2011年11月13日 天皇の名代で山梨へお召し列車で行く皇太子
女性自身 2011年11月29日・12月6日号
「孤絶3週間の異変にあった皇太子ご夫妻ご病状暗転・・苦悶の日々・東宮職幹部が明かした真相雅子さま両陛下にも隠していた暗闇で胎児返り 深刻すぎるご病状」
2011年11月16日 ブータンのワンチュク国王を迎える皇太子
宮中晩さん会
週刊新潮 2011年11月24日号
「愛子さまご入院に「4泊5日」プチ家出?「天皇陛下」お見舞いを止めた「雅子妃」お振舞の非常事態」
週刊文春 2011年11月24日号
「雅子さま天皇のお見舞いまで「ドタキャン」の風当たり夕方から突然のご発熱 その夜、皇太子は一人で東大病院に・・・」
2011年11月18日 迎賓館にて東京を離れるブータン国王夫妻を見送りに来た皇太子。
その日は雅子妃は公務なしで学習院初等科を訪問
週刊新潮 2011年12月1日号
「東大病院14階個室「天皇陛下」宮内庁記者が報じない緊迫のカルテ・もうこちらの方はよろしいのではないかしら「美智子皇后」のお言葉で消された「雅子妃」の名
東大病院14階個室「天皇陛下」宮内記者が報じない緊迫のカルテ
▼気管支肺炎39度のお身体に極秘のMRI検査
▼金澤皇室医務主管が姿を消して混乱の宮内庁記者会見
▼新嘗祭ご欠席で一子相伝の秘儀はどうなるのか!
▼密かに囁かれた「生前譲位」と「摂政任命」の葛藤
▼皇太子「廃嫡運動」を始めた「デヴィ夫人」
もうこちらの方はよろしいのではないかしら 「美智子皇后」のお言葉で消された「雅子妃」の名
愛子さまのために学習院初等科に通われるものの、なぜか陛下のお見舞いはなさらない雅子妃。ブータン国王を迎えた歓迎式典の前、雅子妃と美智子皇后の間に横たわる深い溝を再認識させる出来事が起きていた。雅子妃の名が記されていないご出席者表が美智子皇后の手元に配られていたのだ。その理由はさかのぼること1年半前……
ブータン国王夫妻歓迎式典等の席次に雅子妃の名前がなかった。最初から出席する予定はないという扱い
2010年5月、カンボジアのシハモニ国王来日の宮中晩さん会の席次において、皇后陛下が雅子妃の名前を見て「こちらの方はよろしいのではないかしら」と言った。最初から出るつもりがないのなら名前を載せる必要はない。その時は雅子妃出席と欠席と2パターンを作った。
皇后は雅子妃を気にかけてきたが、雅子妃は一切返事をせず。
11月6日 天皇陛下入院
皇后は連日お見舞い
11月8日 秋篠宮夫妻お見舞い
11月9日 黒田清子さんお見舞い
11月10日 皇太子単独で見舞い
11月18日 皇太子が代行についての報告の為見舞い
11月19日 秋篠宮と眞子さまが3度目の見舞い
この間、雅子妃と愛子内親王は一度も見舞いに訪れていない。東宮職曰く「折をみてということでしょう」
雅子妃は学習院初等科の付き添いは毎日続けている。この不整合性をどうするのか。
2011年12月1日 愛子内親王10歳に
皇居に参内
2011年12月3日 チェロを弾く愛子内親王
2011年12月8日 宮内庁文化祭出品
ブータン国王夫妻の来日は記憶に新しいです。
非常に感動的でしたが、皇太子妃は一度も姿を見せず、だけど歩いていける学習院初等科には欠かさず行っていたんですよね。
呆れてしまいました。とても失礼な態度だと思いました。
また、愛子内親王の積み木は・・・・10歳の子がする事なのか?と話題になりました。こうして東日本大震災が起きた1年が暮れていくのです。
今更ながら、ブータン国王ご夫妻の美しさと優しい笑顔、礼儀正しさに感嘆しています。雅子さまの非礼に内心思う事も有ったでしょうに、常に和やかで友好的で素晴らしいですね。
跡継ぎも盤石でお幸せです。
雅子さま、日本一運良く生きてこられましたが、これからが正念場ですね。
愛子さま、これからどうなるのでしょうか。
またの更新楽しみにしています。
https://logmi.jp/business/articles/4281
記憶というものは誠に曖昧です。
ワンチュク国王の国会でのスピーチ抜粋です。
日本および日本国民は、素晴らしい資質を示されました。他の国であれば、国家を打ち砕き、無秩序、大混乱、そして悲嘆をもたらしたであろう事態に、日本国民の皆様は、最悪の状況下でさえ、静かな尊厳、自信、規律、心の強さを持って対処されました。
文化、伝統及び価値にしっかりと根付いた、このような卓越した資質の組み合わせは、われわれの現代の世界で他に見出すことは、ほぼ不可能です。すべての国がそうありたいと切望しますが、これは日本人特有のもの、特性であり、不可分の要素です。このような価値観や資質が、昨日生まれたものではなく、何世紀もの歴史から生まれてきたものなのです。それは数年、数十年で失われることはありません。
私が申し上げたいのは、世界は日本から大きな恩恵を受けるであろう、ということです。卓越性や技術革新がなんたるかを体現する日本、偉大な決断と業績を成し遂げつつも、静かな尊厳と謙虚さを兼ね備えた日本国民、そして他の国々の模範となるこの国から、世界は大きな恩恵を受けるであろうと。
日本の国民を力強く励ましてくださった部分です。ありがたく頭が下がる思いでした。
全文を読み返しますと、スピーチの冒頭。
天皇皇后両陛下、および日本国民の皆様に対し、深い敬意を表しますとともに、このたび日本国国会で演説を行う機会をたまわりましたことを、謹んでお受けいたします。
衆議院議長閣下、参議院議長閣下、内閣総理大臣閣下、国会議員の皆様、ご列席の皆様、世界史においてかくも傑出し、重要性を持つ機関である日本国国会の中で、私は偉大なる叡智、経験、および功績を持つ皆様の前に、ひとりの若者として立っております。
皆様のお役に立てるようなことを私から多くを申し上げられるとは思いません。それどころか、この歴史的瞬間から多くを得ようとしているのは、私のほうです。このことに対し、感謝いたします。
最初のこの謙虚な姿勢のスピーチが何より国王の人間性のすばらしさが溢れていたのですね。
東北大震災 3月11日
国王の来日 11月16日
ワンチュク国王は結婚一ヶ月の新婚31歳。ペマ王妃21歳。
皇太子ナルさま51歳。その妻 雅子さん48歳。
雅子さんは最初から出る気はなかった。私もそう思います。
若いペマ王妃は現れない雅子さんに、どれだけ悲しい想いをされたことでしょう。
美智子皇后の「もうこちらの方はよろしいのではないかしら?」
よろしいかないわよ!
雅子さんはお見送りもスルーしたのよ。
私はあの時………。
怒り心頭を飛び越えて、殺意をおぼえましたわ。今でもその感情は消えておりません。