今年は戦後80年です。
だから靖国神社に人が集まり、そして遊就館にも人が来るのかなと思ったりもしますが、日テレが掲げた「今を、戦前にさせない」というキャッチフレーズには反対を表明致します。
理由
1 「戦前」を「戦争」とひとくくりにしていいのか?
そもそも「戦前」とはいつからいつまでの事なのか?
明治から昭和16年までというならそれは大きな間違いだと思います。
日テレのいう「戦前」は直接太平洋戦争を想起させるだけでなく、明治から日本の目標であった「富国強兵」という思想を否定する事になるからです。
「富国強兵」・・・教科書では悪しき思想と言われていますが、国が栄え兵力が高い国というのは世界中どこの国でも同様に目標にするものではないでしょうか?
まして明治維新の当時は列強と呼ばれるヨーロッパやアメリカが侵略戦争をしかけていた時です。アヘン戦争で負けた清が解体されて混乱が起きたように、ハワイのように結局アメリカに併合されたように・・弱いものはどんどん強者に飲みこまれてしまう。それを防ぐ為には一番は「輸出」で外貨を稼ぎ、徴兵制により軍事力を上げる。当然の思想なのです。
2 本当の「戦前」とはいつからなのか
日テレの特集を見ていると、一回目が「対馬丸の悲劇」二回目が「伏龍」の悲劇でした。
「対馬丸の悲劇」
これは昭和19年8月に起こった事です。
沖縄戦に備えて学童疎開をさせる為に「対馬丸」に沖縄の児童を乗せて九州に向かっていた所をアメリカの潜水艦に魚雷攻撃を受けて沈没。多くの子供の犠牲が出たという物語。
私達世代は国語や歴史などで習ったのですが、日テレでは実際に対馬丸と一緒にいた暁空丸に乗船していた当時小学生の老人にインタビュー。
「那覇出身の子は対馬丸。自分はそうでなかったので暁空丸だった」と。でも対馬丸の方がかっこよくていいなと思ったらしい。
確か、小さい頃に読んだ本では対馬丸は赤十字の旗を立てていた筈なのですが、一度前線に出た経験のある船だったのでアメリカからマークされていたという話。
その老人は「目の前で何が起こったかわからないうちに対馬丸は爆発して沈んだ」そして彼の船は一生懸命に逃げたそうです。
これ、私が小さい頃思っていたのは「なぜ民間人が乗っている船を狙ったのか」という事で、こういう話を知るべきなのはむしろアメリカの方ではないかと。
「戦争をしてはいけない」確かにそういうメッセージは飛んでくるのだけど、対馬丸を沈ませたのは日本ですか?日本の身勝手な戦争のせいなのですか?
アメリカの潜水艦は、沈ませた船に沢山の小学生が乗っていた事を知っていたのでしょうか?
今、沖縄戦に行ったアメリカ兵が実は多くの民間人を殺した事で精神的にPTSDを患ったという話を聞きます。
「人間機雷伏龍」
私、先日遊就館に行った時、回天を見て「大嫌い」と言いました。こんな残酷なものがある事が許せなかった。飛行機で特攻する方がましだと。
海の中では空気がないし、圧も掛かるし下手すると目的地に到着する前に事故で亡くなる事が多い。「きけわだつみの声」などでも訓練中の死亡が確認されています。
「人間機雷伏龍」というのはあまり知られていませんが、昭和20年3月に試作された特攻方法で、ゴム製の潜水服に潜水兜を被ってわらじを履き、機雷を持って水中で船を狙うというのもの。でも、これは訓練中の死亡が多く、日テレの番組に出てきた人は失敗して圧迫死をするところを寸での所で先輩に助けられた経験を持つ。しかし、その先輩も訓練中に圧迫死。要は兜の中の空気の調節が難しく、少し間違えるとあっという間に沈んでしまう代物だったのです。
番組では「どうしてこんなバカなものを作り出してまで戦争を続けようとしたのでしょうか」
「平和が一番。戦争をしてはいけない」と結ぶのです。
そのうち、特攻艇「震洋」のようなベニヤ板で作られたものも出て来るかもしれません。
結びはいつも「どうしてこんなものまで作って戦争を続けようとしたのか」というものです。
ウクライナの戦争を見てても思いますが、戦争というのは止め時が大切で、それがわからないから延々と続くのです。
3 日テレが言いたいのは「戦前」ではなく「戦中」ではないのか
第二次世界大戦が始まったのが1939年。そして太平洋戦争が始まったのが1941年。そして実際に日本が空襲されて原爆が落とされるようになったのがおおよそ1944年から。実際ミッドウェーで惨敗するまでは国民の中にもそれ程の危機感はなかったと思います。昭和19年、あちこちに空襲が始まって国民は初めて「この戦争は大変な事になる」と思ったのではないでしょうか。
何もわからないのに戦争に巻き込まれた・・・と思われがちですが、日本人は当時は新聞を読み、ラジオを聞き、情報には接する事が出来てただ虚偽の報道と、マスコミが作り上げる「煽り」に乗せられていたと言えるでしょう。
そういう意味では、今のマスコミが煽る「多様性・外国人移民・夫婦別姓・中韓との国交」という左翼メッセージは、まさに「戦前」かもしれない。
でも、今回は戦争に向かうのではなく、戦争の前に侵略を許すと言う事で、もうすでに中国に侵略されかかっているのに、多くの日本人は関心を持たず反対もせず、「最近外国人が多くていやね」「観光地が大変よね」くらいにしか思ってないのです。
・価値観の違う異国人との共生は嫌だ
・他国の宗教を押し付けられ、神社や寺が破壊される事は嫌だ
・不法移民の放置と犯罪に対し不起訴を下す警察と裁判所に反対
・日本の伝統や文化の意義を大切にしたいのに生活習慣まで変化させられるのは差別である
・誰が誰を好きになってもいい。でも、それを認めろと大声で喚くな
という事を言いたいのに、言えない雰囲気があります。
たかが男女のもつれを会社の問題にまで大きくして人を死に至らしめるこの国の現状にNOを言いたい。でも言ったら終わり。正直に告白したら外された。
こんな専制主義的な国があるでしょうか。
売国の極みがあるでしょうか。
4 80年前の戦争は歴史の1ページにすぎない
私はもうそう考えて、いつまでも過去に囚われる必要はないと思います。
例えば原爆。今はボタン一つで国を一つ消す事が出来る。広島や長崎の比ではないし、戦争の仕方もドローン、あるいは宇宙からの攻撃になっている。
今更80年前の戦争の悲劇を語っても、仕方のない事なんです。
対馬丸を語るも結構、特攻隊を語るも結構。
けれど、その時、その場にいたら人はみな同じ事をしたかもしれないという視点が欠けています。
軍の上層部が悪い・・・・それって今のフジテレビの日枝のような人があの当時もいたからと思えば納得しませんか?
どうしたって辞めさせることもできず、マスコミは煽る。
80年以上前が問題なのではなく、今もまた同じで形が違うと言う事です。
歴史を学ぶ事は大切だし、どのようにして戦争が起き、なぜ日本が敗戦国となり今に至るのかという検証も大事。
けれど、いついかなる時も「日本が悪い」と報道する意図は何なんでしょうね。
対馬丸を撃沈させたのはアメリカ、原爆を落としたのもアメリカ、東京大空襲もアメリカ、その前に戦争を止めていれば悲劇が起こらなかったという議論は今だから言えることで誰も先は読めません。
先般「遊就館」を見学に来る外国人が多いと感じたと書きましたが、その理由は負けた日本を貶める事ではなくて、日本の当時の零戦の性能がいかに素晴らしかったか、戦艦大和が世界に誇るものではあったかを目の前で見たいという素直な欲求もあるのではないでしょうか。
それもこれも「歴史」であって、「経験」であって、今ではない。
今、生きて戦争を語る人達はある意味日本の左翼思想に支配された人達だから、全てを否定する。悲しみと共に自分の国を否定するのです。
5 今、日本は戦前か
では、今、日本は「戦前」なんでしょうか?
戦前、昭和元年から16年あたりまでの日本は、わりと自由な空気があって、モボやモガが銀座を闊歩し、おしゃれを楽しみ洋楽に親しみを感じていた時間でした。
無論、徴兵制はあったけどそれは「罰ゲーム」ではなく、むしろ検査に落ちると男性として一人前に見て貰えない恥ずかしさがあった。勲章の一つです。
華族制度があり、男性華族はみな軍人になる事を義務付けられました。皇族も同じです。庶民レベルでも金儲けして格差は広がっていたと思います。
都会で富をむさぼる人と、地方で貧しさのあまり人身売買される人といた事は事実で、そういう事が226事件に繋がった事もあるでしょうね。
今の日本は全体的に貧しくなりました。
賃金が上がらず、格差は広がるばかり。
増え続ける中国人やクルド人らに生活を荒らされている現状。
これは80年以上前にはなかったものです。
もし、戦前と近いものがあるとすれば、アメリカでトランプ大統領が出現した為に、カナダやメキシコ、中国に関税をかけ、対抗措置を取らせている現状。
つまり日本がアメリカにされた事を今、中国などがされていると言う事です。
ヨーロッパでも保守層が台頭し始め、「民族の原点に戻ろう」という動きが活発になっています。
大らかな他民族主義では地元が迷惑するという事ですね。
よその国で暮らす民族はみな地元へ帰れ、これ以上迷惑をかけるなと言う事です。
特にイスラム勢力と中国人・韓国人らによる自国の文化の押し付けが彼らを保守的に排他的にしているのです。
第三次世界大戦が始まるとすれば、それは中国が起こすかもしれない。
日本は巻き込まれてあれよあれよという間に中国に飲みこまれて言葉や文化を奪われ、アメリカにも見捨てられ、奴隷のような生活を強いられることになるでしょう。
そうなってもまだオールドメディアは「日本が過去、悪い事をしたから当然」と言い続けるのでしょうか。
そして「戦中」を「戦前」と言い換えて昭和史を間違った方向に誘導しようというのでしょうか。