玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

思い残す処なし

2018-12-16 15:54:42 | 近現代史

1946(昭和21)年12月5日の『寺崎英成日記』に「官吏として最高の地位に達した。思い残す処なし」の一文があった。宮内庁御用掛とはそれ程すばらしい職なのであろうか。

この時期は、第3回目の昭和天皇とマッカーサー元帥との会見を10月16日に済ませ、11月3日には『日本国憲法』制定・公布の後の、非常に重要な時期であることはわかる。

一介の御用掛にしては頻繁に天皇に拝謁している。この時点で神権天皇制は象徴天皇制に移行する上で、マッカーサー元帥以下のGHQと旧体制の宮中・皇室との間には、微妙で切実な駆け引きがあったことは察しられる。

その両者の意向や意見の連絡、時には調整までする御用掛(通訳)が、GHQ最高権力と戦前最高権力の接点に位置する一人の官吏として最高の役目であったのだろう、と思う。

そして、この時既に天皇の懐刀だった木戸幸一は一年まえに巣鴨の牢獄に捕らえられていたのだから、天皇は一介の御用掛(通訳)である寺崎英成に頼るほか何も手段がなかったことも想像ができる。

同年、12月13日、「アチソン大使訪問、小生の役柄及び官名説明」とある。寺崎は自分が単なる御用掛(通訳)以上の仕事を天皇に任せられていることをアメリカの高官に詳しく説明をしていたのだろう。冒頭の日記の言葉は「官吏として最高に重要な仕事をしている」という気持ちの表れだったと解したい。

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