私、「千代田区一番1号のラビリンス」という小説は知らないので何と言えないのですが。
作者の森達也という人はドキュメンタリー作家で数々の本を出している人らしいです。
昭和31年生まれという事は60代。
まあちょっととんがった時代というか、70年代の色々なデモとかにも関わっていたかもしれませんね。
そんな作者が書いた小説がメディアから黙殺されていると怒っているんです。
出版してくれる会社もあまりなくて、やっと出来たとか。
何でもこの小説には上皇夫妻が実名で出てくるんですって。
例えば・・・覚えてます?
2013年の園遊会の時、れいわ新選組の山本太郎が陛下に手紙を渡しました。
陛下は受け取ってすぐに側近に渡された。
それだけの事に
美智子「あと天皇の政治利用だって怒っている人たちがたくさんいる」
明仁「私の政治利用?
手紙を私に渡すことが、なぜ私を政治的に利用したことになるのだろう」
美智子「利用するとかしないとか、何だか私の夫は国民や政治家たちの道具のようね。失礼しちゃうわ。ちゃんと意思のある人間よ」
それから戦争の件
「国民の多くが自分たちの過去や歴史に関心がないのなら」と明仁がつぶやいた。
「私たちの存在意義が消えてしまう」
美智子「きっと都合の悪い歴史が嫌なのよ」
明仁「ならば、私たちの家系の歴史は、この国の多くの人にとって都合がいいのかな」
<少なくとも私を自分たちの象徴だと思っている日本国民に、聞いてほしいことはたくさんある、……夫はそう思っている。でも今は誰にも言えない。言ったとしても誰もそれを伝えてくれない。だから私が聞く>
うーん・・・かなり左翼思想の持ち主かなと。この明仁と美智子は。
実像というより、森氏の願望が語っているような気がします。
あの園遊会でそんな深い事を考えていたら、側近にささっと手紙を渡すはずないと思うんですよね。
むしろあの時、天皇は「私に何の権力があるというのか?何を望んでいると?勘違いされてしまったようだね」程度の話になったと思うんですよね。
リアリティという面ではむしろ「天皇の母」の方があると思うんですけど。
戦争の事を語る上でも、もし私なら
「昭和の罪を背負っていくのは私だよ。みー」くらいにするけどね。
取材力が少ないと言うか、思想的に固まっているんじゃないかな。
どのメディアも取り上げず、帯のコメントもない。
という不満を作者は持っていらっしゃる。
でも私からすると「出版出来て重版できたら十分じゃん」と思いますけど。
ただ、帯の「でも私達にはファミリーネームがないのよ」という文言が恐ろしく気になります。
何でそんな当たり前の事を書くのか。
ファミリーネームがない事に何か思いがあるとしたらそれは天皇や皇后ではない。
だって日本に唯一無二の存在だから「名字」がないのです。
これは特権です。
こんな事かいてある本はメディアが取り上げなくていいんじゃないか?
いやでもなあ。
仮に「天皇の母」が出版されたら「低俗な韓ドラのような物語」とバッシングされてしまうよね。それを思えばお蔵入りが当然かも。
真実を元に、実際に起こった事を元に書いているのだ・・その中の何が大切な真実かという事は作者が決める事ですが。
現代書館さん。勇気があったのね。