ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

ジャン・ルイ・ファージョン  2

2012-09-30 17:23:31 | 宝塚コラム

 出演者について

 

紅ゆずる・・・「メイちゃんの執事」の頃に比べると別人のような上達振りに

       嬉しくなります。衣装もよく似合っていたし、こういうごてごてコスチューム物に

       負けない容姿と演技力はありがたいです。

       個性がない役柄で苦労したと思いますが、何とか乗り切りました。

       ただ・・後ろ向きになるシーンが多くて。その時、コルセット(?)の紐が

       おしりにかかっているんですが、その線が何とも「女の子」っぽくて。

       「安産型かも」なんて考えてしまいました。

早乙女わかば・・・・アントワネット。顔が綺麗です。でも演技は学芸会レベル。

            ヒロインで王妃様なのに「プティ・トリアノン自然派」という設定の

            せいで、初登場シーンから普段着の野良着。貴族よりも

            地味な格好というのは可哀想な部分もあったと思います。

          いくらなんでも植田景子さん、ここまで娘役に冷たくしなくてもいいのに。

          彼女の「娘役への冷たさ」は異常だ・・・ここではたとえ「自然派」でも

          華やかドレスで颯爽と登場すべきでした。

          にしても。台詞を噛む、滑舌が悪すぎる。もうちょっと何とかならない?

真風涼帆・・・フェルゼン。見た目はぴったり。軍服姿も素敵。

        でも、何となく「教わった通り」以上に演じている所はなく。

        早乙女とやりとりするとやっぱり「学芸会」になってしまう。

        顔がやつれてきたような気がするけど大丈夫?プレッシャーきつい?

綺咲愛里・・・ヴィクトワール。前回の「ダンサ・セレナータ」で出てきた時は台詞も

        少なく、なかなか可愛いと思ったけど、今回はこれぞ「学芸会」レベル。

 

この学芸会レベルの主要人物の中、紅は一人で頑張ってメンバーを引っ張って

いた印象です。

それを一生懸命に助けたのは美稀千種、美城れん、如月蓮、汐月しゅう、音花ゆり。

この人達がいなかったらどうなったことやら。

涼紫央以下、沢山メンバーがいなくなっていささか不安・・・と思っていたけど

さらに不安になりそうな?

新人公演組がもう少し頑張ってくれないと、せっかく「超ド級トップスター」を

戴く星組でも危なくなるでしょうね。

 

 休憩時間、お友達とついつい「第三次世界大戦が起こったら」みたいな

話をしてしまいました。

というのも、今回のフランス革命話における革命派の言動が何とも中国っぽい

言いがかりで、過去と現在がシンクロするような錯覚を覚えたからです。

いいがかりが通ってギロチンに送られた人、多数・・・

まさに時代の流れは止められないのかな。

私 「中・韓・台・北・露が組むと尖閣・竹島・北方領土がなくなる。日本は

   本州と北海道と九州・四国のみになるわ」

友人 「いいんじゃない?もう知らんわ」

私 「でも島を取られたらそこに軍事施設が建つから、最後は本州もとられるよ」

友人 「そうなるだろうなあ。でも日本人の中にそれでいいと思っている人が

  沢山いるなら仕方ないよ。野中だの加藤だの・・」

私 「大江健三郎に村上春樹。高名な文学者が左翼ってあんまり」

友人 「日本と協力してくれそうな国ないの?」

私 「アメリカ?あとは・・東南アジアかなあ。でもそうなったら第三次世界大戦。

  ヨーロッパの中、イギリスとオランダは反日と考えて。日本につきそうなのは

  東南アジアとインドくらいかなあ。フランス、ドイツは?」

友人 「すごいねーー」

私 「日本がなくなる可能性の方が高い」

友人 「うん。なくなるかも。でもいいや。私は子供もいないし。私が生きている時

   だけ日本があれば。その後の事はしらないもん」

私 「私はそうは言えない。子供達の事を考えると」

・・・とまあ、華やかな舞台にふさわしくない会話の数々。

結論、「日本という国がなくなって初めて後悔するんじゃないの?政府は」

という部分に落ち着きました。

確かに「50年後に日本がなくなっても、何が出来るわけでもない自分には

関係ない。その頃、死んでるもん」と言い切る事が出来たらどんなに楽かなあ。

高度経済成長真っ盛りに生まれた私達の子供が大人になるとき、

日本という国が姿を変えていると思うと本当に恐ろしい

 

そしてついまた「ベルサイユのばら」で一人悶々と悩んでいたオスカル様を

思い出す。

歴史の歯車の前では何も出来ない。無力だ。こんなにも無力だ」

と涙を流すオスカル様の気持ち、私はやっとわかりました。

社会秩序の崩壊、親しい人達の不幸が見える・・・そんな人にとっては

とても「王妃様の人間性に惚れたから・・」といいつつ「守るべき物があるから

協力できない」という思想は何とも許しがたいかもね。

「立憲君主の道へいく筈」なんて能天気なことを考えていると「貴族ボケ」と

言われちゃうかもしれないし。

そういう意味では、今回の作品、色々考えさせられ、大いに楽しませて頂きました。

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ジャン・ルイ・ファージョン  1

2012-09-30 08:53:17 | 宝塚コラム

昨日のTBS・・・一体、いつ宝塚が出てくるのーー?と、思いつつ

録画したのを追っかけ早送りしてました

唐突に出てきた龍真咲・愛希れいか・音月桂・舞羽美海。

スタジオ特設の大階段(全ツで使ってるような感じ?)で「愛あればこそ」を

歌っちゃう龍・愛希のラブラブぶりに胸をなでおろす ヅカファンってこんなもん。

でも「宝塚」といえば、何十年経っても「愛あればこそ」なんだよねえーー

一番宝塚らしい曲なんでしょう。これを作曲した寺田先生はほんと、偉大

で、燕尾のボレロが「ロミジュリ(世界の王)」で「?」って思ったけど

月組と雪組の共通点なんだよね

私と姫はひたすら「紫門ゆりやかっこいい!」ときゃあきゃあやってたら

旦那に「うるさい」と言われてしまいました

勿論、音月の「仁」はいい曲。斉藤君は選曲と作詞の才能はかなりあるよね

美海が後ろから出てきた時の芸能人さん達の反応が面白くて。

さらに音月と手を繋いで降りてきた時の女性達の「乙女」っプリも半端なくて。

いっそ、キスしちゃえーー というわけにはね・・・・・

フィナーレの愛希もそんなに美人ではないけど姿勢のよさとお辞儀の美しさで

世の中の男性方を虜にしたと思いますし。

ヅカファンじゃない不特定多数の視聴者に訴えるには、この程度のさらり感が

いいんだろうなあ

ああ・・・でも、ほんとの宝塚はね、あんなもんじゃないの。

羽根の大きさも衣装もねーーあんなもんじゃないのよーー

こんな風にスタジオで再現出来ちゃう「コンパクト宝塚」が可能になった理由は

 フェアリー系のトップが多くなったから

 メイク技術の向上

これに尽きますね。「ベルばら」の頃のメイクでは出てこられないもん。

でもメイク技術の向上はいい事だけど、テレビの画面にしっくりくるトップが何人も

いるという点はあまり喜ばしくないと思います

なんせ大劇場は広いですから 多分日本一広い舞台を一人で埋める事が

出来なければダメでしょう。

龍も音月も、真矢みきや真琴つばさと一緒に出てたらオーラ負けしそうな感じ

だものね。

ラスト・・・質問された美海がふと音月を見て、音月が代わりに「はい」と答えた

シーンに激萌え

 ジャン・ルイ・ファージョン 

 

 「ベルサイユのばら」が大前提

とにかく「色彩」が美しい舞台でした。まるで中世の絵画を見るようなゴージャス感。

というか、まんまルブラン夫人の絵だし。

対比する裁判シーンの地味さ。この二つを青年館できちんと再現したことは

素晴らしいし、さすが宝塚だなと思います。

 

なぜ「ベルばら」大前提なのかというと、幕開きからすでに「観客はベルばらを

読んでいる筈だ」という前提の下に脚本が書かれている・・・そんな節が見えたから。

 フェルゼンの妹・ソフィアの登場

 ランバール公の奥様

 大蔵大臣・ネッケルの・・・お身内?

 カミーユ・デムーランのシーン

 フェルゼンの帰還

どの場面を見ても、結果的に池田理代子原作「ベルサイユのばら」のストーリーが

思い浮かび、すっかり同じような展開に「わかりやすさ」を感じる?

じゃあ、全く「ベルばら」を知らずに見た人は・・・という視点がないのね。

知らない人がみたら、フェルゼンがどこへ何をしに行ってて、何で帰って来たのに

また出発するか・・というのがわからないと思うし、ネッケル退任後の

デムーランの唐突な出方は

すっかり「ベルばら」第5巻のベルナール・シャトレで、まさに原作を読んでいないと

何がなんだかさっぱりわかりません。

 「ベルサイユのばら」をなぞる

大元の原作に描かれている「思想」をなぞった後は、植田伸爾作「ベルサイユのばら」を

なぞるという手に出た植田景子。

フェルゼンが「王妃様!」と叫ぶたびに私はツレちゃんを思い出し

フェルゼンがジャン・ルイに「王妃様をお守りしてくれ」というシーンでは

「ジャン・ルイは子持ちのオスカル様なのか?」と思い・・・・・

王女と王太子の格好はすっかり「ベルばら」だし・・・「こまどり」が出てくるに

至ってはもうため息しかなく。

さらに王妃処刑のコンシェルジュリのシーンはパクリ?と思う程酷似。

(バスティーユもか・・・)

そりゃあ、全く同じ流れで話が進んでいるんだから、そうなるのは当然だけど

そうなると新しい作家にとっては不利ですよね

 

また、ルブラン夫人の台詞に原作「ベルばら」をパクった部分があり。

登場人物の印象や性格が全部「ベルばら」と同じ。

という事は作家がこの作品を書くに当たって参考資料にしたのは

「ベルサイユのばら」だけだったのではないかと。

もしかして違うんじゃないかとか、ジャン・ルイと関わる時には違う・・という

視点がないので、ジャン・ルイ=オスカルで十分事足りるわけですね。

 

 小さなこだわりと小さな「ありえないこと」

植田景子さんの小さなこだわり。それは・・・

 プティ・トリアノンとテュイリュリー宮などの「チ」の発音を「ティ」にする事

早乙女の発音が聞き取りにくくて

最初なんて言ってるのかわかりませんでした 「チ」じゃだめ?

 

植田景子さんの「ちいさなありえないこと」それは・・・

 海外進出・・・まずはアメリカだ!・・・にはならないでしょう。まずイギリスだって。

  だってアメリカは独立したばかりだよ?

 フランスの話なのに歌詞がやたら英語・・・・

 もしヴァレンヌ事件がなかったら、あるいは成功していたら・・ジャン・ルイが

  言うような「立憲君主制」にはならなかったです。絶対王政を守り抜き、オーストリア

  とフランスが戦争になり、オーストリア勝利、フランス割譲?

 

 植田景子としての「フランス革命史観」は?

目のつけどころはいい作品だったと思います。

香水といえば今や世界的にフランスだし、その基礎を作ったのが王妃の調香師

だった・・・浪費家で嫌われ者だった王妃が愛したフローラル系の香水が

後々フランスの経済を大きく潤したのだ。道楽というのはそんなに悪い物ではない。

っていう話だったらね?

でも実際は、アントワネットとフェルゼンの間で右往左往しつつ、傍観者であっただけ

のお話でした。またジャン・ルイ・ファージョンは平民ではあるけど「ブルジョア」です。

貧しい貴族とブルジョア平民の格差を描きつつ「勝ち組」に入り、爵位こそないけど

金持ちで宮廷に出入りを許された調香師がどのように貴族社会をみていたか・・

(芝居では「見ざる言わざる・・」状態で陰でこっそり批判的)

それこそ王妃の影響を受けてルソーを読んで「香りを作る事に意義があるか」まで

とことん悩めばいい作品になったのにと思います。

平和な時代は片足を貴族社会に突っ込んで、でも貴族ではない悲哀を感じ

逮捕された時には「平民として商売を成功させただけなのに貴族的といわれる」

悲哀を表現できればもっといい作品になったのに。

 「ベルサイユのばら」前哨戦

来年の「ベルばら」上演に向けての「おさらい」

オスカルとアンドレが出ない「外伝」としてみる事ができればヅカファンとしては

いいのかもしれません。

でも、これから大御所になっていくであろう作家の作品が

結果的に植田伸爾の「ベルばら」ってすごい作品だったのね」と思わせるだけでは

あんまりじゃありませんか?

「古い古いと思っていた「ベルばら」だけど、こうして比較してみると、あれは本当に

よく出来た作品だったんだわ」

「植田伸爾の台詞って説明が多いし、すぐに「少しも早く」だけど、こっちの植田先生

だって結局、老植田の台詞を参考にしなくちゃダメだったんじゃん」

って・・・感じです。

「ベルばら」は貴族社会から見たフランス革命史です。

ジャン・ルイ・ファージョンはブルジョアでも身分がない側にいたのに

描き方が貴族社会中心であった為に「ベルばら」と同じになってしまいました。

ゆえにラスト、「なぜ王妃のヴァレンヌ逃亡を政府に通告しなかったのか

と追求された時に「人間的にアントワネット様が好きだったから」なんて

ちぐはぐな答えになってしまうんですよね。

平民のジャン・ルイにとって家族と仕事を守る為には絶対に政府に密告

しなければならなかった・・・なのに、それをしなかった・・・それはなぜ?

という部分の答えが植田景子さん自身、わかっていないからですよね。

そのくせ、フェルゼンが助けを求めてきた時は「自分には守るべき家族がいる」

と言って断る矛盾・・・っていうか、ずるさ・・・みたいなものを感じました。

もしふぶきがこの部分を書いたら?

そうね・・・ジャン・ルイは本当に何も知らされずに、そしてしらないまま

アントワネットと別れた。そして後に「じゃあ・・あの時?そうと知っていたら

香水を持っていかなかったのに・・・」といって逃げますね。

何も相談されず、何も言われず。それが平民である自分というもの。

でも逃亡にあたって半年分の香水を持っていきたかった王妃。

生きるか死ぬかの瀬戸際にそんな事を考えてしまうおちゃめな王妃。

彼女こそミューズ。美しい香水をまとう美学にあふれた素晴らしい女性。

それに比べてそれを生み出している自分はなんて世俗的で泥まみれで・・

永久に彼女には近づけないんだと。

そういう価値観があの時はあったのだと・・・いう話にします。

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