陵が実は誰なのか、大嘗祭は國家行事なのか。大喪の礼は必ずやったのか。なぜ大正神宮がないのか?等々、疑問はいくらでもある。しかし現圀家は何も答えてくれない。圀家とは誰のための国家なのか、・・・。そこすら始まっていない。

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メディアは先細り

2018-12-02 19:44:35 | あれこれ

121日から新聞をとるのをやめた。全く不便はない。新聞という活字によって、毎日、現国家に追従する国民という既製服に仕立て上げられているような気がしたのだ。しかも、購読料も払ってバカバカしいと思ったのがきっかけだった。

もっとも我々国民の側も活字のもつイメージを受け取る能力が段々衰えてきている。だいぶ前から、情報の主な供給は簡便で迅速なTV画像に頼ってきた。が、そこでもイメージ操作が巧みに行われていることに気づいていた。ここでも、某局には受信料を払っているのが癪である。

まだ知りたい欲求がある以上、他の手段を選択すれば、ネットから、自らの力で情報を選別しなければならない。それでも、訳のわからない衝立ばかり立てて事実に踏み込まない新聞報道や、点滅する明りのように視聴神経を幻惑させて、情報を操作するTV画面よりはましな気がしている。

今のままでは、新聞・テレビといった既成のメディアは構造不況業種になるかもしれない。誰が好き好んで、またお金を出して、現政権の適正性や合憲性を押し付ける情報商品を買うだろうか。

ソース:),type,alphabet,equipment


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