我が家の姫ちゃんにとっては生まれて初めての帝国劇場だったので
すみれ色のドレスを着てネックレスをして・・・って彼女にしてはかなりおめかしを
してのお出かけでした。
パステルカラーが似合う人が羨ましい
姫ちゃんは天井から吊るされてる写真を撮影しまくり。
お土産屋さんを楽しそうにみて「パンフレットは必ず買ってね」とおねだり。
しかし、彼女の目を引いたのはそれだけではなく
「シークレットチャーム」だったのでした
つまり、何が当たるかわからないチャーム。
ロナン、オランプ、アントワネット、ロベスピエール、デムーラン、ダントンのどれが当たるか。
回りではお友達同士で
「きゃーーオランプ当たったわ。交換して」みたいな話をしている人が多々おり。
で、姫も興味を示したらしく、いきなり「二つ買って頂戴」というのです。
で、買ったら・・・・あんと二つともロナンでがっくり
そこで諦める姫ではなかった・・・・・「もう一個買うわ!」と
おいおい。おみくじじゃないのよ。
3つ目はアントワネットでほっ。これで満足・・・と思いきや、帰りにもう一個買えと
4つめはロベスピエールでございました。
「宝塚でもこういうのがあればがんがん買っちゃうのに」と申しておりました。
1789
出演者は
小池先生によれば、東宝版を作るにあたって、2曲ほど新曲を作って貰ったとか。
「革命の兄弟」と「武器をもて」の2曲。
フェルゼンとアントワネットのラブシーンの曲も違ってましたね。
どっちがいいって・・・・ヅカ版の方が盛り上がるなと感じたのは事実です。
「上に坐するアントワネットと下にいるロナン。二つの間を迷うオランプ」がテーマ
だそうで、言われてみればそうなだと思います。
宝塚版で見た時、ストーリーは別として曲と振付がよくて「面白かった」と思いました。
フレンチミュージカルというのは単純なストーリーをパワフルなダンスとビジュアルで見せるもの・・・
らしいです。
ゆえにオーケストラを必要とせず、シンセサイザーを使った現代的な音でみんなで合唱みたいな?
レビューというかショーに話がくっついた感じですね。
それはフランス版「ロミジュリ」の時もそう思いました。
あまりに単純化されたストーリーが小池先生の手にかかると、もうちょっと深みを増すというか
ロマンチックになるというか。
そういうものを期待して劇場に行ったわけです
今回は東宝版の初演になるわけで「エリザベート」のようにこなれていない。
そういう戸惑いは出演者にも観客にもあったような気がします。
歌のキーが難しいのか、唄えてないような感じもしましたし。
新曲がマッチしていないように感じる、主役が目立たない、はまり役は数名に留まる・・・
となると、観客の目はストーリーの方に行ってしまいます。
今まで、あまり気にしなかったストーリーがより雑に感じるというか、勢いでごまかしているのか?
とも思えて。
宝塚版よりもより革命色が強いです。
そうなると主役のロナンとオランプはおいてけぼりを食う。
かといって、ロベスピエールやデムーラン、ダントンが切磋琢磨して目立つのか
というとそうでもなく。
結果的に群衆劇、つまり「集団でみせる」パフォーマンスに見えちゃった。
銀橋と盆を駆使した宝塚版は細かな場面転換が気にならないのですが
東宝版は、どっちも使ってないんですね。上からつりさげる屋根みたいなの。
あれによって「上」と「下」を表現。
あとはカーテンでしきるのです。
小池先生得意の「カメラのシャッターを切る」ようなカーテンの閉め方はいいのですが
それが頻繁だとうざいというか、ちょっと場面転換が多すぎな気がしました。
出演者一人ひとりの見せ場をつくらないといけないし、ストーリーもそれなりに
進めていかなくてはいけないのですが、それでも頻繁にカーテンが閉まっては開きの
連続は疲れます。
また、三部会のシーンは「人形劇」というスタイルで表現しておりましたけど
あれは必要だったかな・・・・・極端に出演者が少ないならともかく。
意味があったのかなあと疑問が
まして当人が出て来てストップモーション。秘密警察の手によって操られ、セリフも
歌も・・・というのは見ててあまりいいものではなかったなあ。
1幕ラストはロナンの単独シーンで終わります。
それは当たり前の事なんだよなと感じました。
宝塚版は1幕ラストも2幕ラストも同じように全員出てくるので。
でも東宝版の方が主役が引き立つと思いました。
2幕ラストは、処刑時のアントワネットが登場。そっかーそういわれてみれば当然で。
宝塚版では最初から最後まで綺麗な衣装だったものですから。
姫は、アントワネットのソロシーンのあと、ギロチンの刃が落ちる音と映像がちょっと不満
だったみたい。宝塚のように本当に刃が落ちた方がいいと。
「人権宣言」の一番大事な部分というのは
「人に迷惑をかけない限り何をしてもいい」という事だと思うんです。
でもそれって「人に迷惑をかけない以前に国を愛し国に忠誠を誓う」という意味だと
私は思います。
日本人は「人に迷惑をかけない限り自国の悪口を言ってもいいし、自国に迷惑をかけても
いいし、尚且つ自由・平等・友愛を貫くなら自国を愛してはいけない」
と解釈しているんです。
人権宣言の内容はあまりに当たり前の事です。
そして日本という国において、あそこまで民が搾取された時代は経験してないと思うんです。
だからこそ庶民文化も華開いたわけで。
身分制や職業選択の自由はなかったかもしれないけど、でもそこからはみ出しても
何かをやり遂げる人がいなかったわけじゃないし。
今回の熊本の地震で思いましたが、これだけ大きな地震が頻繁に来たら、その県は地域は
無秩序状態になるんじゃないかと。
28年間で5回も震災に見舞われ、水害も多かった日本。
これだけの不幸に見舞われたら、政府転覆をもくろむ人も出てくるし、内乱状態になっても
おかしくはありません。
まあ、今回は、色々な意味でストレスのたまる日々ですから、どんな動きがあっても
不思議ではないんだと。
それでも日本は最低限の秩序は失わないし、責任転嫁もしない。
じれったいけどいい国なんだなと思いました。
出演者について
小池徹平・・・ロナン。演技や歌がどうのと言う前に体が小さい。劇場が大きい。回りが大きい。
オランプと並ぶと大人と子供。これは問題ではないですか。
龍真咲のロナンに比べると、より庶民度アップでひねくれている感がありますけど
ラブシーンは苦手?
歌もやっぱりミュージカルとは違うので、延々と小池の歌を聴いているならともかく
回りを劇団四季系で固められるとちょっと
いや、何よりやっぱり体が小さい。
夢咲ねね…・オランプ。若さとかわいらしさで乗り切った早乙女わかばと比べて夢咲ねねは
もうちょっとかしこくて大人です。自分の役目に忠実に生きるべきか、ロナンを
選ぶべきかと悩む心情がよくわかりました。
ソロで歌った「許されぬ愛」はよかったです
花總まり・・・アントワネット。いやーー登場シーンの華やかさに圧倒されちゃって。
衣装がすごい。「仮面のロマネスク」を彷彿とする程、頻繁にお着換え遊ばして
私達の目を楽しませてくださる。ちゃぴの衣装が地味に見えます。
ちゃぴのアントワネットはどこまでも「貞淑な妻」から抜けてはいません。
フェルゼンとのことも不倫には見えませんでしたし。
しかし、お花様は、賭博でははちゃめちゃで恋を楽しむ女です。夫なんて
「気色悪い」と言い放ち、フェルゼンと会えば「他に好きな女が出来たのね」と
みっともないくらい自分中心主義の浅はかな女。
ところが2幕目になると、「目覚めたアントワネット」が登場するのです。
1幕目でギロチンを見せられ「気色悪い」と言ってた彼女が2幕、フェルゼンが
去ったあとは国王の言葉に耳を傾けて「ほら、刃を斜めにしたんだ」と言われれば
「まあ」と同調する。このアントワネットとして変わり方が素晴らしいです。
秀逸だったのはオランプを行かせるシーン。この包容力は並大抵ではない。
泣けます。
古川雄大・・ロベスピエール。珠城りょうの方が骨太でリーダーシップに長けてます。
彼、どっちかっていうとフェルゼン役者なんです。一体、いつになったら
自信をつけてくれるんだか。頼りなさが売りの二枚目俳優かあ・・・・
吉野圭吾…アルトワ伯。姫ちゃんいわく「美弥るりの方が本気でオランプが好き」だそうです。
男性が演じるアルトワとしては当然の動きですね。
「私は神なのだ」の裏声が綺麗でした。
岡幸二郎・・・ペイロール。すごく怖いわーー星条海斗と同程度。
坂元健児・・・ラマール。この人は演技賞ものでしょう。場をかっさらうという表現がぴったり。
面白くて面白くて。オランプちゃんへの一途な愛もいいわーー報われないのが
可哀そうだわ。彼がいなかったら「1789」は面白くなかったかも。
ロナンの妹を演じたソニンもまた歌い方が今一つだったなと。顔が汚すぎじゃないか?
そのお友達、リュシルのめもかはまあまあ。相変わらず顔がごついけど。
ネッケルの立川三貴は安定感があって安心できました。
元々主役が目立たない作品の中で、脇役ががんがん目立つわけにもいかず
小池徹平を取り囲む人たちは苦労したんじゃないかと。
そんな事考えず「私が主役よ」とほほ笑んでいたのは女帝陛下・花總まりのみですが。
女帝陛下の華やかさに救われました。