『天皇独白録』と「寺崎英成御用掛日記」を読み返している。寺崎は敗戦後の昭和天皇とマッカーサー元帥の会談の通訳をした外交官である。彼の妻グェンはアメリカ人、娘はマリコという。二人は、1949年8月に娘の教育のために渡米していた。
1851年8月、寺崎英成は死んだ。その時に妻と娘は日本に帰国していない。
1958年6月、妻と娘は久しぶりに墓参りで来日した時に、寺崎の弟から彼の遺稿を手渡された。二人は貴重な資料とは思わず、長い間、部屋の片隅に置いたままにしていたそうである。
1988年1月、昭和天皇が逝去された。昭和から平成となった。
1989年12月、娘マリコの息子が祖父の寺崎の日記に興味をもち、南カルフォルニア大学に内容の解読を依頼した。
1990年4月、その遺稿には、寺崎自身の日記の外に天皇に関する内容の記録が発見された。
1990年12月、それは『天皇独白録』という題名で『文芸春秋』に掲載された。
以上が、ザックリした『天皇独白録』が出版されたいきさつである。
昭和天皇が一人称で語った記録は、この本以外にはないようである。何故この本が世に出されたのか、その訳はわからない。たぶんアメリカ人の所有した史料であったから、そして、元号が昭和から平成になったから、と考えてしまう。
これが民主主義の日本という圀の程度、現在であろう。