久しぶりの投稿です。
時々訪問していただいた方、本当にありがとうございました。
5月31日より、日本での新生活が始まりました。
父の介護、日本で新生活を始めるための諸手続き、引っ越しと家財道具や車の購入で、忙しくしておりました。
それに輪をかけて大変だったのは、夫と調査研究のために、2週間、日本の各地の大学を訪問し、6月20日ころからはアメリカの大学の夏の集中講義も教えていたため、激務でした。
また娘がその間、婚約し、娘のフィアンセがもうすぐ米国の大学の博士課程で勉強するために日本を発つことになり、その彼氏と何度も食事会を行い、プライベイトと仕事のデマンドが波のように押し寄せて、頭も体もどうにかなりそうでしたが、先週より少しずつ普通の生活に戻ってきています。
今回は、父の介護について、覚書として書いてみようと思います。
私が成田に到着した5月31日、父の容態がかなり悪くなっているから、早く戻った方が良いという連絡を母より受けました。
本当は東京で、お世話になっている先生方を訪問する予定だったのですが、急遽キャンセルし、地元に戻りました。
それからは、ケアマネさん、訪問看護婦さん、お医者さん、薬剤師さん、介護施設の人たちとミーティングや連絡を取り合いながら、自宅で父の介護を行っている母を手伝う毎日が続いたのですが、かなりの重労働で、しかも父の状態がかなり悪化し(足や腰のむくみ、肺に水がたまる、呼吸困難、意識がもうろうとする、発疹など)、自宅介護の限界に達したため、一度病院に入院することにしました。
その決断をする前には、母のレスパイトのために、父には2泊のショートスティーに行ってもらったり、夜にヘルパーさんに来てもらったこともあったのですが、一時的には助かったものの、長期的には難しい選択でした。
むくみがひどく、体重が重くなってしまった父を病院に連れていくためには、救急車を利用しました。家の外階段を通らないと車に乗れないため、車椅子が使えなかったというのもその理由です。
病院では、むくみをとる治療をしてくださったのですが、コロナのため面会禁止といわれ、オンライン面会もなかなか難しく、母も父もかわいそうでした。
その母の気持ちを考慮して、病院のケースワーカーの方が、面会可能な介護老人施設を探してくださり、今度はその施設に移ることに決め、今日に至っています。
その施設では、1日10分の面会が許されるため、毎日母を車で迎えに行き、父の元に連れていく日課です。
去年の10月にあと6か月と余命宣告を受けた父ですが、一人でご飯を食べたり、テレビを見たりできるのは、奇跡としか言いようがありません。
今後どうなるかはわかりませんが、今まで親孝行できなかった分、できるだけ両親をサポートできたらと考えています。
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