玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

二人の役回り

2018-12-26 23:52:54 | 近現代史

宮内庁御用掛(通訳)の寺崎英成には高血圧症という持病があったようである。寺崎は、第2回、第3回の昭和天皇とマッカーサー元帥会見の通訳を無難に勤めたが、4回目会見(194756)は病気になり、初回の奥村勝蔵が代って通訳を勤めることになった。 

会見の翌日のAP電で、「マッカーサー元帥は〔日本〕防衛への広範な保証を与えた」と報道され、「日本をカルフォルニア州のように守る」との噂がひろがった。 

マッカーサーは激怒したそうである。その結果、通訳をした奥村勝蔵は懲戒免職となった。 

奥村勝蔵には真珠湾攻撃の最後通牒のように、また厄災が付きまとう。自ら求めているのか、寺崎との役回りがあるのか。彼には会見の後に外国の通信社に内容を洩らしたという嫌疑がかかったのだ。 

その後の話としてだが、奥村の部下であった松井明渉外課長は第8回から、後任のリッジウェイまで、ずっと通訳を勤めた。その松井が自分の担当した以外の天皇とマッカーサー元帥の会見も含めて「天皇の通訳」として文書を残していた。

松井は、それを1981年に出版をしょうとして、入江相政侍従長、等の宮内庁関係者に出版を抑えられた。この文書が出ていれば、後の歴史の見方もかわってくるだろうし、奥村の嫌疑も解決したかもしれないが…。


【出典】豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』岩波現代文庫2008

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