ヒサシの第一の挫折はケンブリッジで修士論文を完成させることが出来ず、
結果「学士」のまま帰国した事だった。
外務省に入省しただけでは勝利を掴んだとはいえない。必要なのは「権力」だ。
自分に権力はあるか?ない。どうやったらそれを掴むことが出来るのか。
一つは「思想」だ。
「権力」を増大させる思想に自分を当てはめて塗り替える事だ。権力を増大させる
思想とはつまり「金のあるところ」
イケダダイサクの名前を聞いたのはその頃だったろうか。まさか外務省に大勢の
信者がいるとは思わなかったが、それは真の信仰というよりも「権力への信仰」
そのものだった。
彼はこっそり近づく。すると、そこには沢山の魑魅魍魎が・・・・
みな「権力」を求めていた。日本を制圧し日本を解体し、やがて母国の膝元に
差し出したい人たちの巣窟。
それが外務省なのだった。
そこで、ヒサシは一人の女性と会う。
事務をしている・・決して美人ではないが頭のよさそうな女。ユミコ。
日本中を震撼させた最大の公害「水俣病」を生み出した会社の社長令嬢だ。
彼女の父親はすっかり悪者になってはいたが、それでも相変わらず資産家だ。
「腐った魚を食べる奴が悪い」と言い放った剛の者。
彼女はその一人娘だ。一人娘・・・・それなら財産は全て彼女が相続するのか?
ヒサシはこっそりと手段を考えていた。
一方、皇居にはチチブ・タカマツ・ミカサの3宮妃と松平信子、そして梨本伊都子が
参内し、皇后の前に侍っていた。
イリエは「これはおそろしさんや」と戦々恐々。早速御上にご報告に上がる事にした。
「東宮様は一体どうなさってしまわれたのでしょうか」
信子はずけずけと言い放った。
「両陛下の御元でお健やかにお育ち遊ばし、優秀で人格者におなりになられたと
聞いていましたのに」
皇后は答えようがなかった。
「今更申し上げる事ではありませんが、皇族妃はすべて学習院・常磐会出身です。
国に守られていた頃とは違い、今は数多い私立校の一つになってしまいましたが
それでも皇族妃を出すのは、また皇族方、名門家の子女は全て学習院出身で
ある事が誇りでもありました。私共も、それを踏まえた上で試験の際には入学を
許可し、卒業後はどこに行っても恥かしくない教育を施して来たつもりです」
「そうよね。ええ・・そうですとも」
「なのに、東宮様は一体、学習院卒の名門女性方の何がお気に召さないのですか」
「さあ・・参与のコイズミが色々な知恵を出しているという話で」
皇后は助けを求めるようにセツ君を見る。
「母上様、そのようにお責めになってはいけません」
セツ君は助け舟を出す。
「これは東宮様がどうのと言う問題ではなく、東宮妃を決めるコイズミらの参与の
問題ではありませんか?」
「そうなのですか?じゃあ、東宮様はそのショウダミチコなる女性をお気に召した
わけではないと?」
「それが・・すっかりその娘に」
「その娘はそれ程に美しいのですか」
「そうですわね。たいそうな美貌のようですわ。ふたばから聖心女子大に進み
成績も優秀だとか。聖心女子はキリスト教で最近流行りの進歩的な学風とは
言いますわ」
「進歩的・・・というのは皇室に必要な事でしょうか」
信子はばっさり言い切った。
「私はそうは思わないけど、東宮もそれから御上も大変乗り気であらしゃって。
私一人では何とも出来ないの」
「仮にその娘が皇室に入ったとして、東宮様を支えられる素晴らしいお妃になれると
お思いでしょうか?お上も東宮様もそう思っていらっしゃると?」
信子はそばにいた伊都子と顔を合わせて言った。
「これは常磐会の気持ちとして奏上せねばなりませんね」
その言葉を聞いて皇后はほっとした。これで何とかなるかもしれない。
皇室始まって以来の前代未聞の結婚にストップをかけることが出来るかも。
嵐の予感がした。
皇太子はヨーロッパへ旅立ってしまったミチコを思うと胸が痛くなった。
帰国するのだろうか。もしかしてこのまま・・・いや、そんな事はない。きっと
彼女は受け入れてくれる。
自分の選択は間違っていない。ミチコこそ次代の皇后にふさわしい。
彼女と一緒ならきっと幸せな家庭が築ける。戦後の昭和にふさわしい家庭を。
そうしたら二人で力を合わせて新しい皇室を作っていくのだ。
皇太子はぐっと唇をかみ締めた。
そして遥か旅の空からミチコはその声を聞いたような気がした。
もう逃れられない。世界中のどこへ逃げても運命は変えられない。
殿下とともに生きるのが自分の定めなら・・それに従うしかないと。
「お父様、ミチコは参ります」
国際電話で彼女は一言だけそう言った。