国民の命を、都民の命を守ることを第一義としない、首相と首長が居る。一人は国会を開かない。一人は毎回プラカードを持ってテレビに現れ、町内会の婦人部長のような精神訓話をする。
首相を選んだ自民党と公明党は選挙で勝利している。首長さんは先日の選挙で360万票の信任票があったとか。ふと思うことは、この國はデモクラシーを「民主主義」と訳すが、まだ「民衆主義」でいいんじゃないだろうか。
8・15終戦記念日の根拠は、1982・4・13「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と正式名称が鈴木善幸内閣のときの閣議決定であろう。
今の政権になって、閣議決定が多用される。「首相夫人は公人ではなく、私人だ」「セクシーという語の正確な訳出は困難」閣議決定は内閣閣僚の全員一致である。これでは単なる口裏合わせだろう。
こんな政府だから、病人を救うより数えるのが好きな医系技官をコントロールできないのだろう。
もとより保健所にPCR検査対応の能力がないのだから、法律を変えて対応するべきなのに、肝心の首相が現れない、首長の思考がズレている。選んだ国民・都民はこれを受忍しなければならないのか。
戦後、8・15には必ず流れた、あの一説が出て来る。「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、…」この國は戦前からちっとも変わっていないのかもしれない。