ふぶきの部屋

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秋篠宮両殿下 阪神大震災追悼式典に

2020-01-18 07:00:00 | 皇室報道

 河井案里ちゃんも可哀想にねーーー雅子さんとすっかり同じこと言っているのにバッシングされて。でも適応障害で8年やってるってことは元々政治家に向かなかったんじゃないの?

あの宮崎謙介氏にまで「政治家辞めた方がいい」といわれる始末だし。

口ぶりまでそっくりなんですよ。

私は適応障害にかかり、今年に入って8年ほどになる。昨年頃から回復期に入ったという風に医師、そして臨床心理士の先生方から言っていただいた。これからも加療を続けながら、らせん階段をのぼるような状態でしか、なかなかこの疾病というのは回復しないわけですけど、加療を続けながら政治活動を続けてまいりたい」

もう、誰の言葉?雅子さん自身じゃないの?

とにかくこの疾病というのは本来だったら3カ月、6カ月というふうに休みをとりながら回復をさせていくものだが、これまで私はそのような治療を続けてはおりませんでした。社会的な活動を続けながら治療を続けている」とか言い訳ばっかり

そのうち「マスコミが負担」「マスコミのせいで適応障害が重くなった」とか言い出すかも。

皇族になれたら何でもOKだったのにねーー気の毒ねーー

 秋篠宮両殿下 阪神淡路大震災追悼式典に 

両殿下は歌会始めを終えられてすぐに兵庫県入りをされたようです。

まずは兵庫耐震工学センターへ。

ご説明を聞く両殿下。

翌日。17日には

特別展示「振り返る阪神・淡路大震災」を先に見学してから追悼式へ。


殿下のお言葉

阪神・淡路大震災から、本日で25年が経ちました。ここに、震災によって亡くなった人々の御霊に深く哀悼の誠を捧げます。
25年前のこの日、住み慣れたまちが一瞬にして崩壊し、かけがえのない6400名以上の命が奪われました。

私は震災の後、幾度となくこの地を訪れましたが、その度に、被災者をはじめ兵庫県の皆様が
困難な状況に直面しながらも、心を一つにして励まし助け合いながら、全国から集まった大勢のボランティアとともに、懸命の努力で美しい街並みを蘇らせていることに、深い感銘を覚えました。

これまで県民、団体、行政が一体となって、幾多の困難を乗り越えハード・ソフト両面から災害に強い地域づくりに力を尽くしてこられました。
また県内に集積した国際的な防災・人道支援機関を活かし国際会議などを通じて震災の教訓を世界に発信するなど、
世界各国・地域における防災体制の強化にも貢献しています。

阪神・淡路大震災の後も、東日本大震災をはじめとして、大きな自然災害が各地で発生しております。
その度に、多くのボランティアや応援職員など、兵庫県の皆様が現地に駆けつけ、
被災者に寄り添いながら、自らの震災の経験と教訓を活かした支援が行われていることは誠に意義深いことと考えます。

震災から25年が経過し、この地においても震災を経験していない世代が増えていることから、
『震災を風化させない』取り組みを進めていると伺っております。その中でも、特に震災を経験していない世代の人々が、
積極的に震災や防災・減災について学び周囲や社会に働きかけながら
防災・減災活動に取り組んでいることを大変心強く思います。

これからも、震災の経験と教訓を踏まえ、人々が助け合い、安全で安心して暮らせる地域づくりが進められるとともに、
その知見が国の内外に広まり、また、世代を越えて継承されていくことを願っております。

おわりに、亡くなった人々の御霊安らかならんことを心からお祈りし、追悼の言葉といたします」


あれから25年も経つんですね。関西では今も大きな心の傷を抱える人達が沢山いるでしょう。

平成の大災害の始まりは雲仙普賢岳の噴火や、奥尻島の地震と津波でした。

でも、この阪神淡路大震災は都市部に起こった震災で、しかも大きな建物が崩れているという場面。

街中が火に包まれて、消しようもない程燃えていたシーンなどが戦後生まれの私達に大きな衝撃を与えました。

都市が丸々無くなってしまう・・・という恐怖はその後行く度も起こる震災の前触れだったのかも。

25年目・・・アスベストを使った建物からのガスを吸った為に起こるがんが震災経験者に恐怖を与えています。

25年前。「震災離婚」という言葉もありましたね。

震災のあった兵庫県にいる妻と、大阪にいた夫の間で震災への共感を共有することが出来ず、結果的に別れてしまうという話。

でもさすが都市部というか、やっぱり関西。復興も早かったなと。

宝塚歌劇にすぐ関西のお客が戻って来たことを考えても、やっぱりお金持ちの多い都市なんだなと思います。震災で宝塚の街もまるっきり変わってしまったようです。

星組、麻路さきのお披露目から25年も経つんですね。

いつまでも心の中に持っていなければならない記憶だと思います。

地元の高校生と懇談。自分達で作った防災マップを披露。




 

コメント (10)
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