最近は何が正しくて何が間違っているかわからないものですね。
旦那の話なんですけど、郡山宮が落ち込んで、夜、眠れないそうです。
理由は「弟の葬儀に不満」があったから。
前に書きましたが、叔父の葬儀は無宗教で行いました。
無宗教の葬儀って、1分間の黙とうして焼香するだけなんです。
戒名もないし、墓もない。
お骨を引き取った叔母が暮らすマンションは数か月後に返す予定なので
線香を立てる事が出来ない。
それやこれやで「弟が可哀そうだ」と。
「きっとちゃんとした葬儀をあげて欲しかったに違いない」と思うと、情けなくて悲しくて眠れない
そうなんです。
だから、葬儀の日にきちんと言いたい事は言っておけばよかったじゃないの?と私は思います。
喪主のくせに家族全員重役出勤するとは何事か
僧侶を呼ばないってどういう事?
「子一同」の花もなしって?
墓を建てるつもりがないのか。どうしたら線香をあげられるようになるのか
49日や1周忌はどうするのか。
子供が3人もいて、誰一人音頭をとれない。長男はついたばかりの仕事が大事。
次男は無関心。長女も仕事が・・・・って・・・
大元の家は東日本大震災のせいで住めなくなってるし。
しかしながら、舅からすると「死者への敬意が足りない」って事なんでしょう。
それをずっと心の中におさめて言わないのが郡山宮家風。
何でもかんでも我慢すりゃいいってものでもないんでしょうに。
熊本では物資が足りない所と余っている所ではっきり分かれているようで。
しかもノロウイルスですって?
阪神大震災や東日本大震災の時は冬場だったからなのか、心配されていた
感染症の話はきかなかったけど、やっぱりこれは大きな問題ですよね。
余震がおさまってくると、先はどうなるんだろうと心配になります。
避難所も危険・・・と言われたらどこへいけばいいのかって話になると思うんですが
こういう時に、頼るべき親族がいない、遠慮して頼れない感情、来てもらっても困るわ
という人間のあからさまな気持ちが錯綜していきます。
「家」制度の完全否定が招いた結果です。
誰もが個人で何をするのも自由。
だから「親族」も他人で、いざという時に助け合えないのかも。
「これだけしてやったのに、ありがとうという言葉しかない」なんて後から思われたら
いやだもの。今はお金がないから何もお返しが出来ないんだよ・・・・って事、
わかってほしいなとかね。
ともあれ、今後、仮設住宅が出来て暑い夏にどう向かっていくのかが課題です。
今以上にゴミは増えるわ、感染症の危険度は増すわ。
こんな時に北朝鮮がミサイルを発射したり。
何度発射されても、日本は冷静そのもの。
確かに実害はないかもしれないけど、本当に何かあってからじゃ遅いんじゃないの?
女性週刊誌の中は「アカ」だらけだって事がわかります。
あれを普通の主婦さん達が読んで
「私達も集団的自衛権の阻止を頑張ろう」なんて思うんだろうか・・・と考えると
暗澹としてしまいます。
一番洗脳しやすい人達 → 「何も考えずに日々の生活におわれている人々」ですから。
週刊誌は見出ししかみない、ニュースは聞き流し。本を読まない。
ネットはショッピングに使うだけ。回りとの話題は「子育て」だけーーみたいな。
ま、それも人生ですけど、気が付いたら日本が日本でなくなってたなんて
ホラーな事がおこりませんように。