ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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私達はなぜ皇室を尊敬できなくなったのか 3

2018-03-16 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 何度も申しますが、コメント欄にコメントを書く場合は必ずハンドルネームを書いて下さい。最近、同じハンドルネームで違う人みたい・・という方が多いですが、どうかハンドルネームは出来るだけ個性的にまねされない様にお願いします。

半島が、シナがどこが一番になるかで覇権争いをしている時、ヤマト朝廷は合議制を実現する為に伊勢の神を祀り、その末裔である「大王」を間にして政治をとり行っていました。

しかし、欽明天皇の時代に百済の聖明王から仏像が送られてきます。大和朝廷は百済とはちょっと仲良しだったので。

いわゆる「三韓」と呼ばれる新羅・百済・高句麗の中で最も強かったのが百済だったのですが、高句麗と新羅がシナをバックに百済を滅ぼしてしまいます。

そんな時代の前に仏像が送られてきたわけですね。

大王は「どうしよう」と蘇我氏と物部氏に相談し、蘇我氏は祀るべきといい、物部氏は反対します。

蘇我氏は仏教を広める為に寺をたて、自分の娘を出家させたりします。そこまで仏教を信仰した理由は、そこに「教義」があったからです。

コメント欄に「死を穢れとする神道より仏教の方が正しいのでは」という意見が書かれていますが、そもそも神道と仏教は違います。

神道は宗教ではありません。だから教義はないのです。でも世界の中心にある事で人をまとめる力を持っていますし、「神」を敬う、その子孫を敬う事で人の生活に最低の倫理観が生まれます。

「神」がヤマトの人達を繋ぎ合わせていたと考えればその存在意義がわかるでしょう。でも古代の庶民がどれほど「大王」を認識していたかどうかについてはわかりません。なんせ歴史の教科書には豪族たちの話しか出て来ませんしね。

もしかすると、現代の私達以上に「大王」は遠い存在であったかもしれません。それでもどんな小さな庶民の家にも「神」はいたわけです。

しかし、政治を行う上で倫理観だけではまとまりません。もっと規律よくもっと合理的に「善悪」を示さなければ世界に取り残されてしまう・・・と聖徳太子は考えたのでしょうね。

仏教を元に「十七条の憲法」を作ります。

確か「日出ずる処の天子」の中に厩戸皇子が呟くシーンがあります。

神は祟るものである。しかし仏は許すものである」と。

今まで恐れるだけ恐れて来た人々にとって仏教の教義は大変な「救い」となり、それがやがて平安時代になると仏教中心の宮廷になっていきます。

廃仏派の物部氏は崇仏派の蘇我氏に滅ぼされますが(日本で最初の宗教戦争でしょうか)それでも神道そのものがなくなったわけではなく、日本ではしっかりと共存しています。

大王は「神」の子孫で神を祀る存在から仏教の庇護者にもなりました。

仏像を送った百済・・・というか朝鮮半島では仏教がことごとく排斥されて、儒教による人心の統一を図る事になります。

 

 大王から天皇に

宮脇淳子・倉山満氏著の「残念すぎる挑戦1300年史」から引用させて頂きますと

 660年 → 唐が新羅と同盟を結んで高句麗を滅ぼす為にまず百済を攻めます。

 シナと朝鮮半島の考え方というのは本当にヤマトの人達には理解できないものですが、高句麗も新羅も百済も同じ民族だったわけです。百済がもっとも強かったので、新羅も高句麗もそれぞれ外国であるシナを利用してっていうか、自国に攻め入れさせてまでも嫌な国を亡ぼすという手に出るんです。

最終的には高句麗も消えて新羅の一人勝ちになるんですけど。だけど、唐もまた半島ついでに倭にも攻め入りたい。

 百済は同盟国の倭に助けを求め、斉明天皇が出兵しますが白村江の戦いで全滅します。この時、日本に人質としていた百済の豊璋を連れて行きますが、結果的には自分の腹心の部下を殺してしまい、高句麗に捕らえられます。この時、倭は戦争の大義を失ったのです。

 白村江の戦いに敗れたことで、倭には突如唐が攻め入るかもしれないという、前代未聞の危機が迫ります。そこで、日本列島に住む倭人達とシナから来ていた秦氏や漢氏、百済や高句麗の亡命者が団結し、「大王(おおきみ)」に新たに「天皇」という王号を採用して国家元首としました。

「天皇」は「皇帝」と同じ意味ですから、日本の天皇はシナの皇帝と同格になったのです。

 それまで倭では「地元民が地元を防衛」という考え方が一般的だったのですが、わざわざ中央から九州の先まで「防人」を派遣する事で「国家防衛」という意識が芽生えたのです。

こうしてみると、「天皇」というものの存在意義が少しわかるのではありませんか?

 

「天皇」がいる日本といない日本では価値が違ってくるし、歴史の重みが違ってくるんですよね。「国王」「皇帝」を持たないアメリカや朝鮮は非常に日本に憧れをもっています。

清朝を否定した筈の中国は今や紫禁城の頂点にたって習近平は「皇帝」になりたがっています。ロマノフ家を潰したロシアのプーチンも本音は皇帝になりたいのかも。

もし天皇という存在がいなくなってしまったら、日本という国を今以上に甘く見る国が沢山出てくるかもしれませんよね。

 

コメント (11)
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